番外編 ロイドの婚約者(前)

 時は遡り、ロイドが入省して三ヶ月ほど経ったある日のことだった。


その日は昼から王族と宰相、そして三人いる政務省の室長らが集まり、ランチミーティングが行われる日だった。


このランチミーティングは月に一度、王宮で行われる定例会議で、ロイドはその会議の下準備のために会議資料を抱えて会場である饗応室へと向かっていた。


 王城内の行政棟を抜けて長い渡り廊下を行く。

王族の住む王宮へ着くと、王宮内へは入らず近道となる庭園に沿った廊下を歩いていた。

そこでロイドは今まであまり見かけることのなかった珍しいものを目にし思わず足を止めた。


「ディーも行くの!お父様に頼めばいいって言ってくれるもん!」


「でもディアーナ様…」


ロイドから見て背を向けているが、フリルのついた白いドレスをフリフリと揺らし、幼い女の子ならではの高い声で乳母らしき女性に向かって泣きわめいている。


王宮に住む幼い女の子と言えば一人しかいない。末娘のディアーナ王女であり、もうすぐ五歳になる。

プラチナブロンドの巻き毛にブルートパーズのような青い瞳。

クリクリとした大きな瞳が可愛らしい、将来はどれほどの美女に成長するのか楽しみな幼女である。

しかし何を揉めているのかよく分からないが、お尻をフリフリがぁがぁ喚く姿がアヒルのようだとロイドは思った。


王女が何か駄々を捏ねているのだな、とその程度しか思わなかったが、見られていることに気付いた乳母が申し訳なさそうに頭を下げたのでロイドも軽く頭を下げた。


そして乳母が自分以外の存在に礼をしたことに気付き王女が振り向いた。


「だれ?」


目元を腫らし、大きな瞳に涙をいっぱい溜めた王女。

見つからなければそのまま行ってしまおうと思っていたが、見つかってしまったので挨拶だけでもすることにした。


「文官のロイド・パッセンジャーと申します。王女様にご挨拶申し上げます」


ディアーナ王女の側まで行き、初めてのご挨拶ということで跪き、王女の手を取って唇を落とす仕草をした。

ロイドは跪くことで目線が合い、怖がらせないように優しく微笑んで見せた。


ディアーナは産まれて初めてされる忠誠を示す礼に驚き、慌てて手を引っ込める。

しかし母である王妃が手の甲へキスをされる場面をよく見てきたので悪い気はしなかった。


「ディアーナです…」


ともじもじしながらかろうじて挨拶を返した。


「王女様、どうして泣いておられたのですか。そんなに泣いてしまっては目が溶けて無くなってしまいます」


ディアーナの青く澄んだ大きな瞳には、今にも零れ落ちそうに涙が溜まっていた。

それを見たロイドはそっと手を伸ばすと親指の腹で優しく拭ってやった。


───あ、しまった。他の令嬢にしてやるのと同じようにしてしまった。王女に対して不敬だったかな。


と己の軽はずみな行動を悔いたが、王女の方は少し目を丸くした後、気を許したのかロイドに一歩近寄った。


「ひっく、ローランドお兄様とエドワードお兄様がね、アシュレイとウィンダムとパディとポンも一緒に兎とか鹿とか捕まえに行くって…。そんなのズルいってディーも一緒に行きたいって言ったのにお前はまだダメだって…。ひ、ひっく」


泣きながらディアーナが一生懸命何かを訴えているが、何を言っているのかいまいち要領を得ないロイドはチラリと乳母の方を見る。


「ディアーナ殿下は、ローランド殿下とエドワード殿下がアシュレイとウィンダムという名の愛馬に乗って、狩りへ出かけられるのを羨ましがっておられるのです。パディとポンというのは猟犬の名前でして…」


