第二十五話 トリップ
鈴はひたすらに走り、倉庫だった場所へと足を踏み入れた。甘い草に、おしっこをかけたような、この独特な匂い。思わず鼻をひくつかせた。だんだん頭がふわふわしてくる。早いとこ救出しないと、幻覚を見てしまう。
鈴は人間の破片を乗り越えて、中央にあるソリへと向かった。トナカイが助けて、とでもいうように、つぶらな目でこちらを見てくる。そういえば、トナカイはトリップしないのだろうか。
ソリに到達する。もしかしたら座席の間に倒れているのかもしれないと思ったが、やはり姿はなかった。周りを見渡しても、お父さんらしき姿はない。一体、どこにいってしまったのか。一足先にどこかへ逃げたのか、それとも──。
嫌な妄想に、鈴は頭を振った。考えるな。考えるな。
ふとソリの運転席を見ると、ハンドルの下から、紐のようなものが伸びていた。その紐を目で辿ると、ソリの外へと伸びていき、横に山積していた瓦礫の下へと続いている。
それを見た瞬間、鈴の頭に電球が灯った。きっと、この下にお父さんがいる。
鈴はその瓦礫に飛びつき、一つ一つどかしていった。五個目の瓦礫を取り除くと、放り出されている腕が覗いた。まだ動いている。
「お父さん!」
鈴の問いかけに答えるように、瓦礫の中から呻き声が聞こえた。鈴は一層必死に瓦礫を取り除いていく。
腕が露になり、胴が見えた。そのまま顔の部分を覆っていた瓦礫をどかすと、お父さんの顔が見えた。なんと、酸素マスクをしている。これなら、シャブ中になる心配も無い。
「お父さん、大丈夫!? 今助けるからね!」
鈴は貴史の顔ギリギリで、大きく叫んだ。その間も、どんどんと瓦礫を取り除いていく。
そして遂に、瓦礫を全てどかし、貴史の身体を全て露出させることに成功した。コンクリートの粉にまみれ、身体の至るところがケガをしている。大丈夫だろうか。鈴は貴史の身体を必死に揺すりながら、なおもお父さんと呼びかけ続けた。
「う~ん」
うっすらと、貴史の目が開いた。酸素マスクをしているからか、病人が昏睡状態から目覚めた時のような感じだった。貴史は鈴の姿を捉えたかと思うと、腕を上げ、鈴の頬を撫でる。
「鈴……」
「お父さん、良かった! 動ける!?」
その声に、貴史は呻きを上げながらも身体を動かした。掠れた声で答える。
「多分、大丈夫みたいだ……折れてない」
「良かった。立てるかな? 支えてるから、ゆっくり立ってみて。あ、酸素マスク外しちゃだめだよ」
貴史は力なく頷いて、ゆっくりと立ち上がった。鈴の肩に置いた手が震えている。いつも一緒にいる人間が傷ついているところを見ると、鈴はどうにも涙を堪えることか出来なかった。
「お父さん、ありがと」
守ってくれてと言うべきだったろうが、恥ずかしくてそこまえは言えなかった。こんな状況でも言えないんだから、もう二度と言えないんだろうな、と思う。
久しぶりに上目遣いをしたからだろうか、貴史が微笑んだ。
「なんだ、意外と女っ気あるじゃないか。ただのギャルかと思ってた」
「なにそれ、ギャルだって色気あるでしょ?」
「そうかな、俺はあんまり好きじゃない」
鈴は呆れたように溜め息をついて、もう一度貴史を見た。今まで、迷っていた。やめるかやめないか。でももう潮時かもしれない。辛いかもしれないけど──。
「お父さん、あたし薬物やめるよ。金髪もやめる」
それを聞いた貴史は、目を見開き、全身で喜びを表現した。腕を振り回し、ぴょんぴょん跳ねている。痛みはもうどこかにいったみたいだ。
「それ、ほんとか! 良かった! ほんとに良かった!」
「もう、あんま飛び跳ねないで。安静にしてて」
貴史は「すまん」と言って、もう一度鈴の肩に手を乗せた。しかし顔が緩んでいる。
「今回の旅行、楽しかった」
恥ずかしいのか、俯きながら鈴は言う。
「クスリなんかより、ずっとエキサイティングだった。やっぱり、本物のトリップは違うね」
「上手いこと言うなあ」
二人は暫し笑い合った。やっぱり、変なことを言って気持ちをはぐらかしてしまう。クスリも、現実逃避に使っていただけなのかもしれない。いつか、正面切って感謝の気持ちを伝えられる日がくるだろうか。鈴は自分の少し未来を想像して、思わず笑った。絶対言えないな。
「そうだ、鈴」
貴史はソリとは逆方向を指さす。
「多分鍵はあいつが持ってる。ポッケとか探してみろ」
差した指の先に、中野が倒れていた。どうやら、バラバラにはならなかったらしい。その横にはボロボロになったピエロの仮面が落ちていた。
鈴は中野の死体に走り寄り、ズボンのポケットをまさぐった。手に冷たい感触が当たる。ばっと取り出してみると、金色に光る鍵が握られていた。
「お父さん、あったよ!」
いつの間にかソリに乗り込んでいた貴史に向かって、鈴は鍵を掲げて見せた。
「やったな! こっちに来い! 首輪外してやるよ」
貴史がそう言うと、鈴は一目散にソリへと走った。跳ねるように乗り込み、貴史に鍵を渡す。すると貴史は流れるような手つきで、首輪の鍵穴を探し、そこに鍵を差し込んだ。
首輪はあっさりと外れた。とんでもなく、あっけない終わりだった。首が軽くなって、自由の身になった気がする。
貴史は首輪を投げ捨て、ハンドルを握った。
「じゃあ、みんなのとこに帰ろうか」
「うん」
ソリが浮き、トナカイが走った。息が白く、朝日を透かす。あまりの太陽の美しさに、横に座る父親の安心感に、鈴は思わず大きく息を吸った。冬の朝が、肺に流れ込んでくる。大麻の煙なんかより、よっぽど気持ちよかった。
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