第十七話 白亜紀にて

 鳥のような、爬虫類のような奇怪な鳴き声で、貴史は目を覚ました。


 周りを見渡すと、どうやらジャングルのようだった。木も花も、なにもかも大きい。遠くの方では、くそでかいトンボが飛んでいる。


「おいみんな、大丈夫か?」


 三人は頭を抑えながら目を開け、周りの景色に驚愕の声を上げた。


「うわあ、すごい!」

「いやあ! 虫がいっぱい飛んでるわ! 気持ち悪い!」

「三太、またオネエになってるわよ」


 祐子の指摘に、三太はまたハッとした。もうクセ付いてしまっているようだ。

 なんとなく全員でソリを降りたところで、ナビが言った。


『皆さん、到着致しました。ここで、へっぽこ家族に良いニュースと悪いニュースがあります』

「ニュースだかなんだか知らないけど、早く帰らしてくれ!」


 貴史が声を張る。が、様々な生物の鳴き声にかき消されてしまった。


『まずは、良いニュースです』


 ナビは淡々と続ける。


『おめでとうございます。あなたたちは、白亜紀に踏み入った最初の人間です』

「ここって白亜紀なのね! すごーい! 見てみて! 大きなマリファナみたいな草が生えてるよ!」


 もうマリファナで例えるのは止めてくれ。


「それで、悪いニュースってのは何なんだ?」

『悪いニュースは、二つあります』


 半笑いで、ナビが言った。


『一つ目は、隕石衝突前の一時間前に飛んできてしまったことです』


 赤木家はそれを聞いて、反射的に空を見上げた。空の奥に、赤みを帯びた岩石が見える。周りが赤く滲み、そこだけ夕焼けのようになっていた。


「やばいじゃないか!」

「でも、すぐ帰れば関係ないわよ」


 祐子が落ち着いて言う。その言葉に反応したように、ナビが続けた。


『二つ目は、充電が切れたことです』


 シャットダウンのような音が聞こえ、そのままナビの画面が暗くなった。

 一瞬、思考が中断した。え? このソリって充電式だったの?


「おい、ちょっと待て! ソリ町! おい!」


 呼びかけても、何の反応もない。タブレットを触ってみても、全く動く気配はなかった。


「ヤバいじゃない! 帰れなかったら全員隕石で絶滅よ! どんだけ~」


 三太は、人差し指を立てて、左右に振っていた。その後ろで、鈴と祐子が抱き合いパニックになっている。


「どうしよう! 帰れないわ!」

「どうするって言ったって……どうしようもなくない!?」


 鈴の言うとおり、本当にどうしようもない。ああ、俺が温泉旅行に行こうなんて言わなければ、こんな意味の分からないところで死ぬこともなかったのに。


「みんな、ほんとにすまない……俺が、俺のせいだ……」


 貴史の涙が、太古の土に吸われていった。崩れ落ちて泣いている貴史の周りに、みんなが集まってくる。


「しょうがないわ。運命よ。私たち家族は、最後まで一緒。あなた、愛してるわ」

「そうだよ。最後にもう一度葉っぱ吸いたかったけど、仕方ないよね。今まで反抗的な態度取ってたけどさ、本当はお父さん頼りにしてるよ」

「そうよ。貴史、あんたはかっこいいんだから、前を向いて、胸を張りなさい」


 貴史の背中に、三人は温かい言葉をかけた。三つの手の温度が、貴史を包んでいった。

 ああ、俺は、幸せだ。このまま恐竜たちと一緒に死ねるなら、本望だ。


『そうよ。その情けない顔をどうにかして、さっさと立ち上がりなさい』


 家族の声に続くように、ナビの声が聞こえてきた。ハッ。ハッ。ハッ。と、不器用に笑っている。こいつ……。


『騙されましたか? 私の充電はまだあります! ハハ! 感動的なシーンを濁して申し訳ございませんね。さあ、さっさと帰りましょう。あ~久しぶりにこんなに笑いました。傑作です』


