第14話 竜の祭りと少年 中編
(別に、私まで逃げる必要はなかったんじゃ……)
エルナは少年に引っ張られる形で来た道を反対に走ることになったが、最初は少年がエルナを先導していたはずなのに、気づけばエルナが先頭を走っている。少年は背後ではぜえはあと肩で息を繰り返して、「おまっ、ちょっ、速いぞ、メイドのくせに、速いぞ……!?」 息も絶え絶えな様子である。
メイド、というのはもちろんエルナの服装から判断をしてのことだろうが、えっほえっほと余裕の顔で走り続けていたエルナは少しずつ速度を落とし、歩くほどの速さになったところで振り返った。同じく立ち止まった少年は涙目のまま肩で息をして今にも崩れ落ちそうになりながらも、矜持のためか自身の膝に手を起き、なんとか堪えているらしい。
すでに城からは遠く離れていた。少年は自身を立て直そうと必死に息を繰り返しているようだが、改めてその姿を見下ろす。年齢は多分、十歳程度。それからさらさらの金の髪と瞳で、肌の色艶もいい。着ている服はシンプルながら、品の良さを感じる。つまりなんというか、いいところのお坊ちゃんが、外に出るためにありあわせのものを何とか探して組み合わせた、というか。
(一応、この子は城からの逃亡者ということに、なるのかな……?)
壁から飛び降りる瞬間を、ばっちりと目撃してしまった。エルナの予想に間違いがあれば、今すぐ警備の兵につきつけるべきなのだろうが――。
少年は、ふぐっ、ふぐっと妙な声を出していると思ったら、なんとか通常通りであることを装おうとして、腕で口元を隠しているらしい。それでもやっぱり涙目のままである。
「……一応、聞くけどあそこで何をしていたの?」
「……お前に言う筋合いはない」
「別に教えてくれなくてもいいけど。これからどうするの? 今日はお祭りらしいけど。もしかして見て回りたいとか?」
これにも返事はないだろう、と思いきや少年の瞳は素直で、ぱすん、ぱすんと街中で打ち上がる昼花火の中でふわりと飛び上がる風船に目を向け、きらきら、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。それが返事のようなものだ。
そのあと二人で街を歩くことになったのは、別に大した理由があったわけではない。ふらふらと歩こうとする子供が心配だった。別にまあ、それだけだ。
別にエルナも大して王都を知っているわけではないが、少年よりはちょっとはマシだ。どこを歩くにしても、瞳を輝かせてきょろきょろと周囲を見回し、濃いメイクの道化役に風船をもらえば、ぽん、ぽんと跳ね上がるほどに歩きながら喜んでいる。それでも少年はぎゅっと口を閉ざしていて、喜びを抑え込むことに長けている様子なようにも見える。
「一応、呼びづらいから名前を聞いてもいい? 私はエルナ」
「……ドラフェ」
「ふうーん」
と、エルナは意味有りげに頷くと、ドラフェにじろりと目を向けられたのでそのまま顔をそむけてしまった。
(……それで、どうしたものかなぁ)
宛もなく名前を尋ねてからはお互い無言で街を歩いていると、手作りらしき竜のしっぽをつけた子供達がきゃあっと嬌声を上げながら走り抜けた。「王様が、いらっしゃってるんだって!」「えっ、ほんと? 早く行かなきゃ!」
(なるほど。エルナルフィアの祭り、ということなら今頃クロスは忙しくしてるのかな)
ウィズレイン王国は竜を国章とするほどなのだから、年に一度の祭りとなれば大変に違いない、とエルナは思いつつ、走り去る子供達や、それに続く大人達を見送った。そのとき、「あっ!」とドラフェが声を上げた。大切に握りしめていた風船を手放してしまったのだ。
すかさずエルナはぴょんと片足で飛び上がり、紐を掴まえる。うっかり人間離れした動きをしてしまったことに焦りながらドラフェに手渡しつつも、「何か、気でもそれた?」と尋ねたが、そっぽを向かれた。
祭りの喧騒は賑やかなものだったが、王の訪れを知るとなるとすぐさま人の流れが移動する。
太陽は丁度真上を指して、腹の具合も声を上げそうな頃だ。と、思えばドラフェの腹が、きゅう、と可愛らしい音を出した。ドラフェは端正な顔をさっと赤くしたが、所狭しと道の端に並んだ露店からは美味しそうな匂いがただよってくるから、これは多分、仕方ない。
石畳の階段に座り込みながら、かぷり、と少年は肉に食いついた。
「……少し、慣れない味だが、温かい。うまいと思う」
「そうだねぇ。しっかりした味付けだものね」
思わずドラフェは焼き鳥に食いついている。直火でじゅうじゅうとじっくり焼かれたからこその香ばしさと、つけたタレはとろっとして食欲をそそる。間に入れられた野菜も焼かれることで甘みが強くなっている。
ドラフェは小さな口でぱくぱく、と上品に咀嚼しつつ、反対の手では自身のポケットから取り出したものをエルナの眼前に突き出す。
とっくの昔に食べ終わっていたから、「金貨なんていらないよ」とすげなくエルナは伝えた。
「……悪いが銅貨は持っていない」
「お金はいらない、という意味だよ」
