3 恋人役
……。
聞き間違いかな?
「すみません、もう一度お願いできますか」
「その、一定期間で良いんです。この、」
マミヤさんは、こっちを不安そうに見ている自分の兄を指さして、
「頼りない兄の恋人役をしていただきたいんです。あなたに」
「……」
どうやら、聞き間違いではなかったようだ。
「期間限定のバイトだと思っていただけると分かりやすいかと思います。相応のお金はお支払いします。口約束にはしません。きちんと手続きも踏みます。どうか、兄の力になってやっていただけませんか……!」
ちょっと信頼してしまったマミヤさんの願いを素気なく切り落とすのは、心が痛む。
けど。
「……その、お兄さんが全くこの話に入ってきませんが……?」
「あ、ああ。私が黙っててって言ったからですね。いいよ、兄さん。話して」
「いいの?」
「いいよ。けど、また変なこと言ったらぶっ飛ばすよ」
「……」
クリウス、さんだという人は、改めて私に目を向ける。
「……ええと、昨日や先程は、失礼しました。俺はクリウス・オールグレーンと言います。妹にほぼ全て言われてしまいましたが、あなたに、その、期間限定での恋人の役を頼みたいのです」
真剣に私を見つめるその顔に、思わずドキリと胸が鳴ってしまった。
落ち着け、私。ただ顔がいいだけだ。
「あ、そうは言っても、ハグだとか、キスだとか、身体的接触を求めることはありません。ただ、周りにあなたを、『自分の恋人だ』と紹介させていただきたいのです。期間は……およそ三ヶ月ほど、でしょうか。もしかしたらもっと短くて済むかもしれません。……引き受けてくださいませんか……?」
また、昨日のような、しゅんとしょげたような空気を纏う兄、もといクリウスさん。凛々しかったその顔が、捨てられた子犬のようなそれに見えてくる。
「…………えっと……」
突拍子もない話を、なんとか脳内で整理しようとして、ハッと気づく。
「……つかぬことをお聞きますが、クリウスさん」
「はい」
「マミヤさんは、生徒手帳という身分証を見せてくださいました。念のため、あなたからもなにか、身分証かなにか、確認出来るものを見せてくれませんか?」
名乗ってもいない私のこの申し出は少し厚かましいものだと思うが、こっちは頼まれている側だし、まだ、その意味不明な相談内容の全容が見えていない。
そんな思いで言ってみると。
「ああ、すみません。……そうですね。これとこれ、で、良いでしょうか」
クリウスさんがコートの内側から出し、テーブルに置いたのは、運転免許証と大学の学生証。
免許証は、取り立てなのか緑。名前に間違いはなし。そして大学の学生証が、というかその大学が、頭の良い人達が通うことで有名な大学だったので、少し、身を引いてしまった。
「……はい。えっと、その、分かりました。ありがとうございます……」
私が二つのカードをクリウスさんのほうへ戻すと、「いえ」と言ってクリウスさんはそれらを仕舞った。
と、ここでまた気づく。
さっきのクリウスさんの免許証と学生証の、生年月日の欄。
「あの……つかぬことをお聞きしますが……オールグレーン……えと、クリウスさんは、二十歳、なんですか……?」
「え? はい」
「私、十九なんですけど……私のこと『お姉さん』って……」
「え、あ、それは、いだっ?!」
「?!」
クリウスさんは目を泳がせたあと、その顔を歪ませた。
「バカ兄が」
マミヤさんが低い声で言う。
ダン! と下から音がしたことから察するに、どうやら、マミヤさんがクリウスさんの足を盛大に踏みつけたらしい。
「いやっ、違くて! ほら、お嬢さんって言ったらなんかキザったらしいだろ? 娘さんなんて言語道断だし。間を取ってお姉さんって、痛い!」
マミヤさんが二撃目を
あー、でも、まあ、そういう理由なら、納得できなくも、ない、ような……?
