第二十一話 因果応報
「ここだ! 降りてくれ!」
貴史の指示に、岩ノ上は急ブレーキを掛けた。下をのぞき見ると、大きな倉庫があった。きっと、稲葉物置に違いない。
ハッと周りを見渡したが、まだ太陽は出ていなかった。ギリギリセーフだ。
ソリはゆっくりと高度を降ろし、地面に着陸した。
「ありがとうございました。おかげで、何とか助かりそうです」
深く深くお辞儀をした赤木家に、岩ノ上とサンタは微笑んだ。
「いやいや、大丈夫ですよ。久しぶりにこんな早く走れた気がします。今後のレースで行かせたらいいんですけどね」
「儂はトナカイと充電を貸しただけだからな。ほぼ何もやっとらんよ」
謙遜する二人に、貴史は涙を零した。なんていい人たちだろうか。この二人に今日会えただけで、今回の旅行は大満足だ。ただ、拉致でプラマイゼロだが。
さっさと終わらせて、プラスにしよう。
「二人が中に行くと、またややこしくなるかもしれません。寒いかもしれないけど、外で待っててもらえれば。全部終わったら、お返しします」
「ああ。早いとこ頼むよ」
貴史はもう一度、深く礼をした。
「それじゃあ、急げ!」
貴史は他の三人に呼びかけて、倉庫のシャッターへと向かった。上から見たときも大きいとは思ったが、下から見るとさらに大きい。どうやら、彼らのアジトなのだろう。ここを本拠地にしているに違いなかった。
シャッターに走り込んで、力任せに叩く。
「おい! 持ってきたぞ! 早く開けろ!」
貴史が必死にシャッターを叩き続けていると、豪快なモーター音と共に、じりじりとシャッターが開き始めた。
赤木家は、一歩下がる。後ろに立っている二人を一瞬振り返って、一度深く頷き合った。
シャッターの向こう側には、夥しい数の人間がいた。全員黒いスーツに、黒いサングラスを掛けている。二十人ほどはいるだろうか。その中央には、ピエロの仮面を被った男が、ずんぐりと座っていた。どうやらあいつがボスらしい。
「遅かったじゃないか。ぎりぎりだぞ」
低く掠れた音が、貴史を貫く。
「覚醒剤を持ってきたぞ! 約束どおり、首輪を外す鍵を寄越せ!」
凄まじい剣幕で叫んだ貴史を、ピエロ男は笑った。
「はは! こいつら、ほんとに鍵くれると思ってるぞ! バカだな!」
ピエロ男は下っ端達を振り返って笑いかけた。その下っ端共もくすくすと笑う。
どういうことだ? 何を笑ってる? 届けたら、鍵をくれる決まりだろ?」
「おい、約束が違うじゃないか! 早く鍵を寄越せ!」
「無理だ!」
酒焼けか、煙草焼けか、がさがさの嫌な声が、倉庫に響き渡った。
「俺にこんな屈辱を味合わせておいて、たかが覚醒剤を運んだだけで助けてやると思ったのか? いいか? 俺はお前らを全員ぶち殺さなきゃ気がすまねぇ。だからって今逃げ出してみろ、娘の首がボーンだ!」
鈴が涙目で身を縮ませる。
「止めろ!」
「まだ何もやんねぇよ。騒ぐなバカが」
再び、倉庫の中に笑いが起こった。
くそ、ずっと騙されてたってことか。これで助かると思ってた俺がバカだった。こいつらを、全員たおさなきゃならない──というか、こいつは俺たちのことを知ってるのか? 確かさっき、『屈辱を味合わされた』って言ってたよな?