メイドとして手伝いをするようになってから、エルナにも給金が渡されている。見ず知らずの子供に奢る義理はないが、腹をすかした子供に焼き鳥の一本や二本、あげたところで痛む懐ではない。食べ終わったらしく、しかし、と文句の声を上げようとしたドラフェから串をもらい、自身の分も合わせて店主に返却した。戻って、少年の前でむん、と腰に手を当て見下ろす。
「もらいすぎるお金は迷惑とも言える。文句があるなら、その金貨を銅貨に変えて持ってきて」
「……つまり僕は、世間知らず、ということか」
「そこまで言ってないよ。世間知らずということなら、私もそうだもの。ねえ、それよりなんでこんなところに来たの? これも何かの縁だし、お祭りを見て回りたいって言うなら付き合うよ。でも、なんだかちょっと違うんじゃないかなって」
エルナはドラフェの隣にすとんと並んで座った。むっつりと口をつぐみ続けていた少年だったが、エルナの問いには、とうとう時間をかけて静かに頷いた。
「僕には、年が離れた兄がいるのだが……」
「うん」
「兄上はな、すごいんだ。なんでもできて、誰からも尊敬されて」
「う、うん」
「しかし僕は、ちょっと兄上と見かけが似ているだけで、それ以外に秀でたところなど、何もなく……」
「待った待った、話がずれてる」
ずんずんと表情を曇らせていくドラフェにエルナは思わずストップをかける。しかしさらにドラフェは落ち込んでいく。
「僕は、何も知らない。兄上のようになりたいのに、兄上と比べて何もできず、あまりにも知らなさすぎると思ったんだ。金貨で焼き鳥を買えないことだって知らないなんて、自分でも驚いた。お供をつけて外に出るんじゃなくて、もっと近くて、自分の目で見たかったんだ。兄上が忙しい今日なら、ちょっとくらい外に出てもまだ騒ぎも大きくならないはずだしな」
「心配する人がいるなら、それもやっぱりだめじゃない?」
「ただのメイドのくせに偉そうだな」
「……ええっと」
「でも、お前が正しい。これ以上騒ぎになる前に、帰ることにしよう」
すっくとドラフェは立ち上がり、街の人々を眩しそうに見つめた。
『王座に座っているだけでは見えないものもある』
随分昔、ヴァイドが同じことを言っていたと思い出した。そうしてエルナルフィアの背に飛び乗り、よく宰相を怒らせていたものだ。少年の小さな背に同じ姿を重ねつつも、「ところで、ここがどこなのか僕にはよくわからない。案内を願うぞ」と尊大な態度でむん、と胸をはったので、おいこら、と思わないでもない。
「次は、きちんと正式な手続きを経て街に出ることにする」
そのときふと、泣き声が聞こえた。小さな子供が、ええん、ええんと大声を上げて、空を指さしている。どうやら風船を手放してしまったらしく、風船はすでに高く昇りぽつりと小指の先ほどの大きさになっていて、あれではさすがのエルナでも届かない。空に馴染むことのない赤い姿が、静かに遠ざかって消えていく。エルナは寂しく、瞳をすがめた。
するとドラフェは立ち上がり、木の枝にくくりつけていた自分の風船を持ちながら迷うことなく子供に近づき、差し出した。エルナからは遠くてよく聞こえないが、ドラフェよりもさらに小さなその子は嬉しそうに飛び跳ねて、親はしきりに申し訳無さそうに頭を下げている。
ずん、ずんと大股で戻ってきたドラフェは、どこか誇らしそうにも見えた。
「……大切そうだったのに、よかったの?」
「もちろんだ。祭りは、見るだけでも楽しかった。そのことを否定はしない。しかし今日の僕の一番の収穫は、知らないということ知れたということだ。これ以上は不要だろう」
ただの善意を、なんともめんどくさく言い訳をする子だな、と思うと途端に愛らしく思えてくる。ふんっ、とドラフェは大仰に腕を組んだ。そして、「僕の目が黒いうちは、この国で好き勝手をすることは許さんのだ。もちろん泣くことなんてもってのほかだ!」とお冠である。
「はいはい」とエルナはいなしつつ、城への道を戻ろうとしたときである。
「ど、ドロボーッ!」
響いたつんざくような悲鳴に、エルナとドラフェは同時に跳ねるように顔を上げて声の主を探した。どうやら聞こえたのは正面向かいの店らしく、ガラスの大窓が激しく割れて、一人の男が転がるように飛び出した。逃げ惑う足元からはじゃらじゃらと宝石がこぼれおちていく。
――とても高価だから最近じゃそれを狙って宝石店に泥棒が入ったとかなんとか。
思い出すのはノマの言葉だ。「宝石、泥棒……」呟いたエルナの声を聞き、バネのようにドラフェは逃げる男に向かった。「いやこら、こらこら」 小さな体のくせに、必死に両手と両足を動かして、食らいつくように男の背を追う。「ないないない」 エルナは頭を振った。ため息をついて、おでこに手を当てつつ、「ん……っもう!」 ダンッ! と踏みしめた瞬間、驚くべき跳躍をする。
***
その姿を見ていたのは、先程ドラフェから風船を受け取った幼子一人である。通り過ぎた強風は風船を揺らし、子供はぎゅっと両手で紐を握りしめた。「きゃあ! ……びっくりしたね、大丈夫?」 親の言葉に、子供はこくこく、と無言で頷いた。
そして、エルナが去っていく姿をぱちぱちと瞬きをしながらも見つめていた。
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