【KAC20234参加作】コンビニ怪談

十坂真黑

コンビニ怪談

 深夜二時を過ぎたころ、彼はとぼとぼとコンビニの店内に入った。


「いらっしゃいませ」


 眠たげな若い男性店員が、ちらりと彼に目を向け、言った。


 彼は物珍し気にきょろきょろと店内を見回した後と、雑誌売り場に立ち、目についたそのうちの一冊を手に取る。


「はあ……はあっ」


 と、そこへ荒い息を吐きながら、一人の若い女性が店に飛び込んできた。


 店員が、おや、と顔を上げる


 暴漢にでも襲われたのだろうか。店員の顔に張り詰めた緊張が走る。

 そんな中、雑誌売り場の彼は一人黙々と雑誌に目を落とし続けている。


 レジの向こう側の店員が女性の顔を見て「あっ」と声を漏らした。


「秋川さんじゃん。どうしたの、忘れ物? もう深夜二時回ってるけど……」


 秋川と呼ばれた女性は息を整え、やがて興奮した口ぶりで話し始めた。


「ちち、違うんです! いま超怖いことがあってっ。仮眠室貸してもらえませんか? もう怖くて帰りたくないんですよ。家で一人でいたくない……」


「そうもいかないよ。いま店長仮眠室使ってるし」

 

 女性はほとんど泣き出しそうに食い下がる。


「じゃ、じゃあ、しばらく店にいていいですか?」


「っていうか秋川さん声でかいから。お客さんいるんだからさ……」


 店員は周囲を気にするように店内の様子を窺った。


「お願いします、きいてくださいよ。誰かに話さないと怖くて怖くて。今の時間ならお客さんも少ないしいいじゃないですか。すぐ終わるんでっ」

 

 あまりに必死な秋川嬢の様子に、店員はついに根負けし、

「わかったわかった。聞いてあげるから」


 店内の客は雑誌に目を通す彼と、イートインスペースを陣取る若者くらいしかおらず、雑談に文句を言う者もいなかった。


「ありがとうございまーす。これはあたしの家でついさっき起きたことなんですけど」

 

