第10話

「見事に懐柔したな」


「ひゃっ」


 フェリシアが紅茶を淹れていると急に背後から声をかけられた。

振り向くとそこに立っていたのは室長のシオン・ベラルドだった。


「室長」


「驚かせたか」


「い、いえ、大丈夫です。

いつから聞いていらしたのですか」


「ちょうど通りかかったところで君が責められているのが聞こえた。

君に余計なことをして迷惑をかけていないだろうか」


「そんな…迷惑だなんて。私としては助けていただいて感謝しているのです。

あのままでは天候の悪い日には行き場がありませんもの」


そう言いながらフェリシアは慣れた手つきで紅茶を淹れていく。


「ベラルド室長も一杯いかがですか」


トポトポとお湯を注ぐティーポットから紅茶の芳醇な香りが立ち上った。

シオンはすぐに立ち去るつもりだったが、鼻腔をくすぐる紅茶の香りに誘われて一杯だけ飲んで行くことにした。


「いただこう」


「では室長の席までお持ちします」


「いや、ここでいただこう」


給湯室にはその場でお茶が飲めるように椅子はないが小さなサイドテーブルがある。忙しい者はその場で飲んでしまう事が多い。

フェリシアは淹れたての紅茶をカップへ注ぐとサイドテーブルの上へ置いた。


「どうぞ」


「ありがとう」


気が付けばフェリシアとシオンが個室で二人きりになるのは今日二回目だった。

扉を開けたままにしているとは言え、給湯室は狭くとてもシオンが近くに感じられた。


フェリシアもカップを傾けながら、目の前の男の様子をそっと伺う。

一見冷たそうにも見えるこの男は存外に親切で、それでいて他の男性のようにぐいぐいと迫る感じがない。

なぜか不思議と居心地がいい。


紅茶を口にしたシオンの目が僅かに見開かれた後、眉間の皺が消えた。


───ふふ、お気に召されたようね。


フェリシアはこうして人に紅茶を振る舞い、密かに反応を確かめるのが何より好きだった。


フェリシア淹れた紅茶は彼女のお気に入りのもので、家から持参してきたものだった。


独自にブレンドした茶葉にドライオレンジを加え、爽やかな柑橘の風味がする紅茶。

ドライオレンジだけでは酸味が足りないため隠し味にレモン果汁をほんの少し垂らしたフェリシア特製のものだった。


そしてこの紅茶は前世アリシアだったころから、得意としていた紅茶でもあった。


「このオレンジの風味のする紅茶が飲みたくて、様々な商会から取り寄せたことがある。

しかしどの商会の茶葉も、求めていた味とは違う。もし差し支えなければこの茶葉はどこから手に入れたのか聞いても良いだろうか」


「残念ながら、この紅茶は私が特別にブレンドした紅茶ですので市場には出回っておりませんの。

でも隠し味にレモン果汁を少しだけ加えただけなので、室長がお持ちの茶葉でも近い味が出せると思いますわ」


と得意気に語るフェリシア。

その姿が前世のアリシアと重なる。


ドライオレンジ入りの紅茶に隠し味にレモン。

この紅茶は前世でもアリシアがシリウスのためによく淹れてくれたものだった。


──ああ、私はなぜ忘れていたのだろうか。確かにアリシアはそう言っていた。そしてフェリシア、君はやはりアリシアだったのだな。


そう確信したシオンは、眩しそうにフェリシアを見つめる。

今世の彼女は前世と違い血色も良く、文官として働けるほどに体力もある。


──良かった。今世の君は健康なんだな。


どこか儚げな美しさは前世と変わならないが、前世と違い健康そうである。今世こそは仕事しか能のないような馬鹿な男とはかかわらず、フェリシアを一番に思ってくれる優しい男と幸せになって欲しい。そう願うシオンだった。


「馳走になった。今度試しにレモンの果汁を入れてみるとしよう」


「ええ、是非試してみて下さい」


シオンは飲み干したカップをフェリシアへ手渡すと足早に事務所の方へと歩いて行った。


それ以降、シオンとフェリシアが接触することはなくなり、せいぜい挨拶を交わすだけの日々が過ぎて行った。




✳️




 月日が経ち夏が訪れた。

フェリシアの仕事は順調で、ロイドに助けられる回数も減り、庁内で迷子になることもなくなった。


最初の頃は周囲に優秀な人が多すぎて自分に自信をなくたこともあったが、数字のひとつひとつ拾い集めて大きな結論を出す作業が、どこか刺繍の一針一針が美しい作品を作り出すのと似ていて、今では寧ろ自分に合っているのではないかと思うようになっていた。


「皆聞いて。今年も毎年恒例の公爵家で開かれる『家族懇親会』の時季がやってきたわ。

日時は今月最後の土曜日11時。

是非、家族や婚約者を誘って参加して下さいとのことです。もちろん一人での参加でも大丈夫よ。一応参加人数を取りまとめるから今週中に参加人数を教えてちょうだい」


 課の職員が全員揃っているタイミングで、課長のアンナが告げた。

『家族懇親会』とは何だろうかとフェリシアが考えているとそれを読んでいたかのようにロイドが答える。


「毎年夏の時季になると、シオン室長が職員のためにパーティーを開いてくれるんだ。家族や婚約者にどんな仲間と働いているのか知ってもらうのと、家族の理解があってこそ俺らが働けているのだから、その家族を労う意味も兼ねて開催されるんだ」


「楽しそうですわ」


「そうだね。社交と違ってとても気楽なものだよ。職員のお子さんもたくさん参加されてとても賑やかだし」


きっとこの懇親会にはシンディとサマンサも参加するだろう。着ていくドレスはどのようなものがいいとか、エスコート役はどうするのかとか聞きたいことがたくさんある。

昼の休憩時間に二人に相談しよう。

そう思うフェリシアだった。

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