番外編 その後の二人

 シオンとフェリシアの結婚生活は、幸せなこともたくさんあったが辛いこともたくさんあった。


子供は四人授かった。


一人目はシオンに似た男の子で、ユリウスと名付けた。顔が似ると気質も似るのか、シオンと同じ文官の道へと進んだ。


ユリウスは産まれたころから眉間に皺が寄る子で、見た目ほど気難しい性格ではないのだが、そのように見えてしまう損なところがあった。

フェリシアはそんなユリウスと父親のシオンが並んで同じような顔をしているのが可笑しくて、その眉間の皺さえも愛おしく思っていたが、若い令嬢たちには近寄り難く感じるらしく(シオンとユリウスが並ぶと誰も近寄らない)、嫁探しに難航した。


二人目はフェリシア似の男の子だった。

名前はフェルナンド。

芸術に関することに優れた子で、特に歌劇に関しての才能が開花された。

脚本や作曲をすればたちまち大人気作品となり、自らピアノ演奏をすればあまりの人気ぶりで国外からも観客が訪れるほどであった。

もともと女性に好まれる容姿をしているのもあるが、誘われると断れない(断らない?)性格から、女性関係のトラブルを起こして慰謝料を請求されるのが一度や二度ではなかった。

それを当の本人は美しい花々との恋は創作の糧となるとか言って反省する様子は全くなかった。


三人目も男の子だった。

容姿はシオンともフェリシアとも似ず、祖父であるアンドリューに似た。

この子が産まれる前に祖父が亡くなったことから、祖父と同じアンドリューと名付けた。

アンドリューは特に武に優れ、騎士の道へ進んだ。

生傷の絶えない子ではあったが、大きな戦の時、生死の境を彷徨う重傷を負って帰って来たときにはフェリシアも生きた心地がしなかった。


その時の怪我が原因で、片眼を失い、顔には一生治らない傷痕を残すことになったが、アンドリューの奮闘が戦を勝利へと導いたらしく、国の英雄となって爵位と騎士団長を拝命することに至った。


四人目は女の子だった。

この子を妊娠中、出産予定日よりかなり早くに陣痛が来たため嫌な予感がした。

嫌な予感は的中し、この子は産まれた時には既に息がなく、母の胸の温もりを知らないままこの世を去った。


さすがに前向きな性格のフェリシアもこの時は気鬱にかかり、情緒が不安定となったが、家族全員でフェリシアを支えた。


その時に、皆で亡くなった子の名前を付けた。貴族籍に記載されることはないが、皆の心の中の光であり続けて欲しいという願いを込めて『ルミエール(光)』と名付け、一生忘れないことを誓った。


