第十六話 ソリ町隆史

 そこから二十分ほど走っただろうか。吹き付ける風に、身体が冷えてきた。身体を小刻みに震わせながら、鈴が言った。


「床暖房とかないわけ? 扇風機があるんだから、もちろんあるでしょ?」

「そうよ。というか、ソリなんて冬しか使わないのになんで扇風機あるのよ。ちょっとは考えなさいよ!」


 三太も縮こまりながら、誰かも分からない開発者に悪態をついた。


「じゃあ、他の奴押してみるわね」


 祐子はタブレットを覗く。貴史はもう何も言わなくなっていた。


 りんご、みかん、ぶどう、その下には、そのキラキラしたバージョンが三つ並んでおり、その横に『ナ』と書かれたボタン、四つ並んだ下に、一つドクロマークのボタンがある。上から、三個四個一個。ダイアモンドみたいな形だ。


「さすがにこのドクロは押しちゃ駄目よね」

「当たり前だ。きっと自爆装置に違いない」


 貴史は手で制しながら、祐子に釘を刺した。


「じゃあ、このキラキラしたみかんを押してみるわね」


 祐子がみかんを押す。すると、ゆっくりと視界が回った。


「ん? このソリ回ってないか?」


 貴史の脳裏に、とある光景が思い浮かんだ。いつも家族で行っていた遊園地。三太と鈴が、無邪気に笑う顔。隣で髪をなびかせる祐子の美しさにチラチラと視線を奪われながら、俺は懸命に真ん中の円を回す。


……コーヒーカップだ!


「お前ら! 後ろの覚醒剤が飛ばないように、しっかり支えとけ!」


 三太と鈴が必死に後ろの袋にしがみついた瞬間、勢いよくソリが回り始めた。


「振り落とされるなよ!」


 人とはこんなに叫べるものなのかと思うほど、みんな絶叫した。小さくなった街の明かりが、横長い線になる。上を見上げれば、星の残像が、夜空を切り取ろうとしていた。

 そんな変な表現が出てくるほどに脳味噌は遠心力で揺さぶられ、胃の中にあるものがこみ上げてくる。もう吐きそう! と思ったとき、ソリはゆっくりと回る速度を緩め始めた。


「おええ!!」


 三太は、すでに吐いていた。鈴と祐子も疲れ切った表情をしている。


「みんな……大丈夫か?」


 そう言っている貴史本人も、全然大丈夫ではない。


「一旦休憩しよう」


 声にならない声で、三人が返事をした。


「ああ、疲れた……」


 祐子が、思わず手をついた。そこには、タブレットがあった。祐子の指が、隣のキラキラぶどうに触れた。


 ポチッ!


「ごめん! 押しちゃった!」

「おいおい、今度は何だ?」

「もうやだ!」

「もう勘弁し……オロロロロロロ!!」


 すると、ソリがどんどん上に上がっていく。前方だけが上を向く。背もたれに身体が押しつけられ、視界が夜空で埋まった。


「ちょっと、高度上げないでよ! 怖いじゃん!」


 鈴が叫ぶ。


「いや待て、俺は何にもしてないぞ! おい祐子、もう一回押せ!」

「さっきから押してるわよ! 何にも反応しないわ!」


 焦る祐子、貴史。怖がる鈴、吐く三太。

 この時、四人の脳裏に、共通の乗り物が浮かんでいた。ガタガタと揺れながら、上に上に高度を上げていく。そしてやがて、地へと落ちる。そう、何度も行った遊園地、それの定番の乗り物。


……ジェットコースターだ!


