第8話

 フェリシアが給湯室へ入ろうとしたところで、中から二人の女性の声が聞こえて足を止めた。


『月下美人、早速室長と二人きりになってたわね』


『やっぱり月下美人の目当ては室長だったのよ。そもそもあんな美人がわざわざ文官になって働く意味が分からないもの』


『そうよね。女嫌いで有名な室長相手にどんな手を使ったのかしら』


『美人って得よね~』


話の内容から察するに、昼の休憩時間をベラルド室長の執務室で過ごしたことを批難しているようだった。


フェリシアはシオンの厚意に甘えてしまったことを軽率だったと悔いた。

あれほどの美形である。彼から特別な扱いを受ければ人から妬まれることも当然ではないか。


フェリシアはこのまま気が付かれないうちに踵を返そうとした。がしかし、その妬みの矛先がもうひとりの当事者へと向いた。


『室長も室長よ。執務室に月下美人を連れ込むなんて。私達には仕事の相談があるって言っても一度も立ち入らせてくれないのに』


『告発でもしてやろうかしら。執務室へ白昼堂々と若い女性を連れ来んでるって』


『あはは、それ名案!』


フェリシアは慌てて扉を開けた。

フェリシアに親切にしたばかりにシオンがこんな軽い悪戯のような感覚で告発されては申し訳が立たない。

例え冗談だったとしても笑えない冗談だ。自分が悪く言われる分には我慢すれば良いがシオンに迷惑がかかるのは我慢ならなかった。


「ごめんあそばせ。私もお茶を淹れてもよろしいでしょうか?」


二人の女性の間を割って入るフェリシア。

突然の闖入者に驚く二人だったが、それが先ほどまで話題にしていた人物だと気付き更に驚く。


「な、なによっ。もしかして立ち聞きしてたのっ!」


狼狽えながらも開き直りながら突っ掛かる一人の女。


「何のことでしょうか。美人は得だというお話でしょうか?」


「やっぱり聞いてたじゃない!」


「さあ?室長に相手にされない方が美人を羨んでるお話ししか聞こえませんでしたわ。そうそう、申し遅れました。私、『月下美人の君』こと、フェリシア・マークウェルドと申します。

お二方は何の花でして?」


月下美人の花が咲き誇るような、フェリシア史上これまでにない笑顔を二人に向ける。


陰口を叩いていた二人もそれなりの家柄の出であり、美しい令嬢ではあるが花に例えられたことはなく、あったとしても渾名として広まることもなかった。


「うっ、いっ、言ってくれるじゃない!」


「あなた、覚えておきなさい。

私達を敵に回したこと後悔するわよ。」


「そうよ、そのうち痛い目見るわよ!」


二人はそう捨てゼリフを残して給湯室から出て行こうと身を翻した。

しかしそんな二人をフェリシアはただでは帰さない。


「お待ちになって。話はまだ終わってないわ。話の続きを明日のお昼休み、ベラルド室長の執務室でお聞かせ願えないかしら」


「え、何よ」


「どういうこと?」


振り返りフェリシアを見つめ返すその目には焦りの色が浮かぶ。

突然、お昼休みに執務室へ来いとはどういうことなのか。

ケンカの続きをする場所にしては相応しくない。先ほどの陰口をシオンに言い付けて断罪でもするつもりなのか。


そこでフェリシアは目を伏せてよろよろと倒れそうになりながら体をキッチンで支え、儚げな雰囲気を醸し出し語り始めた。


「昨日の出来事ですわ…。

ロイド先輩が食堂へ案内してくださったのですが…そこで……」


大勢の人に囲まれてしまったこと。

そしてロイドも自分もまともに食事ができず、ロイドに迷惑をかけてしまったこと。

だから今日、ひとりでひっそりと食事をしようと、中庭のベンチにいたところでシオンに声をかけられたこと。

フェリシアを気の毒に思ったシオンが昼休みに執務室を使うことを許してくれたこと。


そして今日はたまたまシオンが同席したが、明日からは誰かを誘うように言われ、誰も誘う相手がいないこと。


それらのことを哀愁漂わせて語る。

儚げで思わず手を差し伸べたくなるようなフェリシアは、その容姿を生かして同情を誘った。


「明日も密室でひとり過ごすくらいなら、貴女方とケンカしていたほうが楽しいわ…」


ここで表情は微笑んではいるものの憂いを帯びた瞳で二人を見つめる。


「うっ、」


「わ、私達が悪かったわ…」


───よっしゃ!陥落!


一度敵対しておきながら次の瞬間味方に引き込む。これはフェリシアが学生の頃から使っていた手法だった。


幼い頃から異性にやたらに纏わり付かれることが多かったフェリシアは、意図せず同性の敵を作ってしまう事が多かった。


昔はそれで自分の部屋でひとりで泣くことも少なくなかったが、ある日、ひょんなことがきっかけで同情を誘い、味方についてくれて尚且つ周囲から庇ってくれるようになった人たちがいた。


それが学生時代の友人たちである。

フェリシアは経験でこのような陰口を言う人たちは、味方につけると非常に心強いことを知っていた。


「貴女のこと誤解してたみたいね。

私、秘書課のシンディ・パウエルよ」


シンディは豊かな蜂蜜色の髪をハーフアップに結び、緩やかにウェーブした長い髪のスレンダーな女性だ。


「私も悪かったわ。

私は庶務課のサマンサ・クロフォードよ」


サマンサはダークブラウンの髪をひとつに纏めて横に流し、たれ目とぽってりとした唇から色気を感じさせる女性だ。


すでに三人の間に流れる空気に刺々しいものはない。


───やはり、この人たちは根っからの悪人ではないわ。事情を話せば歩み寄ってくれるもの。


「誰にでも間違いや勘違いはありますわ。改めまして、統計課のフェリシア・マークウェルドです」


こうしてフェリシアは職場でも気軽に話し合える仲間を手に入れたのであった。

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