第二十三話 お父さん

 シャッターが閉まっていく様子を遠くから見ていた鈴は、サンタの制止の中でもがきながら、「お父さん」と叫び続けた。銃弾の恐怖から、かなり遠くまでソリで逃げてきたので、その声は確実に届かない。貴史と中野がいる倉庫は小さく見える。中野に逃げたと判断されないであろう、ギリギリの距離だった。


「ねえ! 大丈夫なの!? ほんとに?」


 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、鈴はサンタに訊ねる。


「きっと大丈夫だ。儂が保証する。彼は、思ったよりもしぶとい男だ。なんせ、儂から逃げ切ったんだからな」サンタは鈴に微笑みかけた。


 サンタと鈴の隣では、岩ノ上が必死に動き回る。負傷した祐子と三太を、治療するためだ。


「大丈夫、もう血は止まってます。あとは安静にしておいてください。ちょっと、二人とも!」


 三太は足を引き釣り、祐子は肩をかばいながら、倉庫へと歩いて行く。


「駄目です! 傷が広がってしまう!」


 岩ノ上の制止に、祐子は振り向いた。痛そうに顔を歪め、右目をつむってはいるが、もう片方の目で凜と訴えかける。


「何が駄目なの? 今私たちがこうしている間にも、旦那は身を挺して闘ってくれているの。たかが肩に銃弾受けたくらいでへこたれてる場合じゃないわ!」


 祐子の剣幕に、三太も振り返った。


「そう、母さんの言うとおりだ。もしかしたら、中で今父さんが苦しんでるかもしれない。助けてやらなきゃ、家族じゃないよな」


 三太に、もうニートの面影はない。オカマの面影もない。彼は立派な、赤木家の長男だった。

 その様子を見ていたサンタは頷いて言った。


「そうだな、すまなかった。関係ない儂らがびびって、こんな遠くまで逃げてきてしまった。情けないよ。岩ノ上君、彼らは致命傷じゃない。何が出来るかはわからないが、貴史を助けにいこうじゃないか」


 岩ノ上も、ふっと息を吐いて、頬に笑みを浮かべた。


「分かりました。じゃあ、すぐに行きましょう。皆さん、ソリに乗ってください」


 その場にいる全員が強く頷いて、ソリへと急いで乗りこんだ。


「じゃあ、行きますよ。飛ばすんで、注意してくださ──」


 岩ノ上がそう言ってアクセルを踏んだ時、遠くから凄まじい爆音が響いた。皆が一斉に倉庫の方角を見る。

 夜空が赤く滲んだと思った瞬間、まるで倉庫が爆弾そのものかと言うように、屋根が吹っ飛び、壁面が倒れた。その中には、地獄のような火の玉が座り込んでいた。


「みんな、伏せて!」


 岩ノ上の叫びを、爆風がかき消した。少し浮いていたソリが揺られ、地面に叩きつけられる。皆必死に頭を腕でかばうが、流れ込んでくる熱波に、身を縮めるしか無かった。呼吸も苦しく、サウナを思い出す。

 熱波は一瞬だった。周りは、もうとっくに元の様相を取り戻している。ふらふらとサンタが起き上がり、皆を見回した。


「おい、全員大丈夫か!?」


 身体をかばう腕をゆるめ、みんなも起き上がった。意外にも、トナカイは何事もなかったように佇んでいる。彼の足腰のおかげで、ソリは転倒せずに済んだようだ。


「痛った……」

「お父さ──」


 鈴は咄嗟に叫ぼうとするが、熱にやられた咳のせいで上手くしゃべることができない。それを見かねたサンタが、何度も鈴の背中をさする。


「貴史さんは……どうなったんだ?」


 ぼうっと倉庫を眺める岩ノ上、首を振るサンタ。なおも咳き込みながら、鈴は叫び続ける。


「お父さん、お父さん!」

「鈴ちゃん……もうお父さんは……」


 サンタは悲しそうな目で、鈴を宥めた。諦めた様子のサンタを、祐子がキッと睨む。


「首を振らないで! あの人が死んだような顔をしないで!」


 びくっとしたサンタが、祐子を見つめる。


「貴史は思ったよりもしぶとい男なんでしょう!? そんな目をするな!」


 サンタは「すまない」と呟いて、そっと鈴から手を放した。鈴は嗚咽したままだ。


「みんな早く捕まって! 岩ノ上急いで!」


 呆然とした表情を浮かべていた岩ノ上は、その祐子の一声で正気を取り戻し、椅子に深く座り直した。ハンドルを握り、アクセルを踏む。

 ソリがもう一度ゆるゆると高度を上げる。トナカイはその上昇と共に、蹄を打ち鳴らした。鼻息をエンジンのように吹かし、四本の屈強な足で四股を鳴らす。

 その尻を岩ノ上が打つと、馬のような鳴き声を出して、足をばたつかせた。いや、駆けているのだ。筋肉が盛り上がり、ぐんぐんとスピードが上がっていく。

 未だに、ソリの上の動揺はほぐれていなかった。泣いて前を見ようとしない者、倉庫の方を眺め、呆然としている者、ただひたすらに、貴史の無事を祈って手を堅く握っている者。


 貴史は生きているのか。どちらにしろ、その結果はもう分かる。夜空を弾丸のように進んでいたソリを、遂に登った朝日が照らした。その瞬間、粉々になった倉庫がはっきりと姿を現した。核でも落ちたかのようだ。

 生きていてくれ。ソリの上では、その思いだけが渦巻いている。

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