「……その部分は理解しました。……それで、なんで私なんですか?」
「え?」
クリウスさんが涙目を向けてくる。
「なんで私がその役をする必要があるのか、他に適切な人はいないのか、そのあたりが知りたいんですけど」
「ああ、はい、それは。……その……」
クリウスさんの目が泳ぐ。
「兄が
マミヤさんが口を開く。
「で、それは誰だと聞かれたわけです。兄に恋人などいませんから、答えられるわけがありません。その場しのぎの言葉で会場をあとにしようとした兄は、友人に捕まり、ここにいるのかと聞かれた。はぐらかそうとした兄に、
マミヤさんは、ハァ、と溜め息を落とす。
「兄の恋人は誰だと、今やその噂で持ちきりです。両親だって寝耳に水です。だって、嘘なんですから。けど、この状況を脱しなければなりません。兄の恋人、すなわちオールグレーンの後継者の恋人。色々な業界に軽くない影響を及ぼします」
すごい話だね?
「で、私も早々に恋人がいるなどという嘘を見抜いて、兄に迫ったわけです。どうする気か、なにか算段はあるのか、と。で」
マミヤさんはクリウスさんに顔を向け、
「とても正直に、もうどうすればいいのか分からない、と泣きつかれました」
「な、きつくまではいってなかったとおもう、んだけど……」
「で、兄の恋人役をしてくれそうな人を探し始めたんです」
マミヤさんはクリウスさんの言葉を華麗に流して、私に向き直った。
「……。オールグレーンの後継者なら、恋人になりたい人は沢山出てくるんじゃないんですか?」
「そこが問題なんです」
マミヤさんは、とても残念なものを見るような目で隣を見る。
「そういう方々は本気で兄を狙ってくる。仮の恋人から本当の恋人になろうとしてくる。で、兄はそういう押しの強い人に弱いんです。下手に知り合いから恋人役の人を選ぶと、兄は最悪力を搾り取られてカスッカスになります」
カスッカス。
「お前、カスッカスはないだろ」
「そうならない自信、ある?」
「……」
クリウスさんは苦い顔になって、そろりと私に目を向けた。
「えぇと、それで、そういう……我ながら情けない問題がありまして。なので、恋人役を務めてもらう人は、本当に家族も友人も知り合いも、誰も知らない人、かつ、そういった欲がない人、という条件で探さないといけなくて」
クリウスさんは苦笑すると、
「そんな時、通りがかりにあなたが目に留まりまして」
「え、いつ」
「一週間ほど前の夜ですかね。この冬の、しかも夜の寒空の中、チョコのアイスを食べてました」
……うん。覚えがある。コンビニで買って帰りながら食べてた。
「そこで、なんとなくあなたの思念を読み取ってみたら、あ、オールグレーンの力のうちの一つなんです。思念を読み取るの。思考じゃなくて思念なので、心を読んだりは出来ませんけど」
そんな、さらっと異能を語られても。
「で、読み取ったらですね。幸せそうにアイスを食べながら夜道を歩くあなたの思念は、多幸感に溢れていた」
溢れてたんだぁ……。
「その、とても幸せそうで純粋そうなあなたがなんだか気になって、あの道は俺が日課にしてる散歩道でもありましたから、必然的にあなたの顔も見るようになるわけです。で、俺は、恋人になってくれそうな人を探していた。あなたから読み取れる思念はいつも純朴で、純粋で、ちょっとしたことに驚いたり幸せを感じていた」
なんか、あの、恥ずかしいんですけど……?
「で、そんなあなたなら、もしかしたら、俺の提案にも乗ってくれるんじゃないかと思ってしまって。それで、昨日声をかけてみた、という次第です」
はにかむその顔はとても絵になる。なるが、だ。
「私があなたや立場やお金に目が眩んで、本当の恋人になろうとする可能性は考えないんですか?」
「ほら、言っただろ、マミヤ」
私の言葉に、どうしてか誇らしげな顔をしてマミヤさんを見るクリウスさん。
「……そうだね。兄さんの直感が当たったね。……条件が揃ってしまった……」
マミヤさんは額に手を当てて、俯いてしまう。
「え、え? 私、変なこと言いました?」
「いえ、その逆ですよ。あなたはしっかりと自分の芯を持っている人だ。周りに流されず、目の前の欲に目が眩むこともなく、自分の意見を持てる人だ、と俺は感じ取っています」
「……どうやってですか」
これも異能か?
「オールグレーンの、すべての血族でではないのですが、そういうものを感じられる者がいるんです。俺は珍しくそのタイプでもあるんですよ」
異能だった。
「……で、それらを総合して、私に声をかけた、と?」
「はい」
頷いたクリウスさんを見つめ、私は一呼吸置き、
「……申し訳ありませんが、このお話、お断りさせていただきます」
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