 高度はどんどんと上がり、ソリが水平になった。


「やばい! 来る! みんな何かにしがみつけ!」


 ソリが、ゆっくりと下を向いた。貴史は目をぎゅっとつむる。しかし、そこからソリは動かなかった。


「これ、寸止めのタイプ──」


 貴史が言い終わらないうちに、ガコッという音がして、ソリが急加速した。

 赤木家の慟哭が、クリスマスを彩る。


「おいおい、あのソリ大丈夫か? 一回転してるぞ? とんでもないスピードじゃないか」


 周りのサンタ業者も、荒ぶれる赤木家のソリに釘付けだ。

 ソリは上に下に、右に左に、ぐるっと回ってたまにねじられながら、三次元を目一杯に暴れ回っていた。夜空に乱暴なお絵かきをしているようにも見える。

 一分間の疾走後、やっとのことでソリは止まった。

 呆然とした表情を浮かべる赤木家、その顔は青白く、視線は宙を漂っている。


「こりゃあ……どんなクスリよりも飛べるね……」


 鈴はへにゃへにゃとした声で言った。三太は倒れているのだろうか。姿が見えない。まさか、振り落とされたんじゃないだろうな。


「三太、いるか?」

「ああ」


 むくっと起き上がった三太の顔は、さっきよりも凜々しくなっていた。


「あ、オカマじゃなくなってる」


 鈴の一声に、三太は自分の顔を触った。


「ほんとだ……なんか、正気に戻った気がするよ」

「私、オカマの方が好きだったけどな」


 三太を眺めながら、祐子は言った。


「まあ、元に戻って良かった。奇跡的に覚醒剤も無事みたいだし、行こうか」


 返事はなかったが、貴史はアクセルを踏んだ。ハンドルを握り、前を向いたところで気付いた。トナカイの首が、あらぬ方向を向いている。


「うわっ、死んでる!」


 貴史の一声に、他の三人の視線が、トナカイに集まった。力が抜けて、四本の足がぶらんぶらんしている。首が百八十度曲がり、自分の背中にくっついていた。


「うわあ……見てらんない」


 三人は思わず、目をそらした。それでもソリは進んでいく。

 やっぱり、トナカイは本当に飾りなんだな……。


「じゃあ、気を取り直して、この『ナ』を押してみましょうか」

 祐子が高らかに言った。

「おい嘘だろ? またジェットコースターだったらどうするんだ?」

 この人のバイタリティと、向こう見ずな性格は理解出来ない。

「大丈夫よ。多分これ、ナビがつくんじゃないかしら。押すわね」

「おいちょっと──」


 ポチッと言う音が聞こえた。


 三太と鈴は身構えて、互いに抱きつき合っている。当たり前だ。もう限界だろう。

 貴史もハンドルを強く握って警戒していると、そんな心配とは裏腹に、それまで黒い画面だったナビがぽわんと光った。


「お! 本当にナビじゃないか!」


 三太と鈴は、安心したのだろうか、溜め息をついている。青白い光の中から、機械的な女の声がし始めた。


『こんばんは。へっぽこ家族ども』


 一瞬で、赤木家全員の表情が固まった。


『ちょっとソリが動いたくらいでピーピー泣き喚きやがって。情けないったらありゃあしません。ところで皆さん、顔色が悪いですよ。ああ、元からか』


 単調な声で、淡々と悪口を言ってくる。女の人の声だった。


「おい、なんだこれ。直ぐに消してくれ」

「分かった。もう一回ボタン押してみる」


 祐子がもう一度『ナ』のボタンを押した。しかし、ナビは消えない。


『バカの一つ覚えみたいにもう一回押せば消えると思わないでください。いいですか? 私はもう二度と消えません。覚悟しておいてください』


 くそ、また変な機能だ。しかも胸くそが悪い。最悪なボタンを押してしまった。


『皆さま、まさかジェットコースターごときで満足していませんよね? 今から私が時空の旅に連れて行ってあげましょう。ふにゃふにゃの肝を鍛えてあげます』

「ちょっと待て、時空の旅だと? タイムマシンの機能もあるのか?」

『当たり前です。私を誰だと思ってるんですか? ソリ町隆史ですよ?』


 このソリってそんな名前だったのか。まさか俺と同じ名前とは。声は女なのに。


「あ、分かったわ! だからこのナビには毒っ気があるのね! 知ってる? ポイズンよポイズン。あんた、上手いこと言うわね。感心しちゃうわ」


 高らかに三太が言った。


「おい、オネエが戻ってるぞ」


 三太はハッと気付いて、大きく呼吸をした。気を抜くとオネエに戻ってしまうらしい。


『そこのおばさん』

「何よ!」


 ナビが祐子を呼んだ。俺のハニーをおばさん呼ばわりしやがって。許さん。


『キラキラりんごを押してみなさい。時間旅行が出来ます』

「押すもんですか。また面倒くさいことになる」

『まだ分からないのですか? 私はへっぽこが嫌いなんです。そんなに押したくないのなら、私が独断でやりましょう。途中で振り落とされると二度と戻ってこれないので、どこかに捕まってください』


 次の瞬間、ソリが光り出し、突然周りの風景が虹色になった。とんでもないスピードで加速していく。叫ぼうとしても、声が空気に押し戻される。そのまま息が出来なくなって、貴史は気を失った。

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