第14話

 フェリシアは黒地に青い薔薇の刺繍をあしらったコンパクトミラーの作成に取りかかった。

何せ公爵夫人へ贈る品だ。

適当に自分の持っていたコンパクトミラーと完成した刺繍を工房へ預けて、いい感じに仕上げてもらうのと訳が違う。


素材から吟味し、金物細工の工房ともデザインの打ち合わせをする必要があった。

しかしフェリシアは平日の昼間は文官として働く身。コンパクトミラーの作成は思いの外時間がかかっていた。



 そして昼間フェリシアが王城で働いている間、マークウェルド伯爵家へ何度も通う黒光りする高級馬車の姿があった。


乗っていたのはシオンの釣書を携えたロザリンド。

息子に黙ってロザリンドがそんな行動をしているとはシオンも、そしてフェリシアもつゆほども知らなかった。




✳️




 きっかけは、息子のシオンが「母と同じリズム音痴」と言ったことだった。母と同じ…母と同じ…その言葉がロザリンドの脳内を駆け巡る。


息子を愛する母親からすれば、そう言われた女性を気にならない筈はない。

しかも同じ弱点だとか、もう、自分の娘になるために生まれてきた令嬢であるとしか思えなかった。


そして踊った後の彼女を見つめる時のシオンの優しい瞳。

ロザリンドの頭の中では祝福の鐘が鳴った。


 ロザリンドも『月下美人の君』の存在は知っていた。

ここ最近社交界で、月夜の晩に一度だけ大輪の花を咲かせる月下美人のような儚げな美女がいると評判だった。


ロザリンドとは違うタイプの美しい令嬢で、目立つことは何もしていないのに何故かそれが逆に男性の気を引いていた。


───確かプリシーラ夫人の派閥だったわね。


派閥と言うより『刺繍同好会』の中心的存在だっただけなのだが、フェリシアを知る人物として呼び寄せて話を聞き、情報を集め、実際に『刺繍同好会』へ参加させてもらった。


年上の貴族女性の評判も良く、控えめな性格で、文官登用試験に合格するくらいだから頭も悪くない。しかも美しい。


───いい。あの娘はとてもいい。

性格、人間関係、トラブルもなく、しかも家柄もいい。

それに私と並んでも見劣りしない美貌。あの娘が欲しい、急がなければ売れてしまう。


ロザリンドは早速一筆したためて、シオンの釣書と一緒にマークウェルド伯爵家へ届けさせた。


家格が上の公爵家からの申し出であり、最高に自慢の息子との縁談である。


相手は諸手を上げて喜ぶと思っていたが、予想外にそれはすげなく断られた。


断られた理由は、娘は見聞を広げるために王城へ出仕し社会経験を積んでいる。

三年は勤めさせたく、入省したばかりであるため辞めさせられない。

ありがたい話ではあるが、今はすべての縁談を断っているため、ご容赦いただきたい。

そのような内容だった。


一度決めたら諦めないのがロザリンドだ。

自ら何度も足を運び、結婚しても勤め続けても良いと譲歩し、終いには王に頼み込むとまで言い出す始末(ロザリンドは王族の血筋)だった。


ついにマークウェルド伯爵は根負けし、婚約を取り付けたのだった。




✳️




 家族が集まる夕食の時間。

フェリシアはいつもと違う、重苦しい雰囲気を感じていた。


「フェリシア、お前の縁談が決まった」


いつかそんな日が来ると思っていた。

しかし文官として三年は働かせてもらえる約束だったのではないか。


「三年は働かせてもらえる約束でしたわ」


「先方の強い希望でな。

仕事も辞めなくていいと言って下さっている。

相手はベラルド公爵家の嫡男シオン・ベラルド公だ」


「ベラ、ルド、室長?」


「そうだった、フェリシアの上司になるんだったな。ロザリンド夫人がフェリシアのことをいたく気に入ってこの縁談が結ばれる運びとなった。

全く、王権までちらつかせられたら首を縦に振るしかないだろ…」


不服そうな父トニーを見て、ロザリンド夫人がぐいぐいと強引に事を運んだのだと、何となく想像がつく。


「由緒ある公爵家が仕事を辞めなくていいと言ってくれてるのよ。

寛大なご配慮に感謝して、三年後にはきっぱり辞めて、公爵家に尽くすのよ、いい?」


母のテレシアが念を押す。

愛する娘の結婚相手として不足はないようでどこか満足気だ。フェリシアも心を決めて受け入れるしかないと覚悟する。


相手は少なからず思っていた人だ。

少し嬉しくもある。

しかし、独身主義だとか言う噂があったことを思い出し、この縁談は無事結ばれるのだろうかと少しばかり不安になるフェリシアだった。


 そしてその同時刻、ベラルド公爵邸のシオンの執務室にて。

シオンは持ち帰ってまで仕事をしていたのだが、彼も母親のロザリンドから婚約の報告を受けていた。


「シオン、貴方、フェリちゃんと結婚しなさい」


「フェリちゃん?」


「ほら、私と同じダンスが苦手な娘よ」


「な、何を勝手に…母さん、私は結婚はしないと何度も言ってきたではありませんか」


「でも公爵家の後継ぎとしてそれは許されないことよ」


「後継ぎならケインの子を養子に迎えればいいのです」


「それはあくまで最終手段です。

貴方に子供が出来ない理由があるのならまだしも、そうでないのなら貴方の子が後継ぎになるのです。

ダーリンもこの縁談を進めていいって言ってるわ。

これは命令です。フェリちゃんと結婚なさい」


これ以上は何言っても通用しないと、諦めたようにシオンは深く息を吐いた。

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