 領地が大災害に見舞われたこともあった。被害が甚大で、復興のための費用が嵩んだ。

国にも補助金を出してもらったがそれでも足りず、ロザリンドから受け継いだ宝飾品をチャリティーへ出品することになったときはとても悔しい思いがした。


 決していいことばかりの人生ではなかったが、シオンとフェリシアはお互いを思いやる気持ちを忘れることはなく、支え合って生きてきた。



 シオンとフェリシアが結婚して五十と数年が過ぎると、顔には年相応の皺が刻まれ、頭髪もほとんど白く変わっていた。


今では社交界からも身を引き、公爵の爵位もユリウスへ譲り、領地の田舎に別荘を建てて二人でのんびりと余生を過ごしていた。


 シオンは八十代、フェリシアは七十代という高齢を迎え、無情にも命の灯火はフェリシアの方が先に燃え尽きようとしていた。


別荘のフェリシアの私室では、起き上がることもできなくなったフェリシアの傍らにシオンが寄り添い、主治医や三人の息子とその妻、そして五人の孫も集まっていた。


「シオン様、私が、看取ると約束したのに、その約束は、果たせそうに、ありません」


フェリシアの呼吸は浅く、話すのもきつそうだが、なぜかフェリシアは話したがる。


「君は充分約束を果たしている。私を幸せにしてくれたではないか」


「私も、幸せ、でした。でも、申し訳、ありません。先に、逝きます」


「もういい、しゃべるな。

私もすぐに追いかけることになるだろう。そして生まれ変わってまた一緒になろう」


シオンはフェリシアがしゃべるのを止めさせようとするが、それでも彼女は止めようとしない。


「また、私を、見つけて、くれますか」


「君がどこにいても必ず見つけよう」


「忘れて、いるかも、しれません」


「それでもいい。私が覚えている」


フェリシアの目は霞み、シオンの顔さえも見えなくなってきた。


「シオン様、何か、話を…」


シオンの姿が見えなくなると、せめて声だけでも聞きたくなったフェリシアは、最後の声を振り絞って話を聞かせてくれとねだった。


「今日は…風に乗ってラベンダーの香りがしてきた。君とよく散歩に出かけた高原のラベンダー畑が見頃を迎えたのだろう。今度君のためにラベンダーでも摘んできてやろう。

今年産まれた子馬がもう牧場を飛び回っている。今年は三頭も産まれたからな。牧場が賑やかになっていい」


シオンはあまりしゃべることは得意ではないが、思い付くことをひたすらしゃべる。フェリシアが寂しくないように。


するとフェリシアの右手が何かを求めるように力なく伸びてきた。シオンはその手を大切に、包み込むように両手で握りしめる。


「そろそろ羊の毛刈りの季節がやってくる。君は毛刈りを見るのが好きだったな。羊毛業はうちの領地の特産のひとつで最近は羊毛を使った寝具が評判で王都を中心に受注数が…」


シオンも自分が何を話しているのかよく分からなくなっていたが、話すことを止めない。


ふっとフェリシアの手の力が抜けた。

僅かに上下していた胸の動きも止まり、呼吸が止まったように見える。


呼吸が止まったとしても、既に意識がなくとも、耳だけは最後まで聞こえていると聞いたことがある。


フェリシアに届けと祈るように、シオンは話し続けた。


「昨年の農業は豊作だったが、今年も今のところ順調だ。

工業では最新の設備投資をした繊維業が昨年の十五パーセント以上伸びている。新しい設備による効率化と新しいデザインによる差別化を図ることによってより市場の拡大を狙っていけるのは間違いないだろう。

一昨年から進めていた港の護岸工事は…」


「父さん」


「父さん、そろそろ母さんを休ませてあげよう」


長男のユリウスが声をかけてようやくシオンは話すのを止めた。


孫たちのすすり泣く声が聞こえる中、シオンは握りしめていたフェリシアの右手をそっと彼女の胸へ置き、もう片方の手をその上へ重ねた。


穏やかで、安らかで、まるで微笑んでいるかのようなフェリシアであった。







 フェリシアが亡くなってから一月が経過した。

気落ちするかと思われていたシオンは意外にもいつも通り過ごしていた。


散歩がてらに領地の様子を見て回り、領民から陳情があれば耳を傾けて領地管理をしている親類の者に手紙を出す。

時折領地運営の書類に目を通し、異常があればユリウスへ報告する。

そのような生活はフェリシアがなくなる前と全く同じだったが、彼女がいないことだけが、どこか寂しそうだった。



 そしてある日の朝のことだった。

シオンの起床の手伝いをする従僕のナダルは、いつも通り洗顔用の水差しと器とタオルを用意し主人の部屋へと入る。


「おはようございます。大旦那様」


ナダルはとりあえず水差しや器をサイドボードに置き、カーテンを開けた。

明るい朝の日差しがシオンの部屋を照らす。


それでもシオンはまだ眠りの中にいるようで、いつも目覚めのいい彼が珍しく起きない。


「大旦那様?」


ナダルはシオンの顔を覗き込んだ。

その寝顔はとても安らかで、幸せな夢を見ている途中のような、そんな寝顔だった。


しかしそこでようやく彼が呼吸をしていないことに気付く。は、と息を呑むとナダルは慌てて執事の元へ駆けていった。







 ふと気が付くと、シオンは満開に咲くラベンダー畑の真ん中で立っていた。見渡す限りの美しい風景。隣にフェリシアがいないことが寂しく感じた。


その時柔かな風が通り抜け、シオンは何気なく後ろを振り向く。


するとそこには出会った頃のままの美しい姿のフェリシアが立っていた。


───君は美しいままなんだな。


ふと自分の体を見直すと、自分も三十の頃に若返っていた。


『シオン様、参りましょう』


優しく微笑みかけるフェリシア。


───ああ、君は迎えに来てくれたんだな。


「ああ、行こう」


シオンが左肘を軽く付き出すと、フェリシアがその腕にそっと右手を置く。


二人は並んでラベンダー畑から永遠に続く道を歩き出した。

ゆっくりと。

風にそよぐラベンダーを眺めながら。

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