第17話
フェリシアはロイドにこの仕事が落ち着いた後、父がシオンと話し合いの場を設けて、結婚をするつもりがあるのかどうなのか結論を出すことになったと伝えた。
その結論によってパッセンジャー侯爵家との縁談を考えることになると。
「分かった。とにかく婚約が解消されてからだね」
「はい。婚約が解消されたら父の方から連絡が行くかと」
「楽しみにしてる」
「婚約解消を楽しみだなんて」
フェリシアは苦笑いする。
しかしロイドも、フェリシアも、シオンが婚約解消を望んでいて、それをロザリンド夫人が認めていないだけなのだと思っていた。
しかし実際のところ、シオンはひたすら沈黙をし続けていただけで婚約解消について一言も口にしていない。
ロザリンドとしてはあまりにもシオンが何も言わないので、結婚させるのは諦めて息子のあれやこれやが機能不全でしたごめんなさいと、慰謝料を払って婚約を解消するのも致し方ないと考え始めていた。
✳️
フェリシアが時計を見上げると二十二時を過ぎていた。
仕事の区切りがついたので帰る支度をする。
早足で職員用の馬車乗り場へ向かうと、まだ伯爵家からの迎えは到着していなかった。
───そうだったわ。今日は二十三時に迎えに来るように伝えたんだったわ。
迎えが来るまで二十分近くある。
フェリシアは近くのベンチに腰を下ろし馬車を待つことにした。
そこへ一台の馬車が到着し、目の前で止まった。
遠目から見えていた馬車の型で伯爵家の馬車とは違うのは分かっていた。
馬車の扉が開き中から一人の男性が降りてきた。
どうやら迎えの馬車ではなく送りの馬車のようだ。
馬車から降りてきた人物にフェリシアは目を見張った。
相手も馬車から降りて目の前にフェリシアがいること驚いたようだった。
「ベラルド室長…お疲れ様です。お帰りなさい」
そう言えばシオンは出張だったと思い出しフェリシアは声をかけた。
『お疲れ様です。お帰りなさい』
その言葉が前世のアリシアを思い出させ、まるで目の前に彼女が生きているような錯覚がした。
「室長?」
「あ、ああ。君は帰りか」
「はい、迎えの馬車に伝えた時間より早く上がれたので待っておりました」
「そうか、マークウェルド君…少し時間いいか」
珍しくシオンの方からフェリシアへ話しかける。
「…はい、大丈夫です」
───ああ、いよいよ婚約が解消されるのね。
覚悟していた筈なのに寂しくなるのは何故なのか。フェリシアはそんな自分の気持ちを見て見ぬ振りをする。
「とある男の話を聞いて欲しい…」
「?…はい」
意外な会話の切り出し方に少々驚くが、フェリシアは素直に頷く。
「昔、上司の一人娘を妻に娶った男がいた。
その妻は若く、美しい女性だったが、病弱で決して無理をしてはいけない体だった。
しかし男は病弱な妻を顧みず、仕事ばかりしていた。普通の夫婦なら蜜月といわれる新婚の頃でさえ仕事にかまけて妻を放置した。朝早くから夜遅くまで、ろくに顔を合わせることもせず、会うのは月に数日。
そんな結婚生活が一年と数ヶ月が過ぎたころだった。」
話の内容が自分の前世と一致することに気付くフェリシア。
まさか、と思う。
「寒く、雪の積もる朝だった。
職場に何日も泊まり込んでいた男のもとへ急な知らせが届いた。男は慌てて屋敷へ帰り、妻の寝室へ駆け込むがそこにはすでに冷たくなった妻の亡骸があった…」
───まさか、まさか。
「だんな、さま…?」
思わず口から出てしまった前世の夫の呼び方。
フェリシアが驚くよりもシオンの方が驚いた顔をした。
「記憶があるのか…?」
「はい。十七の頃に」
───ああ、旦那さま…旦那さま…会いたかった旦那さまが目の前にいる。
何故私は気が付かなかったのだろう。
こんなにも旦那さまとベラルド室長は重なって見えるのに。
「アリシア、悪かった」
懐かしさと、愛しい夫に再び会えた喜びでフェリシアの瞳から一筋の涙が零れた。
「君にとって私は酷い夫だった。
病弱な君を顧みず、肺炎を患ったことも知らずたった一人で逝かせてしまった。誰にも看取られることなく、寂しく、苦しい思いをさせてしまった。
本当に悪かった…」
「そんな、旦那さまのせいでは…」
フェリシアの目の前には、俯き項垂れる前世の夫の姿があった。
フェリシアは初めて知った。
遺された方はこんなに遺恨を残し、苦しんでいたのかと。
夫は悪くない。
確かに死ぬ間際に寂しくて夫に会いたいと思ったりしたが、夫のせいで亡くなったのではない。
それに結婚生活はアリシアにとって幸せなものだったのだから。
「アリシア、君と私は結婚しない方がいい。私から断ると君の名に傷が付くだろう。だから君の方からこちらに瑕疵があると言って断りを入れて欲しい」
「……嫌です」
「私は君を娶る資格のない男だ…」
「嫌です。会いたかった旦那さまにようやく会えたのです。
私は旦那さまと結婚できないのなら、誰と結婚しても同じだと思っておりました。私は旦那さまがいいのです」
「君をまた死なせてしまうかも知れない」
「今世の私は健康です」
「知らぬ間に君が帰らぬ人となるのは二度とご免だ」
「その心配はご無用です。
私の方が十歳若いのです。私より旦那さまの方が先に天へ召されると思うので、私の方が看取って差し上げます」
妻より先に自分が逝く。
考えもしなかったことを言われ、シオンは目を丸くした後声を上げて笑った。
「ははっ、そうか。
君とアリシアは別人なのだな」
「はい、今世の私は健康でこうして働いて、残業する体力もあります。
ベラルド室長、私が何故文官として働こうと思ったのかお分かりですか」
「…私や君の父上がそうだったからか?」
「はい。毎日その身を犠牲にして何をなさっていたのか知りたかったのです。旦那さまや父が見ていたものを私も見てみたいと思ったからですわ」
「見てどうだった」
「国のためでしたら、夫を家で待たせても仕方がないと思えましたわ」
ははっと楽しそうに笑うシオンは、今世の妻はずいぶんと逞しいのだと思うのであった。
「フェリシア・マークウェルド嬢」
「はい」
「私とまた結婚してくれないだろうか」
「はい、喜んで」
「今世は君をひとりにしない」
「ふふ、過保護過ぎです」
「君と過ごす時間をたくさん作って、たくさんの思い出を作ろう」
「はい、旦那さまと見たいもの、行きたいところ、たくさんのあります」
「ああ、どこへでも連れていこう。
どんなところへ行きたい?」
「まずは宝飾品店ですわ」
とフェリシアは指輪の嵌められていない左手の甲をシオンへ見せた。
「今世の君はおねだりもできるんだな」
と言ってシオンはくつくつ喉を鳴らして笑った。
そこへちょうどマークウェルド家の馬車が到着した。
後ろ髪引かれる思いでフェリシアは馬車へ乗り込む。
「指輪は後日一緒に見に行こう」
「はい、楽しみです」
同時にマークウェルド家へ挨拶に行く約束をして、シオンはフェリシアを乗せた馬車を見送った。
───今世の君はずいぶんと逞しくしなやかな女性なんだな。
アリシアとの違いを感じ、シオンはフェリシアのことをもっと知りたいと思うのだった。
前世の悔いは決して消えることはない。しかし今のシオンの心に憂いはなかった。
そしてシオンは思う。
───今世は君を幸せにしたい。
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