「なるほど」


乳母が通訳をしてくれたおかげで事態が飲み込めた。

第一王子のローランドは十五歳、第二王子のエドワードは十三歳で狩りを習い始めたばかりだ。

二人とも年の離れた妹を可愛がっているが、危険な狩りへ幼い妹を連れていく訳にも行かなかったのだろう。


「ディーだけ仲間はずれ。ディーも兎とか鹿見たいのに」


ディアーナがじわりと再び大きな瞳に涙を浮かべるのを見て、ロイドはヤバいまた泣く、と慌てた。


「王女様、兎や鹿もいいですがアヒルはいかがですか」


──あ、ディアーナ王女を見てついアヒルとか言ってしまった。


「アヒル?」


「はい、我がパッセンジャー家の領地の屋敷ではアヒルを飼っております。大変可愛らしい鳥ですよ。よろしければ王女様のためにプレゼント致しましょう」


──王女に家畜を贈るってアリなのか?普通に考えたらナシだよな。


「本当?!」


「ええ、本当です」


ディアーナを見てついアヒルと言ってしまったロイド。

王族へ家畜を贈るのはどうなんだと思わなくもないが、王城にも鶏卵用の鶏小屋があるのでそこで飼育してもらえばいいし、興味を失えば食用にしてもいい。


大して高価なものでも珍しいものでもないが、後にロイドは知ることになる。ディアーナにとって人生で一番嬉しかった贈り物がこのアヒルであることを。



 この日のロイドとディアーナの初めての邂逅はアヒルを贈る約束をして終えた。


幼い女の子とはいえ王女に贈り物をするとなればそれなりの手順を踏む必要がある。


およそ三週間後、王家の鶏小屋の中には一羽のアヒルと、五羽のアヒルの雛が無事、納入された。







 前回の邂逅から一月が経ち、また王宮でのランチミーティングの日がやってきた。


会議資料を抱え饗応室へと向かうロイドの耳にがぁがぁぴぃぴぃと普段聞きなれない鳴き声が聞こえた。


庭園へ目を向けると大きなアヒル、もといディアーナ王女を先頭に、親アヒルと雛アヒルが列を為していた。


ディアーナは葉物野菜を手にしていて、それをアヒルへやる。

ぐわっぐわっと手まで啄まれてしまいそうなのを慌てて手を引き、きゃっきゃと楽しそうだ。


───女の子は笑顔が一番だよな。


そう思っていると、ディアーナがロイドに気が付いた。


「ロイド!」


ディアーナがアヒルを引き連れて、ロイドの下へ駆け寄る。


「ご機嫌麗しく、王女殿下」


「ん」


略式の礼を執るロイドに、ディアーナが右手の甲を差し出した。

これは忠誠を示す礼をしろという意味だ。内心やれやれと思いながらロイドは跪きディアーナと目線を合わせると差し出された右手を取り口づけをする。


「うふー」


満足気なディアーナ。

この忠誠を示す礼は頻繁にやるものではないが、要求されれば応じない訳にはいかない。無闇にこれをせがむような女性になって欲しくないな、と思いながらロイドは心の中で苦笑いをした。


「ロイド、抱っこして」


次に両手を伸ばし抱っこをせがんだ。


「はい、仰せのままに」


妙に懐かれたな、と思いながら抱えていた書類を側にいた乳母へ預け、ロイドはディアーナを右腕で持ち上げた。五歳児の女の子は驚くほど軽い。


「ねぇ、お耳貸して」


「はいはい、どうそ」


今度は耳を貸せと言うディアーナにロイドが右耳を向けると、ディアーナはロイドの耳へ手を添えて、声を潜めながらこしょこしょと話し始めた。


『あのね、あのね、アヒルありがとう。それでね、アヒル小屋を作ったの。ロイドにだけ特別に見せてあげるわ』


ふんふんと鼻息がロイドの耳を擽る。幼い少女の小鳥の囀りような声がこそばゆい。


内緒にするような内容ではないが、ディアーナは楽しそうである。全くこの年頃の女の子の思考回路はよく分からないな、と思った。


『見てみたいのはやまやまなんですが、生憎今から仕事へ向かわなければなりません。残念ですが…』


ロイドも耳元ではないものの、ディアーナに合わせて声を潜めた。

ちなみに側にいる乳母には話の内容は筒抜けだ。


『じゃ、いつにする?』


『え?あー、では一月後の同じ日に、今日より三十分早くここへ参ります。その時に見せて頂けますか』


『いいわよ。貴方にだけ、特別よ』


『はい、光栄です』


ロイドはこの日、この国で最も高貴な幼女と『アヒル小屋見学』というデートの約束を交わした。

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