第4話

「朝の風が気持ちいいね。ふふっ、早起きは三文の徳って言うけど、ほんとだね」

「……そうだね」


 スーパーへ向かう途中も、一条はご機嫌な様子でよく喋る。

 こんなによく喋るやつだなんて知らなかった。

 ていうか、俺が知っている一条はもういない。


「今日の朝ごはんはお味噌汁と卵焼きにしようかしら。で、お昼のお弁当は唐揚げにして、晩御飯は肉じゃがなんてどう?」

「……朝ごはん買いにきたんだよね?」

「そうだよ? でも、どうせこれからずっと私がご飯作るんだからついでに食材買い込んでおいた方がいいと思わない?」

「……そうですね」


 全く思わないけど。

 ノーとは言えなかった。 

 やっぱり目が怖い。

 ヘラヘラしてるのに目の奥が全く笑ってない。

 もはやサイコパスな雰囲気まで醸し出している。


「あっ、スーパーあったよ」


 二十四時間開いているスーパーが近所にあることは俺も知っていたが、来るのは初めて。

 というのも、俺のイメージ作りの一環としてスーパーで細々と買い物をする姿を他人に見られたくはなかったというのが一つ。

 あとは単純に自炊が嫌いだから。

 しかしこんな早朝なのに店の中に入ると結構な買い物客がいる。


 誰か知り合いに見られたら……いや待て、まずくはないのか。

 むしろ一条との関係性を確固たるものにするために、敢えて誰かに見られて噂を立ててもらうくらいがちょうどいい。


 そうだ、俺はまずこの女を俺という沼にハマらせるのが目的だった。

 よし。


「一条さん、結構人が多いね。誰か知り合いに見られちゃうかもよ」

「その人って女? ねえ、知り合いって女の人想像した?」

「へ? い、いや俺は別に誰か特定の人を指したわけではないけど」

「不特定多数いるの? 女の人の知り合いが? 人気者だもんね薬師寺君って。ねえ、でも特に仲いい子は誰? 私、その子とちゃんとお話しないといけないかも」

「いないいないいない! みんな顔見知り程度の仲だから!」

「そう? ならよかった」


 俺は見た。

 今、一条の右手には確かに包丁が握られていた。

 え、包丁携帯してスーパー入店していいの?

 ……じゃなくて、こいつマジのガチでヤバい女だ。

 惚れさせておいて捨てたりなんかしたらむしろやられるのは俺だ。


 ……どうしよう、怖い。


「あの、一条さん」

「ん? どうしたの?」

「あ、いや……今、何か持ってた?」

「え? まだ何も買ってないよ? どうしたの?」

「いや、別に気のせいならいいんだけど……」

「それよりね、週末のデートのことなんだけど、行き先は私が考えたプランでもいい?」

「デート……ああ、デートね。うん、任せるけど行きたいところあるの?」

「うん。初めて男の人とお出かけするなら行ってみたいところがあって」

「ふーん」


 このメンヘラ、どうやら男との交際がないことだけは俺の調べ通りらしい。

 しかし行きたいところとはどこだ?

 あまり浮世離れした高額な店とかは勘弁してほしいところだけど、初デートでお金を渋るというのも個人的に解せない。

 まあ、いくら金持ちとはいえ彼女だって普通の大学生だ。

 遊園地とか夜景が見える場所とか、そういうありきたりなところだろう、きっと。


「ふふっ、一緒にお買い物って楽しいね」

「……そうだね」


 終始ご機嫌なまま、彼女は買い物を続ける。

 俺は必要な相槌以外は何も言葉を発さず、淡々と彼女についていく。


 そしてカゴいっぱいの食材をレジに持っていき会計を済ませるところで一悶着。


「ここは俺が出すから」

「いいよ、私が出す。カードあるし」

「ダメだよ、俺の家の食材なんだし」


 どっちが金を出すか、なんてことで争うことはまあよくある話だろう。

 そしてこう言う場合は普通、男が押し切って出す方がスマートだと、男女平等が謳われる昨今でもそういう考え方の人がまだまだ多いと俺は思っている。


 ただ、


「ねえ、私に奢られたら何か問題あるの?」


 メンヘラの場合は例外だ。

 なぜか執拗に尽くしたがる傾向にあるというか、それを断ると途端にネガティブな発想を頭に充満させてくる。

 まあ、なんでそんなにメンヘラに詳しいかといえば大した理由はなく、あらゆる人間の行動原理を理解するために色々学んだ結果に過ぎないのだが。


 まさかここまで見事なメンヘラがこの世にいるとはな。

 しかもそれが俺のターゲットだなんて……最悪だ。


「ねえ、どうなの?」

「わ、わかったわかったここは一条さんに素直に甘えるよ」

「ふふっ、最初からそう言ってくれたらよかったのに」


 そう言って彼女はカバンに手を入れると、出てきたのは高級ブランドの財布だった。


 ホッとした。

 こんなところで刃物なんて取り出すはずもないとわかっていても、彼女の一挙手一投足にはもう怯えるしかない。


「荷物、もつよ」


 カゴからレジ袋に食材を詰め終えたあとで俺はさりげなく。

 これを優しさだとか紳士的振る舞いだと言えばそれまでだが、俺は基本的にはレディに優しく接することを心がけて生きてきた。


 復讐を果たすため。

 俺の両親を苦しめた一条の両親に、同じ痛みを味わわせるために。

 一条深雪を俺に惚れさせるために。


 なのに。


「優しい……好き。もう、私ったら薬師寺君以外考えられない」


 目をトロンとさせながらそう呟く対象を見ると、何が正解なのかわからなくなってくる。


 果たして俺は目的に近づいているのか。

 それとも、死に近づいているのか。

 

 なんかよくないことが起きそうだなあと心配しながら帰路に着く。


 そしてうっかりまた、一条を我が家に連れ帰ってしまった。


 


 

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