二十年目の酒

卯月

悪太郎の旅路

 江戸時代、場所は日本橋界隈かいわい


 当時は煮売屋にうりやという商売が流行していた。

 煮魚にざかな煮豆にまめ煮染にしめなどを客に提供し、現代でいう持ち帰りテイクアウトなども可能だったため庶民しょみんに人気だったという。


 いま一軒の煮売屋台に、一人の男が腰を下ろし酒を飲んでいた。

 旅装の中年男だ。長旅のせいか少々やつれている。

 なかなかに男前おとこまえだが、目つきが強すぎるのが気になった。


 男は甘辛く煮つけた里芋さといもとコンニャクで黙々もくもくと一杯やっている。

 と、そこに別の男が来店してきた。


「やあ」


 自分に声をかけられたような気がして旅の男はチラリと目線をやったが、特になにも言わない。


「いらっしゃい!」


 店の主に歓迎されて町人は客席についた。

 恰幅かっぷくのよい中年の男だ。なかなか仕立てのよい服を着ている。商人だろうか。

 いわし生姜煮しょうがにを注文した男は、魚の身をほじくりながら旅の男に話しかけてきた。


「旅のお人、どちらから来なすった。上方かみがたかな」

「……」

「あはっ、無口なお人だ。あたしは仕事柄しごとがら人と話すのが大好きでね」

「……」


 旅の男は愛想あいそもくそもない。だが商人風の男はお構いなしに話し続ける。


「当ててみようか。あんた旅の目的は仕事だろう。商売のにおいがするよ」

「ついでに人も、な」


 根負けしたかのように旅の男が口をひらいた。


「二十年ぶりだ、江戸にけえってんのは。

 だからついでに子供ガキのころれだった小介こすけって野郎に会ってやろうかと思ってよ」



 旅の男はせきを切ったように身の上話をはじめた。


 名前はよし太郎たろうという。生まれは浅草下町。

 しかし生まれながらの悪ガキで、まわりからは


「あいつのどこがよし太郎だ、あんな野郎はあし太郎だ!」


 などと言われながら育った。


 男は大人になってからもあし太郎とよばれた性根のまま生き、つまらない博打ばくちにはまって大きな借金をかかえ、とうとう夜逃げするはめになってしまった。


 いざ江戸を捨てて上方かみがた(関西方面)に逃げようという、その夜。良太郎は親友だった小介にだけ別れを告げた。


『二十年だ。二十年たったら俺はけえってくる。そんときゃあおめえ、むこうで大金持ちになってくるからな。おぼえてろよ』


 そんな捨て台詞をはいてから、本当に二十年の月日がすぎてしまった。

 上方での暮らしにすっかり馴染なじんでいたある日、めずらしく江戸で仕事をする話が舞い込んできたのだ。

 

 これもなにかの縁かと思い、ためしに江戸の小介に手紙を送ってみればあの野郎、今じゃ大きな商家の奉公人としてとうに働いているらしい。

 生きていると知れたらもうなつかしさがこみ上げてきて止まらない。

 こりゃあもう一度顔を見てやらなきゃおさまらないと思い、今日この日本橋までたどり着いたというわけだ。

 生まれ故郷の浅草まではもう目と鼻の先だ。明日の朝に宿を出て、昼には着くだろう。


「いや、ちょいとばかり酔って口がすべりすぎたな。あばよ」


 旅の男、良太郎はそういうと立ち上がり、勘定かんじょうをすませて煮売屋をあとにした。

 暗い夜道をほろ酔い加減でフラフラと歩く。

 もうすっかり夜更よふけだ。

 明日もあることだし宿にもどってさっさと寝なくては。


 しかし、そこで災難さいなんがふりかかった。


「残念だがおめえに明日なんて来ねえんだよ、悪太郎」


 夜の暗闇から突然声をかけられた。

 さらに「それっ!」と声がかかり、複数の黒い影が良太郎をとりかこむ。

 

御用ごようあらためだ、神妙にしな」


 謎の集団の正体は奉行ぶぎょうしょ手勢てぜいだった。

 もうすっかり包囲されてしまっている、どこにも逃げ場はない。


「お、お待ちを。人違いじゃございませんか」

「人違いなわけねえだろう。凶賊、悪太郎一味の頭目とうもくさんよぅ!」

 

 良太郎はすっかり顔色をかえ、ひざからくずれ落ちてしまう。

 二十年かけて良太郎が手にいれた身分。それは盗賊団の頭目というものだった。

 悪太郎として育ってしまった性根は上方にうつっても治るものではなく、食うに困ってついには強盗殺人の常習犯にまで落ちぶれていたのだ。


「なんで、なんであっしが悪太郎だと分かったんで?」


 乱暴に両手をしばられながら、良太郎はうめくようにそう言った。

 本当に二十年ぶりの江戸である。着いたその日になぜばれたのか? そこだけがどうしても納得がいかない。


「まだ分からねえか。おめえの顔を知っているやつに確認させたからだよ」


 一番身分の高そうな武士が代表してそう答えた。


「お前がさっき煮売屋で一緒に酒飲んだデブの商人!

 あれがお前の幼なじみの小介だったんだよ!」

「な……」


 良太郎は脳天に雷が落ちたような衝撃をうけた。


「あいつはな、はじめは幼なじみのお前を売るなんて絶対に御免ごめんだって泣きながら断ってたんだ。

 だけどお前、ちょっと前に上方で越前屋って店を襲ったろう。

 あそこは小介が働いている店の兄弟店だったんだよ。

 お前は、小介が世話になった若旦那や同僚たちをまとめてブッ殺しやがったんだよ!」

「そ、そんな……」


 もはや良太郎、いや悪太郎には言葉もない。


「おなじ二十年なのによ。

 あいつとお前、なにがそんなに違ってたっていうんだろうな」

 

 悪太郎は来た道をふり返った。

 煮売屋は遠く離れてもう見えない。

 だが彼の脳裏には、泣きながらヤケ酒を飲んでいる小介の姿がありありと浮かんでいた。

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二十年目の酒 卯月 @hirouzu3889

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