 女性はほっとしたように微笑んだ後、すっと空気を吸い込み、話始めた。


 ――あたし、ここから徒歩五分くらいのマンションに住んでるんですよ。結構新しめの。

 そんなところなんですけど、そこ幽霊出るって噂あるんです。なんかそのマンション建つ前の建物で殺人事件あったらしくて。

 いい迷惑ですよ、自分が殺された部屋に出るってんなら分かりますけど。いやここあたしんちだし、って感じ。


 それはまあいいとして。さっきベッドで寝てたら、玄関のチャイムが鳴ったんです夜中に突然。

 ここオートロックついてるから変な人は入って来ないはずだけどなんだろうなってモニターインターホン覗いたら。

 誰もいないんですね。


 おかしいなあ気のせいかなあなんてベッドに戻ると……今度はガチャガチャ鍵穴を弄る音がするじゃあありませんか。

 その時はビビりましたよ。ほんとに。

 もうインターホン覗く勇気すらありませんよ。何かいても怖いし、いなくても怖い。

 布団被ってじっとしてたら、少ししてその音が消えたんです。やっと諦めたかな、って思ってふと足元を見たら。

 なんか床に傷がめちゃくちゃにできてて。

 床にカッターか何かでつけたような傷がでかでかと刻まれてたんです。

 そんであたし思ったんです。


 あ、あいつ――って。


 げって思って、でもまあ一応写メろうと思ってスマホを探して……上から見たら気づいたんですけどその傷、よく見たら文字になってて、こう書いてあったんですよ。


『パンツなにいろ?』……って。



 女性の語りが終わり、辺りがしんと静まり返った。


「それからはもう怖くて怖くて。ベッドから飛び起きて、財布とスマホだけ持って家飛び出してきたんです。うわっ鳥肌止まんない」


「……確かに怖いけど、その幽霊ちょっと俗っぽ過ぎない? 生きた人間の変態性を感じるんだけど」


 店員は頬杖を突き、そう感想を漏らした。


「男の人にはわかんないでしょうけど、この話はおばけとキモ男の恐怖の混じった、新感覚ハイブリットホラーですよ」


 雑誌売り場に立つ彼は、こそこそと女性が話す体験談を傍らで聞いていた。

 雑誌に集中しようとするも、奇妙な怪談話が嫌でも耳の奥に忍び込んでくる。文字列を追う目がもう何度も同じ地点をループしていることに、彼はようやく気が付いた。


 と、そこでイートインスペースに設置された電子レンジで弁当を温めていた青年が、突然振り返った。


「面白いっすね。俺も参加していいですか。実はこの弁当のように、ほやほやの不思議体験があるんですよ」


 白く湯気のこもったお弁当を脇に置き、若者はぽかんとした二人の顔をにっこりと見回した。


「聞きたいですぜひぜひっ」


 秋川嬢は目を輝かせた。

 金髪の若者は嬉しそうに頭を掻く。


「あざーっす。まあ俺の話は怖いっていうんじゃないけど」


 若者は咳払いをすると、陽気な口調で語り始めた。


 ――俺んち、実は陰陽師の家系なんですよ。

 といっても俺自身には霊感とかそんなものはありません。

 しいていうなら、妹が小さい頃から霊とか妖怪とかそういう類を見てたくらいっすね。


 で、ある日、家に帰った俺を見るなり妹が言いました。


「兄ちゃん、やばいの連れてきてるよ」


 おかえり、もなくそれですよ。俺、ぽかんですよ。


「なにか最近新しく買ったものある? 中古とか、古いもの」


 最近買った古いものといえば、その日ちょうど高円寺の古着屋で買ったジーパンがあったんです。

 あ、今履いてるこれです。色の落ち加減が絶妙なんすよ。

 「ちょっとそれ見せてくれる?」と妹。


 言われた通りジーパンを見せると、妹はそれを手に取り渋い顔をしました。


「兄ちゃん、これやばいもんとり憑いちゃってるよ」


 妹が言うには、どうやら――そのジーパンはそうなんです。かつて自分は牛だったのだと。

 それで、生前立派な牛だった自分をジーパンなんぞに仕立てやがってクソ人間め、末代まで呪ってやる! って状態なんだそうです。


「なんだそりゃあ」

 たまらず、秋川嬢が口をはさんだ。


 若者は苦笑を漏らす。


 ――ま、そうなりますよね、普通。俺もおんなじ。

 でもあいつ、「兄ちゃんそのままじゃそのジーパンに呪われるよ」って、まじめな顔して言うんです。ばかばかしい。妹がこんなに馬鹿だとは思っていませんでした。


 質は良いし、輸入物のジーパンだから割と高かったんで、妹のこんな戯言に付き合うつもりもありませんでした。


 けどそれから、明らかに妹がおかしくなって。


「兄ちゃん、ずっと何食べてんの?」

 いやいや。俺何も食ってないし。

「うそだ。ずっともぐもぐもぐもぐ。しかも最近、妙に野菜ばっかり食べてるし」

 いいだろ、野菜は健康にいいんだから。


 ことあるごとに俺の言動が気になるようです。


「なんかずっとモウモウ聞こえるんだけど」

 ついに幻聴が聞こえるようになんたのか、お前?


