第5話
「薬師寺君、待っててね。私、頑張ってご飯作るからね」
初デートの約束は週末のはず。
まだ週末まで今日を入れて二日ある。
だというのに初デートをすっ飛ばして早朝から俺に手料理を振る舞ってくれようとする一条を見ていると俺は今の立ち位置とやらがわからなくなってくる。
順調なはず、なのに。
どうも釈然としない。
俺の掌の上で一条を転がしているはずなのに、どうも俺の方が転がされているような気がしてならない。
ふうむ。
「あの、俺も何か手伝おうか?」
「ううん、大丈夫だよ。でも、ちゃんと私のこと見てて」
「見……うん、わかった」
なぜ料理をしているところを見守る必要があるのか俺にはさっぱり理解できないが、とにかく今は言われた通りにするしかない。
というのも、彼女は野菜を刻みながら何故か手元ではなく俺の方をずっと見ているから。
器用なもんだ、なんて感心している場合ではない。
怖い。
トントンと小気味良く野菜が刻まれてるのに、ずっと彼女は横を向いて俺の方を見ているのだ。
めっちゃ怖い。
「ねっ、私って結構包丁の扱い慣れてるでしょ?」
「そう、だね。でも、手元見てないと危なくない?」
「ううん、全然。薬師寺君がね、目を離してる隙に他の子に連絡しようとする方が危ないから」
「し、しないよ。俺、ちゃんと一条さんのこと見てるから」
「ほんと?」
「ほ、ほんとさ。俺、別にスマホでゲームとかもしないし」
「じゃあ、ちゃんと見ててね」
「……ああ、もちろん」
俺の必死さが伝わったのか、ようやく彼女は目線を自分の手元に戻した。
そこで一息。
懸命に野菜を切る彼女の綺麗な横顔を見ながらも全くうっとりなどできず、耳の横を冷や汗が伝う。
この女、果たして俺の思う方法での復讐劇などあり得るのだろうか。
むしろ傷つくのは俺の方ではなかろうか。
それも精神的にではなく、物理的に。
まさか痴情のもつれで殺傷事件なんてことに……いや、考えすぎだ。
俺は復讐のために生きてきたんだ、今更自分の命なんて惜しんでどうする。
こいつが仮に俺を殺して殺人犯になったらそれこそこいつの両親は傷つくだけでなく親としての責任を問われて失墜するに違いない。
うん、それはそれでいい。
「ねえ薬師寺君、なんでずっと黙ってるの?」
「へ?」
「ねえ、もしかして今、私じゃない誰かのこと考えてた? ねえ、考えてたでしょ?」
「い、いやいや全然考えてないって! まじで違うから、だからその包丁をおろして!」
「ほんと? じゃあ、私のこと考えてたの?」
「そ、そうそう! 俺、一条さんのこと考えてた!」
「ほんと? ふふっ、なんか照れちゃうなあ」
包丁の切先が再びまな板の方へ向く。
俺は全身から溢れ出る脂汗に不快感を覚えながら、ジリジリと彼女から距離を取る。
ヤバい。
なんか知らんがヤバい。
この女、頭がおかしいって。
どうしよう、復讐とかもうどうでも良くなってきた。
早く手を引いて、こいつから離れたい。
「あ、電話だ。薬師寺君、電話とってもらってもいい?」
「あ、ああいいよ……ん?」
部屋の机に置いてあった彼女のスマホを手に取ると、画面には『お母さん』の文字が。
一条の母親。
つまり、俺の両親を酷い目に合わせた張本人の一人。
その相手が今、俺と一緒にいる娘に電話をかけてきていると知ると、さっきまでの折れかけた心が元に戻る。
やはり俺の復讐心は消えない。
絶対にこの親子を不幸のどん底に落としてやる。
「……どうぞ」
「ありがと。もしもし、お母さん? うん、今? えーっと、お知り合いのおうちにいるんだ」
電話の向こうの声はよく聞こえないが、早朝から姿を見せない娘を心配しての電話のようだ。
しかし知り合いとはな。
やはり家柄は厳しく、軽はずみに男の家にいるなんては言えないのだろう。
ふんっ、それで何が結婚だ笑わせる。
俺は結婚なんてしないからな。
「え? あははっ、バレちゃった? うん、だからね、今日の講義が終わったらお母さんにも紹介しようかなって」
なんの会話だ?
紹介? 何か美味い飯屋でも見つけたのか?
「うん、じゃあね。ごめん薬師寺君、おまたせ」
「いや、別に大丈夫だけど」
「お母さんとの会話、聞こえたよね?」
「うん? 紹介がどうのって言うやつ?」
「うん。今日の放課後、お母さんに薬師寺君のこと紹介するね」
「ああ、そういう話か……は?」
「さすがに殿方の家にいるのは恥ずかしいなって思ってたけどお母さんもわかってたみたい。大丈夫、昨日薬師寺君のこと話したらお母さんもすごく興味津々だったから」
「……なんて話したの?」
「生涯を共にすると決めた、私の全てを捧げた人」
「……」
捧げられてねえ!
いや、ていうか勝手に捧げるな! 押し売りもいいとこだろ!
「それよりもうすぐ朝ごはんできるからね」
「……」
「薬師寺君? お腹すいてないの? それとも私のご飯は不満?」
「わっ、不満なんてないないない! ないからその包丁をこっち向けないで!」
もう、絶望感しかなかった。
つい昨日までは、どうやって一条と関係を持つかに必死だった俺だけども。
今はどうすればこいつと縁が切れるのか。
そんなことばかり考えながらゆっくりと食卓につくのであった。
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