第13話 竜の祭りと少年 前編
エルナがメイドとしての城の仕事に少しずつ慣れ、寒さがすっかり街を包んできた頃。街も、城も、なぜだか浮き足立っているようにも思えた。
その中でも顕著なのはノマで、掃除や買い出しの最中にも「はあ……」と重たいため息をついている。しかし、ため息というには妙に色っぽいような、でもやっぱり悩ましいような。
「ねえノマ、どうかした? ずっと手を気にしてるみたいだけど」
「ななななな、なんのことかしらぁー!?」
明らかにとても怪しくノマはくねくねと動き、そして背後に両手を隠した。そんなことをされたところでエルナの目にははっきりと映っていたので今更である。
「綺麗な色の指輪ね」
竜としての前世があるからか、それともそんなものとは無縁の生き方をしてきたからか。女性的な装飾品にエルナはあまり興味がない。けれども綺麗なものは綺麗だと感じるので、ときおり自分の右手を見つめながらため息をつくノマの視線の先にあるものが気になっていたのだ。
ノマはおずおず、といった様子で背中に隠した手のひらを見せる。可愛らしいいくつかの小粒のガラスがくっついた形は、派手なものではないので普段遣いしやすそうだ。
「……ほら、お祭りが近いから。一緒に行くつもりだったけど向こうに仕事が入って、やっぱり無理になったから」
「ああ、お詫びの品に彼氏さんがくれたのね」
「違うわよ! 私がせしめたのよ! ぶんどったとも言うわ!」
「びっくりするほど物騒だね?」
そもそも彼氏なんかじゃないわ! と叫ぶノマの耳は真っ赤になっているし、職務に真面目なはずの彼女がすっかり仕事を忘れている。いや、忘れていると思いきや換気のためか窓をあけたり、閉めたりと挙動がおかしくなっている。そしてたまたま入ってこようとしていた風の精霊がばふんと窓にぶち当たり吹っ飛び、リトライがんばる、と入った瞬間さらに締め出されている。タイミングが悪い。
「ノマ、落ち着いて。窓枠が壊れちゃう」と、そっと精霊を助けながらエルナはノマに声をかけた。サンキュウ、とでも言いたげに精霊はくるくる回って頭の上のハムスターとダンスを始めている。頻繁に踊りがちな彼らである。
そんなほのぼのした光景と比べて、「そ、そうよね、そうよね。いい、エルナ。勘違いなんてしないでよね」とノマは険しい表情のままさらに続けた。
「本当に、勘違いなんてしちゃだめよ。こんなの、本当に大したことないんだから。『竜の鱗』の指輪に比べたら、こんなの、もうそこら辺の子供だってしているくらいな、露店で売っているくらいの……」
「りゅ、竜の鱗を、指輪に?」
「あ、違うわよ。エルナルフィア様の鱗ではなくて、ただそういった名前の宝石のこと。とっても綺麗な宝石なのよ。でもすごく高価だから最近じゃそれを狙って宝石店に泥棒が入ったとかなんとか……って話の本筋はそこではないの!」
「うん」
きり、とノマは眉をつりあげた。なのでもちろん、エルナも真面目に対応する。
「べ、別に、こんなの大したことじゃないのよ」
「そうだったの」
ノマが肯定してほしそうだったので、なるほどねと伝えた。
「わかってくれたのならよかったわ!」
「くれたのって、この間、証印を落としてた人なんだよね?」
エルナが追いかけて空から飛び降りてしまったため驚かせてしまったことは、まだ記憶に新しい。灰色髪の、どこか愛嬌のある青年だった。
もちろん出会ったときは知りもしなかったが、これだけノマに世話になって一緒にいるのだ。なんとなくわかってくるものもある。
ノマはきゅっと口を閉じた。そして眉間のシワを深くして、むっとエルナを睨んでいる。だから、エルナは代わりににっこりと笑った。
「その指輪、可愛いよ。素敵なものをもらったね」
「…………うん」
ときには素直になれないこともある。乙女心というものは難しいな、というのがエルナの感想だ。ノマと、彼氏、いや彼氏未満の青年がどんな恋物語を紡ぐのかはわからないが、エルナはなんの変哲もなく日々を過ごした。
「えっと、サンフラワー商店の道は、こっち……」
そうしてエルナはというと、すっかり慣れたお使いの道を歩く。
王都の道も、さくさくとまではいえないにしても、少なくとも座り込んで迷子になることはない。