 昔から影響を受けやすい奴でした。でもここまで来るともはや病気です。


 極めつけに、こんなことがありました。

 その日妹は友達と焼肉行った帰りだったみたいで、焼き肉店の煙の臭いぷんぷんさせてました。

 帰ってきた妹はソファでくつろぐ俺を見て、顔をしかめました。

「兄ちゃん、最近そのジーパンしか履いてなくない?」

 そんなの俺の勝手だろ。

「だって寝巻きまでそれじゃん」


 俺、そん時ものすごく眠くてソファで寝っ転がってたんです。ついうとうとしちゃってて。


「ぎゃああああ!」


 妹の悲鳴で飛び起きました。


 目の前に妹がいて、怯えたように俺をみるんです。


 なぜか俺はその時キッチンにいて包丁を握ってました。

 さっきまでソファでうたた寝してたのに、ん? とは思ったんですけど、まあ小腹すいて何か作ろうとしたんでしょうね。よく覚えてないけど。


「やばいよ兄ちゃん、ほんとにそれやばい。もう私無理。無理だから!」


 ぶるぶる震えて妹は逃げるように自分の部屋に閉じこもりました。

あとから気付いたんですけど、どうやら妹のやつ怪我したみたいで。血がにじんだ手首を抑えてましたっけ。


 それ以来、あいつ俺がいたらリビングにも出てこないし、頑なに俺と顔を合わせようとしないんです。


 しょうがないんで、少しずつ妹と距離を置くことにしました。


「俺の話はこれで終わりです。まあ先ほどの話と比べたらインパクトに欠けますけど」


 ホルスタイン柄のパーカーを着た青年はそこで言葉を止め、ふかふかと湯気を立てる弁当のふたを開けた。

 白く陰った容器の中には、鮮やかな色彩の野菜。キャベツだろうか。

 イートインスペースに腰を下ろすと、彼は青野菜を箸で口にかきこむと、うまそうに買ったばかりの牛乳パックを直飲みする。

 牛乳を飲み終えた彼の口元に白いひげが浮かんでいる。

 そして最後に、「げふっ」と見事なげっぷを披露。


「……」

 言葉を失った店員と女性はきまり悪そうに顔を見合わせる。


「にゅ、乳牛でよかったですね!」


「? ま、俺の話は終わったんで、次の方お願いしまっす!」


 人々の視線は、唯一これまで言葉を発していない彼に向けられる。

彼は人々の視線が集まるのに気づき、雑誌を棚に戻した。

 秋川嬢が、彼に一歩近づく。


「もしかしてですけど……あなたも何か怖い体験をされたんじゃないですか?」


 彼は顔を上げ、ようやく震え声を絞り出した。


「……僕は、ただ夜道を歩いていたんです。それだけなんです」


 彼はあふれ出るように言葉をこぼしながら、唇を震わせる。


「妙に目がさえちゃって、ちょっと散歩しようと思って外に出たんです。ボーっと歩いてたら、いつのまにか周りが知らない景色になってて。そんな歩いたつもりもなかったのにおかしいなって思ってたら、知らないトンネルが目の前に出てきた。なんだろうって、興味本位で入ってみたんです。けどそのトンネル、やたらと長いんです。外から見たらそうは見えなかったのに。

そのあとも歩いて歩いて。僕、一時間以上ずっと歩き続けてたんです。


 信じられないくらい長いトンネルを抜けた先に、全く知らない街並みが見えました。その中に妙に明るいお店があった。

 こんなの絶対なかった。時計見たら夜中なのに、こんな時間に開いてる店なんてあるはずないのに。それどころか、この周りはこの間の爆撃の被害でほとんど焼け野原になっていたはずなのに、どうして綺麗な住宅地が残ってるんだ。

 けどパニックだったし、昼間みたいな明るさが温かくて、とりあえずその店に入ってみました。人もいるし安心したけど、なんか変な話ばっかしてるし。


 でも決定的におかしなことに気付いちゃって。街中の看板もそうだったんですけど、雑誌に書いてある文字が全然読めない記号みたいなので書かれていた。

 おかしいんです、この世界。もともとの世界とそっくりだけど、なんかおかしい。元の世界と微妙にずれてる。不思議と言葉はわかるけど」


「えっと……君大丈夫?」

 店員は心配そうに彼の顔を覗き込む。


 彼はおびえ切った表情で店内を見渡した。

「パラレルワールド……」金髪の若者がぽつりと呟いた。


「ここはいったい、どこなんですか? この世界は何なんですか? 僕は元の世界に、どうやったら帰れるんでしょうか?」


 彼の問いに、答えられる者はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20234参加作】コンビニ怪談 十坂真黑 @marakon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