第2話
「……わからん。まじで金持ちの思考はわからん」
一条をデートに誘ったこの日の夕方のこと。
俺は大学前から少し外れた場所に借りた三階建てのボロアパートの一室で頭を抱えていた。
今日の目的は達成したはずなのに。
ていうか、計画は順調に進行しているはずなのに。
釈然としない。
なにせ、初デートで婚約しろと一条に迫られるという謎の展開に巻き込まれたからである。
「……あいつ、もしかしてそんなに俺のことが好きなのか? いや、それは考えすぎというかいくらなんでも自意識が過ぎる」
俺は確かにイケメンだ。
そして頭もよく人望もあり、皆の人気者。
だから俺と仲良くなろうと試みる連中は後を絶たないし、俺自身そういう人気者になるべく努力もした。
それでも、だ。
まだ一度も遊びに行ったこともない人間とたかが一度のデートで婚約したいなんて、そんな非常識な人間が果たしているのか?
……完全に予定外だ。
俺の調べでは一条深雪という女は男性への興味を示さず、また、過去に交際歴もないウブな女性だったはず。
いや、高校生までの間にろくに恋愛をしてこなかったからこそ、彼女の恋愛観が歪んだとも考えられるが。
「まあ、とにかく週末のデートをどうするかだな……んっ、電話?」
窓から差し込む西陽に目を窄めながら気持ちを切り替えていると、電話が鳴った。
知らない番号からだ。
しかも今時固定電話とは、何かの営業とかか?
もしかしたら、先日街で声をかけてきた芸能事務所とやらか。
まあ、出なくてもいいが一応対応しておこう。
今はどんな綻びも見せたくない。
「もしもし」
「薬師寺君? 私、一条だけど」
「え、一条さん? あれ、連絡先交換したっけ?」
「ううん、友達に聞いたの。ほら、薬師寺君って色んな人と知り合いでしょ」
「あ、ああまあ。で、何の用事?」
「ふふっ、声聞きたくなっただけ。何してるのかなって」
電話の向こうから聞こえる甘い言葉と無邪気な声に俺は一瞬我を忘れて胸をどくんとときめかせた。
そしてすぐにはっと冷静になった。
ドキドキしてる場合じゃない。
こいつは俺の親の仇の娘なんだった。
……でも、向こうが俺に好意をも持ってくること自体は歓迎だ。
こうして人伝に連絡先まで聞いてくるなんて、既に落ちていると言っても過言ではない、かもな。
ふっ、それならもっと俺にのめり込ませてやるか。
「あのさ一条さん」
「あのね薬師寺君、結婚式はハワイでしたいんだけど」
「ああ、ハワイはいいねえ。海外ウエディングなんて憧れ……は?」
「あとね、ハネムーンはヨーロッパ一周かな。私、オーロラ見たいなあ」
「……」
結婚式だと?
いや、まじでどうなってんのこれ?
俺への好感度が振り切りすぎてバグってないかこれ?
「あのさ一条さん」
「あのね薬師寺君」
「こ、今度はなに?」
「週末まで待てないから明日正門前で待ち合わせて一緒に授業受けない?」
「あ、ああそれくらいなら全然。二限目からだから朝の十時くらいでいいかな?」
「うん。じゃあ明日、楽しみにしてるね。おやすみ」
「……おやすみ」
電話が切れてホッとした。
なんだあの女? 頭がおかしいのか?
いや、俺の調べでは一条という女はそんな異常者ではなかったはず。
良識にあふれ知的で品のある女性、のはず。
しかし今日の様子を見る限り、どう見てもただのメンヘラにしかみえないのだけど。
「デートするのやめようかな……いやいや、それだと今までの努力が水の泡だ。落ち着け俺、これはなにかの間違いだ」
そう、これは何かの間違いだ。
きっと、俺が魅力的すぎて彼女も取り乱しているだけなのだ。
一人で何度もそう呟いて、言い聞かせるようにして風呂場へ向かった。
もうすぐ今日が終わる。
きっと明日はいい日になると。
浴槽にたまっていくお湯を眺めながら、そんなことを信じてやまなかった。
次の日の朝。
玄関先に立つ一条を見るまでは。
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