第四話 馴れ初めは水晶玉
無事に朝食が終わり、鈴は学校へと駆け出していった。今日は仕事だが、家を出るまであと三十分はある。もう少しだけだらだらしていよう。
洗い物を始めた祐子を眺めながら、貴史は食後のミドリムシジュースを飲んでいた。なんとも言えないお味だ。甘いけど、甘いだけ。ミドリムシが入っていると思うと、その甘さが逆に気持ち悪い。
「なあ、このジュース残しても──」
「駄目よ!」
貴史が言い終わらない内に、手を忙しなく動かしていた祐子が吠えた。
「そのミドリムシジュース高いのよ!? 体中のがん細胞も破壊してくれるし、お肌にもとっても優しいんだから。毎朝これを飲むだけで、十歳は寿命が延びるって言われてるの。覚悟して飲みなさい!」
そんな魔法みたいな効果があったのか。俺の身体をこんなに気遣ってくれているなんて。本当に、この人と結婚して良かった。
祐子と出会ったのは、今から二十五年前の雪の日だった。俺はその時二十二歳で、就職活動に傷心していた。山のように届くお祈りメールに、涙を傘で隠しながら歩いたことを覚えている。
その帰り道だった。半ば恐怖症じみていたオフィス街の一角、薄暗い路地裏のようなところに、占いをしているブースがあった。その時俺は就職活動で悩んでいたから、自分の将来を占ってもらおうと思ったのだ。
紫と黒で出来たデザイン。具体的に言うと、学習机ほどの机に、黒い布が被せられ、客側に紫色のこれまた布が垂れ下がっていた。そこに、白い行書体で『うらない』と書かれていたと思う。
屋台っぽい屋根もあったし、居酒屋にある暖簾みたいなものもあったが、それはあまり詳しく覚えていない。そう、横に電子看板もあった。
とにかく、路地裏にあることも相まってか、かなり奇妙な佇まいだった。しかしそれ故、妙な色気があったのだ。実際、俺はここで運命的な出会いを果たすことになる。
俺は吸い込まれるようにして暖簾をかき分けた。すると、線香のような匂いが鼻をつき、その先には顔を隠した女の人が座っていた。机の上には、お約束とでも言うように水晶玉。それを撫でる女の人の手がとても綺麗で、若いことが一瞬で分かった。
『そこにお座り下さい』
声も若かった。俺は言うとおり、質素なパイプ椅子を引いて、ゆっくり座った。
『何を占って欲しいんですか?』
『あ、えっと、その前にですね、いくらで占ってもらえるんですか?』
『お代はいりませんよ』
黒い布にうっすらと透けた唇が、にこっと微笑んだ。俺はその瞬間、その人に惹かれたのだ。先に言ってしまおう。この人が祐子だ。俺は背筋を伸ばし、ネクタイを締め直した。
『そ、そうなんですね。しょ、初回無料みたいなことですか?』
『いえ、あなただからです』
机に投げ出していた俺の手に、祐子の手が重なった。この時、俺は完全にノックアウトされた。
『実はさっき、自分で占いしてたんです。次にきた男のお客さんが、私の人生の伴侶だって、水晶が言ってくれました。だから、私を貰ってください。このまま、あなたと一緒に──』
祐子はそのまま顔の布を取った。その下には、とんでもない美人が微笑んでいた。嘘じゃなく、本当に女神様か何かだと思った。考える暇もなく、俺は結婚を承諾した。
『僕があなたを守ります』
自分でも、ここはかっこよく言えたと思う。
そんなわけで、俺と祐子は結ばれた。まさかこんな美しい人が俺のお嫁さんになってくれるなんて! もしあの時就職活動をしていなかったら、祐子に会うことはなかっただろう。真面目なあの時の俺に感謝だ。
その後、信じられないことだが、親に結婚を反対された。親に祐子を紹介し、馴れ初めまで話したところで。「結婚詐欺だ!」と叫ばれたのだ。それも祐子の前で。こんなにかわいい人が、詐欺なんてするわけがない。俺の怒りは頂点に達し、親との縁を切った。
結果、祐子は本当に俺の嫁になってくれた。しかし、彼女に当時のことを聞いても、何も答えてくれない。まあ、そのミステリアスな感じが大好きなのだが。
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