(変化は、変化として受け止めるしかないよね)
ここにはない過去の人々のことを思い出して、悲しくならないといえば嘘になる。エルナルフィアはいなくなってしまった彼らを嘆いて、人里離れた森に住んだ。だから、歴史の変化を知らない。時間があるときはコモンワルドからウィズレイン王国の歴史について、教えてもらうときもあるが、聞けば聞くほどに今のこの国が別物で、まったく知らない他人のようなものなのだと感じた。
ただそれは、エルナのしっぽがなくなってしまったことと同じで、仕方のないことなのだと思う。
頼まれたお使いはあっさりしたものだった。城からの注文の明細を届けただけなので、荷物もなく身軽なままにエルナは歩いて帰宅していた。ポケットの中のハムスターはかりこりとひまわりの種を食べて平和なほどのほっぺたをもふもふとさせている。ひまわりの種は、一日一粒までと決めているため、もう一口、いや我慢、とぢいぢいと声を震わせ考えているらしい。それはさておき。
――街の様子が、なんだかおかしいような。
「気の所為では、ない……?」
ときどきぽんっ、ぽんっと白い何かが打ち上がり、見上げると青空の中で紙吹雪がひらひらと踊っている。通路では窓から窓にこれまたカラフルなフラック型のガーランドが垂れ下がり街中がおもちゃめいて見えた。さらに、竜の切り絵がいたるところに貼られている。通り過ぎる子どもたちは竜のしっぽまで付けて駆けっこをしている。
「ああ、お祭り」
そういえば、三日ほど前にノマが話していたことを思い出した。城を出るときにそのまま少し街を探索したっていいのよ、とメイド長がにっこり笑っていたので、今日に限ってわざわざどうしたんだろうと不思議に思っていたのだ。
広場では音楽隊が楽しげに音楽を鳴らし、人々は手拍子を打って楽しんでいる。「うーん……」 口元に、ちょんと人差し指を置いて考えた。「お祭りかぁ……」 たっぷり時間を使って、「別に、それはいいかな」 ううんと唸りながら考えて思ったことは、自分はまったく祭りに興味がない、ということだ。
エルナはてくてくと石畳を歩き、目的地に向かったが、祭りの喧騒はどんどん遠くなっていく。
なんせ、祭りというものに縁がないから、何をしたらいいかもわからない。竜であった頃は小さな人間達が騒がしくする様を見て踏み潰さないようにと困っていたため、楽しみ方の作法も知らない。知っている祭りと言えば、大樹の花見くらいだ。男爵家では祭りの日となると使用人達も街に繰り出すことを許されたが、エルナと母は、そんなものに参加するのなら薪の一つでも割っておけ、と男爵家の夫人とローラに鼻で笑われた。
エルナとしてはその日ばかりはいじわるをする相手もいないとなると嬉しかったし、母と二人きりということは楽しくもあったのだが、母はいつもエルナの冷たくなった手を握りしめて、『魔術であなたの手を温めることができたらいいのに』と申し訳無さそうに眉を寄せつつ話すのが口癖だった。
(母さんは、たしか私を生むまでは炎の魔術の適正があったと言っていたな……)
ふう、と息を吐き出すといつの間にか白く染まってしまった。
ウィズレイン王国では冬がとにかく短いが、やってくる足も早い。エルナはいつの間にか季節が変わってしまったことを思い出し、同時に幼いころを考えた。
エルナが生まれた男爵家の領地は、この王都からずっと遠いからか、とにかく冬が寒かった。短い冬でも、慣れない寒さはとにかく辛い。
だからなのかは知らないが炎の魔術の適正を持つ者も多いらしく、母もその一人だったのだろうと深く疑問を覚えてはいなかったが、エルナは竜の鱗を握りしめて生まれた。もしかすると人としては類い稀なる炎の魔力を持つエルナは、母の魔力すらも取り込み、内包してこの世に生を受けたのかもしれないと思うと、彼女が生きている間になんの恩も返すこともできなかった自分をひどく情けなくも感じた。
「よし、なんとかたどり着いた」
『もひっ?』
どうやら欲望に負けてしまったらしく、殻のひまわりの種を抱きしめほっぺをぷっくりさせているハムスターがエルナのポケットからちょこんと顔を出して、きょろきょろ周囲を見回している。
『どこでごんすか?』
「教会だよ」
