第十九話 岩ノ上愛斗とジングルベル

 祐子が腰を抜かした体勢のまま叫んだ。そして、さらに腰を抜かした。


「ねえ、誰?」


 鈴が三太に聞く。


「知らないわよ。けど、とってもイケメンね。カワイイ顔してるじゃない」


 三太は岩ノ上に、むちゅっと投げキッスを放った。岩ノ上は雪と投げキッスを払いながら、すくっと立ち上がる。


「あの……助けてくれて本当にありがとうございました。では、さようなら」


 岩ノ上はもう一度お礼を言って、赤木家に背を向けた。さすがに退場が早すぎると思った貴史が、岩ノ上を呼び止める。


「あの!」

「はい?」と、岩ノ上が振り返る。

「なんでこんなとこに入ってたんですか?」

「ああ、それが──」


 岩ノ上は頭をポリポリと掻きながら、訥々と語り始めた。


「僕、サンタ競馬のプロをやってるんですけど……」

「私、いつもあなたに掛けてます! 応援してるわ!」


 祐子が手を上げ、岩ノ上にアピールをした。当たり前だ。この人は毎年あんたに一千八百万も掛けてるんだ。毎年家が建つ。


「そうなんですね! いつも応援ありがとうございます。でも、僕って勝てないでしょ……」


 岩ノ上は自らを嘲るように、弱々しい笑みを浮かべた。


「顔だけとんでもなくイケメンでも、意味がないんです。勝てなきゃね」


 自分でイケメンって言いやがった。ナルシストか。


「どうやら、今日僕がその袋の中に入れられたのも、それが原因みたいなんです」

「と、言うと?」


 貴史が先を促す。


「先日、暴力団的な、本当は何なのかは分からないですけど、とにかく悪い組織の組長が、僕に掛けたんですって。一位で」


 岩ノ上は人差し指を突き立てた。


「大穴狙いだったらしいです。僕はいつも下位の方だから、とんでもないオッズだったんでしょうね。でも組長の予想に反して、僕はいつも通り最下位を取ってしまった。そしたら、組長が怒って僕を拉致したってことらしいです」

「そんなの、ただの逆ギレじゃないか!」

「そうよひどいわ! こんなにイケメンなのに!」


 貴史と祐子が、岩ノ上の不憫さに同情した。


「そうですよね……こんなにイケメンなんだから、少しくらい許してくれたって良いですよね……」


 岩ノ上はそう言って、前髪を気にし始めた。それを見た貴史は、さっきの同情なんてどこへやら、自分の後退し始めたおでこを触って、嫉妬の炎を燃え上がらせた。


 前髪をいじるな! 殺すぞ!


「さっきはすいませんでした。折角助けていただいたのに、何もせず帰ろうとしちゃって。良かったら、何かお手伝いしますよ」


 日曜日放送国民的アニメのお金持ちナルシストのように、岩ノ上はさらっと前髪を払う動作をした。ベイビー。三太がはしゃいでいる。


「実は今困ってるのよ」


 祐子がソリに手を置いて言った。「どうしたんですか?」と言って、岩ノ上が近づいてくる。


「私たちも今その組織に拘束されててね、夜明けまでにこの麻薬を指定の場所に届けないと、娘の命が危ないのよ」


 鈴が自分の首輪を岩ノ上に見せつけた。


「これって全部麻薬なんですか!?」


 岩ノ上は驚愕する。


「もう夜明けまで時間がないですよ!? 早く行かないと!」

「それがね、充電が切れちゃったみたいなのよ」


 あちゃーと、岩ノ上はおでこをぺちんとやった。


「もしトナカイがいれば、僕ならソリで爆走できるんですけどね……」

「そうか。岩ノ上君はプロだもんな。トナカイがいて、ちゃんとソリも充電出来ていたら、超特急で目的地に向かってくれるわけか……」

「でも、トナカイも充電もないんじゃあ……」


 その場にいた全員が、腕を組んで項垂れた。そのとき。


──シャンシャンシャン!


 夜空の向こうから、楽しげに鳴り響く鈴の音が聞こえてきた。


「あ! ジングルベルよ!」


 三太が空を見上げた。この感じ、体験したことがあるな……。貴史の脳裏に、十七年前の光景が思い浮かんだ。鈴の名前の元になった、あの鈴の音だ。忘れるわけがない。俺にとって、人生で一番印象的な音だ。ということは……。


「おい、あれを見てみろ!」


 遠くの方から、空を駆ける影が近づいてきていた。どうやら、あそこからベルの音が聞こえるらしい。どんどん近づいてくる。目を凝らすと、どうやらトナカイを二匹携えている。大きなソリに、一つの人影。赤いコスチュームを着た、お爺さんのようだ。


「おい! あれって!」

「もしかして、あの時の!?」


 貴史と祐子がはしゃいでいる。


「おい三太、覚えてるか!? 十七年前、サンタクロースに車で煽られたことがあっただろ!?」

「ええ? う~ん、何となく覚えてるかな……」


 三太が首を傾げて考え込む。


「あの時のサンタクロースだよ! 絶対そうだ! みんな、あのサンタを呼び止めろ!」


 みんなで大きく手を振って、サンタに向けて叫び散らした。まるでヘリコプターに救助を要請するときのようだった。地上で起こっている喧噪にさすがに気付いたか、サンタはこちらをちらりと見て、徐々に高度を下げ始めた。

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