13 なつの終わり 2
珍しくスカイサイクルは混雑してなかった。遥か前方に仲の良さそうな若い男女が時折夏の日差しのような高らかな笑い声をあげていた。
「ほんとに、、辞めちゃうんですか?」
Rは俯いてそう言った。F氏はRの小さな肩が震えているのをみて、耐えられない苦しみに苛まれた。けれど、自分がRのお祖父さんに相応しい存在であるとも思えなかった。夢は必要だ。虚構が息のあがった誰かを休ませる最高の手段にもなり得る。けれど、どんな物語でも最後のページがあるように、いつか終わりが来なければ、現実に戻らねば人は前へ進めないのだ。
「ああ、、しかし、Rちゃんは本当に」
優そっくりだったよ、と言おうとしてF氏は口を噤んだ。彼自身もまた、幻想から抜け出せていないのを悟った。
「私、、いつも思うんです」
そうぽつりぽつりと喋り始めたRの瞳から涙が溢れていくのをF氏は黙ってみていた。彼女の涙を止めてはならない。彼は彼女の涙を拭おうとする右手を左手で抑えた。
「どうして、、どうしておじいちゃんが私より先に死んじゃうのかなって。だから、こう思うようにしたんです。生きているということは果てしない罰を受けることなんだって。天国まで続く螺旋階段を錘の枷をつけながら昇っていく。それが生きることなんだって。でも、わかんなくなっちゃいました。Fさんに海の景色をみせてもらった時。どうしても生きていることが罰だとは思えなくなりました。じゃあどうしておじいちゃんは死んじゃったのって。もう一度Fさんを私のおじいちゃんだと思い込もうとしてもできませんでした。だって、本当のおじいちゃんじゃないから。私は生きている価値なんてありません。できるならおじいちゃんや優さんにこの命を捧げたい」
ペダルを漕ぐ足が止まって彼女は嗚咽した。F氏はゆっくりと空を仰いだ。彼の皺でいっぱいになった硬い手がRの背をなでた。そして彼はまっすぐ前をみつめて語りだした。
「さっき言った優の絵。どうして小豆島が動かなかったのか。凛ちゃんはわかるかな。龍安寺にはね、15の巌が配置されてるんだけど、ひとつは必ず見えないようになっている。お見舞いするたびに優は熱心にそのことを話した。小豆島がその巌の位置なんだ。はじめ俺はどうして、俺の故郷がその位置なのかわからなかった。けれど、凛ちゃんと話して、自分でも考えてわかったんだ。優はこんな風に言いたかったんじゃないか。人はみな完璧じゃないって。不完全で、ふしだらですぐ調子に乗る、欠点ばかりだ。けれど、聲をあげている。明るくて優しくて美しい聲を。いっけんそれは無駄なようにみえて、必ず誰かがそれを知っている。生きているという証はそう簡単には消えない。実際さ、優は俺の心の中でちゃんと生きてる。ありふれた考えだけど、しっくりくるんだ。凛ちゃんのおじいちゃんだってそうだね。
死は誰にだって訪れる。それは間違いない。死んだら魂は永遠になって、生まれる前の状態に還っていく。それに比べて生きている時間はとっても短い。1年生きようが100年生きようが、この宇宙が始まって終わるまでにくらべたらほんの一瞬しかない。俺はその一瞬に、優と出会えたことを忘れない。必ず次の世代に伝えていく。伝える方法は、生きることだと思うんだ。俺は優のおじいちゃんとして生きようと思う、それが命を絶やさないということなんじゃないかな」
凛は大粒の涙を流しながら、何度も何度も頷いた。
「私も生きる、おじいちゃんの孫として生きるよ」
穏やかな日差しが遍く我らを照らしている。日の光を浴びた緑たちは瑞々しく葉を繁らせ、眩しげに仰ぐ人々は生命を響きあう。
「今日も暑いなぁ凛ちゃん」
「藤さんがあおいでくれるから平気です」
二人は木陰にあるベンチに座っていた。藤氏は売店で買ってきた団扇で凛に風を送っていたが、はっと思い出して鞄を漁った。
「俺は口下手だからさ、いつも出逢った人たちを絵にしてるんだよ。だからさ、今日も凛ちゃんとおじいちゃんを描いてみたよ。復帰作かつ自信作だ。受け取ってくれるかな?」
藤氏は一枚の絵を渡した。それは大きな桜の木の下で休んでいるおじいちゃんに笑っている凛の絵だった。凛は嬉しそうにその絵を眺めて、それから藤氏を抱きしめた。優、俺も友達が出来たよ。藤氏は青く果てのない空に呼びかける。夏が終わろうとしていた。
「それじゃ、行こうか」
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