7 偶像 1

 Rは精神的な疲労に起因する頭痛を胎児のように丸まることで耐え忍んでいた。美しい沃野を思わせる額に粒ほどの汗が噴き出て、枕へと伝っていく。Rは目を閉じて夢の世界へ逃避しようと試みる。祖父が死んでからRはずっとこんな風だった。

「Rちゃん、今日は良いお天気よ。お母さんと一緒にお散歩しない?」

「、、いらない」

Rは何かをするという気力を全て剥ぎ取られ、重い大気に押し潰されたまま、津波のように分厚い睡魔が訪れるまで目を閉じた。閉じた先の世界に浮かび上がる小さくなった祖父の清々しいほどに白を纏うその姿をRは忘れることが出来なかった。

 波の打ちつけるような音がして、Rは窓の方に頭をもたげた。通り雨が大勢の小人が懇願するように窓を叩いていた。Rは常習的になってしまった溜息をつくと、芋虫が威嚇するように身体を起こして、パソコンを取り出した。咄嗟にRは部屋の鍵が閉まっているのを確認する。不気味な青白い画面が息をしている。彼女は胸がだんだん高鳴り、腕が震えるのを必死に抑えながら、カーソルを動かしていく。その先にあるサイト名を「IDOL」と言った。表向きは単なる求人サイトだが、一般的な募集とは違った特殊な要望が依頼されていた。その多くが、「亡くなった〇〇になってくれ」というものだった。アルバイトの形式をとる為、時給や日給が発生する。依頼者の名前の下に書かれた金額がその人が出せる最高額であり、そこから一週間連絡を交わすことで互いの希望に擦り合わせていく。言うなれば逆のオークションということだ。また、プライバシー保護やセクシャルハラスメントにも厳格で、決められた時間外に連絡を交わすと、契約終了後にアカウント停止処分か酷ければ解約、通報にまで繋がる。それ以外は一般と同じだ。

 Rは依頼人のページを無関心に繰っていく。依頼内容を何時間も見続けると、まるで死体に群がる蠅のような惨めな気分になるから、Rは嫌だった。こんなことで死者との思い出が埋め合わされるわけがない。そんな事はわかっているのだ。それでもRはもう一度祖父に抱きしめてもらいたいという願望を抑えることが出来なかったのである。

 そして二人は出逢った。RがF氏を選んだのに特に意味などなかった。ただ、子供らしくもある衝動的な感覚に連れられて、彼のページを開いただけだった。そこには、背筋を伸ばした老紳士が、真新しい青色のランドセルを背負った少女と映った写真があった。彼の手は少女の両肩を優しく包みこむように置かれ、本人も彼女もこの世にこれ以上の幸福を見つけられないと言わんばかりの満面の笑みを浮かべていた。

「去年、優(私の孫娘)が病気で亡くなりました。いまだに私は深い悲しみから抜け出すことが出来ません。ですが、それでも構わないと思うのです。私は優が居ないこの世界に未練はありませんから。しかし、彼女と交わした約束の大半が叶えられないまま、私をこの世界に繋ぎ止めています。どうか、お手伝い願えないでしょうか」

Rは、依頼人のF氏が自分の手で生涯の幕を引く、その最期の局面で障害に阻まれ、辛うじて生き永らえていることに残酷さを感じた。それと同時に、人間が自らの手で惨たらしく死ぬまでに現れる最後のの存在を生々しく感じとった。そのはR自身にとっても、身近なものだったから。彼女とF氏だけじゃない。凡ゆるところの、自らの死を望む者の前には等しくがあって、皆で登っていく。だが、垂直のそれは彼らをあと一歩のところで傲然と跳ね除ける。辺りには深い霧が立ち込めていて、彼らは各々が単独で挑戦している風に思い込んでいる。けれど、私だけは深い霧の奥で、唯手だけを伸ばして居るかもわからぬ仲間を探す、言わば盲目のF氏を見つけたーーそんな風に彼女は思った。二人なら壁を越えられる。二人ならその先に行くことが出来る。Rは一縷の望みを賭けて、彼にメッセージを送ることにした。その瞬間から、彼女の出発は始まっていたのである。

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