「お前、俺たちを知ってるのか? 誰なんだよ!」
貴史の問いに、ピエロは憎悪を孕ませた声で答える。
「ああ。この十五年間は、お前達のことしか考えてなかった。お前達にどうやって復讐するか、どうやって殺してやろうか、夜も眠れなかったよ」
ピエロの仮面が笑ったような気がして、貴史は一歩後ずさった。
「俺の正体を知りたいか?」
ピエロの呻くような声に、思わず貴史は深く頷いた。ピエロの手が、ゆっくりと仮面に近づいていく。赤木家に見せつけるように、ゆっくりと、ゆっくりと。
遂に仮面の顎を鷲掴み、男は一気に仮面を剥がした。宙に仮面が舞い、フラフラと落ちていく。その下に隠れていた素顔。それを見る赤木家の顔は、堅く強張っていた。
皺が刻まれた、五十か六十くらいの顔。頭皮の右半分が失われ、露になった皮膚は少し赤みがかっている。その下で笑う顔──見たことがある。
──あいつだ。
貴史の頭の中に、ある人物の名前が木霊した。中野盛夫だ。
中野盛夫。都こんぶを作っている──いや、作っていた、中野株式物産会社の、代表取締役だ。十七年前のクリスマスイブ、俺たちはこいつと知り合った。
確か、会社はもう潰れているはずだ。今何をやっているのかは知らなかったが、まさかこんなところにいるなんて。
「中野! お前、何でこんな所にいるんだ!」
「何でだと!? お前らのせいだろうが!」
中野の怒号が、銃声の如く響いた。周りのスーツ達が、一瞬びくっとなる。
「俺は十七年前、お前達に監禁された……」
下っ端達が、ざわざわし始める。いや、別にあれは監禁ってわけじゃあ……。
「屈辱だった。監禁され苦しめられた挙げ句、道路に放り投げられた俺は、その後どうすることも出来なかった。忘れもしねえ、あれは瀬戸大橋だったな」
中野は宙を遠い目で見つめた。
「本当はお前らのせいで車がつっかえていたのに、全部俺のせいになった。瀬戸大橋を大渋滞させた濡れ衣を着させられたんだ。お前らの悪知恵には、本当に驚かせられるよ」
「おい待て、俺たちはそんなつもりじゃなかったんだ」
「うるさい。言い訳をするな。善人を気取るんじゃない。いいか? 俺はあの一件でSNSに晒されて大炎上し、会社に抗議の電話が浴びるように届いた。その結果売り上げも落ち、会社を畳むことになったんだ。全部お前らのせいだ……お前らが、俺の人生を狂わせたんだよ」
中野の目は、怒りと悲しみが混ざり合っているように見えた。彼の会社の倒産は、俺たちのせいだったって言うのか……。
そこで貴史はハッとした。そもそもお前を持ってきたのはあのサンタクロースじゃないか! 俺たちを責めるなんてお門違いだ。知らんがなボケ!
「そんなこと、俺たちには関係ない! あの日、俺たちは買い物に行ってただけなんだ! わざわざお前を貶めてやろうなんて微塵も考えてない!」
貴史の抗議に、祐子も重ねる。
「そうよ! 私たちはあなたを貶めようとしてなんかない! こんな爆弾を娘の首に巻き付けて、そっちの方が何倍も悪いことしてるわ」
中野は祐子を睨みつけ、胸ポケットに手を入れた。刹那、銃声が鳴り、貴史の横で火花が散った。
「祐子!」
「お母さん!」
右肩を押さえて蹲る祐子に、貴史と鈴が駆け寄る。三太は声も出すことが出来ずに、細かく揺れる目で祐子を見つめていた。
熱い、と呻く祐子。その右肩には、血が滲んでいた。それがどんどんと広がり、腕にまで浸食してきている。火薬の匂いと血の匂いと、銃声の残響が五感に残っている。どういう行動を取ればいいのか、何も貴史には分からなかった。
かすり傷でさえ直視できない貴史には、当たり前のことかもしれない。
西部映画のように銃口に息を吹きかけた中野は、呻く祐子に銃口を向けて続ける。
「俺はあんたらが何であそこに居たのかなんてどうでもいい。俺はあんたらのせいで、人生が狂った。だから、あんたらを殺す。それだけだ」
中野は撃鉄を下げた。もう一発来る。貴史は咄嗟に祐子をかばおうとしたが、間に合わなかった。というか、そもそも標的が違った。
三太が倒れた。腹の底からのような呻き声を上げながら、必死に右足をかばっている。
「三太!」
鈴が三太を受け止めた。血が滴る右足に触れようかどうか、手を宙に漂わせて迷っている。
「お前、いい加減にしろ!」
貴史の中で、何かが切れた。目に映る笑顔の中野が、何重にもなった。
ああ、そうか。このために、このためにこのソリはあるのか。今までの道中が、貴史の中で全て繋がった。
──こいつらを、全員ぶっ殺してやる。俺の命に代えてもだ。
貴史の目に、炎が灯った。
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