 赤木家の八つの目が、ソリ町を睨みつけた。


「殺すぞボケが!」「死ねカス!」「水に沈んで壊れろ!」「ソリ町隆史っていう名前全然面白くないからな!」


 四人の罵倒が入り乱れる。ソリ町は、半笑いで赤木家をあしらった。


 しばし四対一で言い合いをしていると、森の奥から、振動が伝わってきた。一定の間隔で、どんどん大きくなってくる。腹に響く、重厚な振動だった。


『森の奥に、生体反応あり。こちらに接近中のようです。これは……非常にキケンです!』


 ソリ町の機械的な音声に、一瞬恐怖の色が混ざった。


「もしかして、恐竜か?」


 森を覗いている貴史を、三人が引っ張る。


「早く! 食べられたらどうするの?」「早く乗りましょう!」「そうよ! 走りなさいよ、このスカポンタン!」


 なんとかソリに乗り込み、キラキラのリンゴを押した。


『すいません、もう一つ、悪いニュースです』

「くそ、またか!」

『出発までに一分かかります。その間、なんとか時間を稼いで下さい』


 くそ、どうする。一分? もう足跡はそこまで近づいてるぞ。

 三人は座席の上で、落ち着かないようにうずうずしている。


「ひっ……」


 森の方を見た三太が、急に静かになり、口を手で覆った。やばい。


「みんな、静かにしろ」


 そう言いながら森を見ると、木と木の間から、とんでもなく大きい牙が覗いていた。ぬっと現れたその顔は、ソリよりも大きい。小さな黄色い目、赤黒い鱗に、涎にまみれた大きな口。


「ティラノサウルスだ……」


 ティラノは赤木家の方をゆっくりと向いた。すると口を大きく開き、天高く咆哮した。


 身体を全て吹っ飛ばされるかのような音に、必死に耳を塞ぐ。あんなラジカセなんか、足元にも及ばない。


「やばい、もうほんとに終わったわ!」


 泣き叫ぶ三太、下を向いて震えている鈴、泡を吹いて倒れている祐子。

 どうする? どうすれば? 考えろ!


「ソリ町! あと何秒だ?」

『あと三十秒です』


 貴史は、ドスドスと近づいてくるティラノを見やった。何か違和感がある。なんだろうか。

 問題は、その目線にあった。少しだけだが、赤木家の方向からずれたところを見ている。その目線の先には──。


「トナカイだ!」


 そこには、首を変な方向に曲げたトナカイが投げ出されていた。こいつを食わせれば、逃げられる!


「みんな! トナカイを縄から外せ!」

「そうか、トナカイを食わせればいいのね!?」


 三太が叫んだ。祐子は気絶したまま。鈴は震えている。


「二人でやるぞ!」

「ええ!」

『あと二十秒です』


 ソリ町の声をスタートの合図にして、二人はソリから飛び降りた。一目散にトナカイへと駆け出す。


「これどうなってる?」

「あ、これ簡単よ! トナカイの轡を外せば良いだけだわ。任して!」


 三太は素早い手つきで、トナカイから轡を取り外した。縄も外して、ソリに乗っける。


「よし、これでいい。戻るぞ」


 三太は頷くよりも前に、ソリへと駆け出していた。貴史も必死に追いかける。

 この時点で、ティラノは背後二メートルほどに迫っていた。ぎりっぎりだ。


『あと五秒です。 皆さん、捕まってください』


 ティラノが、トナカイを咥えた。バキバキという骨を断つ音が、身体に響いてくる。貴史はその様子を見ながら、荒れ狂う心臓を必死に抑えていた。


『さあ、出発です』


 ナビがそう言うと、視界が虹色に変わった。これで、助かる。貴史は、胸をなで下ろした。あのティラノも一時間後には死んでいると考えると、なんだかかわいそうだ。

 行きと同じように息が出来なくなって、貴史は気を失った。

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