目の前には見覚えのある建物だ。
考えたのは、不思議な傘を持ってにっこり笑っている女の子――カカミのことである。時間があるのならせっかくの機会だ、と勇み足で教会の扉を叩いたのだが、出てきたおっとり顔の司祭からの返答は、「カカミは出かけていますよ」とのこと。自身の無計画さが辛い。
「最近よく外に出ていることが多いのですよ。何か……ご存知ですか?」
「外に? いえ、あれからはカカミには会っていないので」
「そうでしたか。今日はエルナルフィア様がお生まれになったことを祝う、年に一度の祭りの日です。ぜひとも街をお楽しみください」
にこり、と微笑む司祭が立つ扉の隙間からは、人の気配を感じる。「お忙しいところ、すみませんでした」とエルナが頭を下げると、司祭は人好きのする笑みで、いえいえ、としわのある手を揺らして返事をしてくれた。
「しまった今日はエルナルフィアの生誕祭だったんだ……! それじゃあ忙しいのに悪いことをしたな……いや待て私に誕生日なんてあったっけ? なかったっけ? 適当に誰かが作ったんだっけ?」
教会をお暇したエルナは、結局城に向かって歩いていた。
それにしても自分ではわからない誕生日を見知らぬ人が祝っているとは一体。『謎でがんす』とハムスターはポケットの中で返事をしているし、中々に不思議な状況である。
「っていうか、雨宿りのお礼に何か持って行こうと思ってたのに、結局手ぶらだったし。ん? ハムスターならいるか……」
エルナの呟きにハムスターは『ぢぢっ!?』と身震いして、身の危険を感じたのかもぞもぞとポケットの奥に隠れてしまった。「いや手土産にはしないよ」 まるっこく温かい塊を布越しに撫でたが、すねてしまったのかポケットからは出て来ない。
街の人々は風船を配ったり、屋台が賑わったりと忙しそうにしていたがエルナはそういったものには目もくれず教会からまっすぐ帰ってしまったために、結局何もすることはなかった。自分の時間の使い方の下手さに呆れつつ、なんとなく道をなぞるように城壁を見上げた。
「……これ、乗り越えちゃだめかな」
ゆうに、エルナの二人、いや三人分の高さがある。茶色いレンガがずっしりと積み上げられている城壁はぐるりと城を取り囲んでいるため、目的地の門までの距離は遠い。別にそれくらい歩いたところで疲れはしないが、近道できる場所と、能力があってそれを使わないのはいかがなものか。「よし」と、エルナは踏み込み、「…………」そのまま、堪えた。
城の窓から飛び降りて大騒ぎになってしまった記憶は色濃い。なしなし、とエルナは首を振ってそのまま方向を変えようとしたときだ。
「……ん?」
壁の上から、ぴょこん、と金色の何かが覗いた。
気のせいか、と思うとさらにもう一度。ぴょこん、ぴょこぴょこ。
丁度逆光のため、よく見えないなと手で傘を作りながら瞳をすがめたとき、少年が塀の上から飛び降りた。「え」と呟いた声はエルナのものではなく、少年のものだ。まさかこんなに高いとは思わなかった、とばかりに瞳をしばたたかせて半分だけ乗り越えた上半身をばたばたさせる。落ちた、と少年が思い悲鳴を上げたのと、エルナが滑り込み、抱きとめたのは同時だ。
「あ、あいたたた……」
「う、うう……」
少年の背はエルナの肩にも届いていなかったし、エルナは自慢じゃないが馬鹿力だ。それでも身体はただの少女のままなので、急なことでバランスを崩してしまった。エルナがクッションとなる形で二人一緒に地面でぺちゃんこになったところで、少年は痛みを堪えつつも、勢いよく顔を上げ、「お前、なんだ……? まさか僕を受け止めたのか? 怪我をしているんじゃないだろうな!」と、怒っているのか心配をしているのかわからない口調でエルナを詰問している。
「いや、怪我は特に……」
『今、ここを乗り越えたのではないか……!?』
『まさか! しかしはしごが……確認する!』
壁の向こうから聞こえてきた男達の声に、少年はハッと意識をそらした。ざわざわと壁向こうの声も大きくなっていく。
「おい、お前、行くぞ!」
「えっ、行くって――」
「いいから早く! 追いつかれるだろうが!」
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