第3話
フェリシアは一年間の試験勉強を経て、無事登用試験に合格した。
試験は専門的な知識を要する【技術職】、将来的に国の中枢を担う【上級職】、そして諸々の事務を行う【下級職】と三種に分かれ、その中でフェリシアが合格したのは【下級職】となる。
技術職と上級職に合格した者の配属先は本人の希望が考慮される。
しかし下級職は希望する配属先を一応聞いてはくれるが、叶えられるのはごく少数だった。
フェリシアは配属先の希望を内務省と申請していたが、正式に配属となったのは政務省という、宰相をトップとし、各省の取り纏めや監督、施政による改善効果の調査などを行い、上級文官の中でも特にエリートが集まる宰相を支える省庁だった。
その配属先の決定通知が届いたのは、フェリシアが学園を卒業して間もなくの、初登城をする一週間前のことだった。
なぜ自分が、と取り立てて優秀でもないフェリシアがなぜ選ばれたのか疑問に思いながら、いよいよ初登城の日を迎えた。
真新しい文官の制服に袖を通し、下級職文官の証であるブロンズのバッチを胸元へ着ける。
期待と不安を胸に、フェリシアは両親と兄に見送られながら邸宅を出発した。
*
王城の中にある行政棟の大講堂に、フェリシアや同期となる新人ばかりが集められ、入省式が行われた。
同期と言っても年齢はフェリシアより少し若い感じの人から中年と言われる年代の人まで、皆真新しい制服を身に纏い、緊張の面持ちだった。
王族からのお言葉を頂き、宰相の挨拶、そして新人代表の挨拶が終わると入省式が終わった。
入省式が終わると各自配属された部署へと行かねばならない。
フェリシアが配属されたのは政務省の中でも政策室統計課といって、各省庁から上がってきた様々なデータを集計し統計を取り、その分析結果を宰相や国王陛下、王太子へ報告する部署だった。
多くの者が各々移動を始める中、方向音痴のフェリシアはどちらへ向き、大広間にある数ある扉のどれを通ってどこへ向かえばよいのか迷った。
「ちょっといいかな、君がフェリシア・マークウェルドさん?」
「あ、はい」
背後から声をかけられフェリシアは振り向く。
そこに立っていたのはキャメル色の柔らかそうな髪とアーモンドのような茶色の瞳。
温和な感じのフェリシアより少し年上の男性で、胸元にはフェリシアと同じブロンズのバッチか付けられていた。
「えっと、僕はロイド・パッセンジャー。君の先輩だよ。
政務省の事務所は奥まったところにあるから、慣れない人は迷ってしまうんだ。案内するからついておいで」
「は、はい!」
助かった、と思いながらロイドの後をついて歩く。
一番近くの扉から大講堂を出てすぐに右に曲がり、また右に曲がり、次に左に曲がって道なりにまっすぐ行って…と、すたすた歩くロイドに必死について行く。延々と続く白い壁と似たような扉が等間隔で並び、すでに現在地があやふやになってきた。
急にロイドが立ち止まった。
「ああ、ごめんね。
これでもエスコートの時はきちんと女性に合わせてるんだ。仕事だとつい…」
と申し訳なさそうに言う。
「い、いえ、大丈夫です」
普段運動を全くしないフェリシアの息は上がっているが、ここは職場であり夜会会場ではないのだ。
余計な気遣いは不要であったが、もう少しゆっくり歩いて貰えるのなら助かる。フェリシアは少しだけ微笑んだ。
「……」
どうかしたのか、ロイドが固まった。
「あ、あの?」
「ああ、『月下美人の君』が文官になるって本当だったんだと思って」
「『月下美人』?」
「やっぱり自分が何て言われているか気が付いてなかったんだね」
そう言いながら今度はフェリシアの歩調に合わせた速度で歩きだした。
歩きながらも会話は続く。
「君は夜の社交界で有名なんだよ。
可憐で儚げな美人。だけどごく稀にしか夜会で見かけることができない。しかも誰とも踊ることなくすぐに婦人達の輪に入ってしまうから誘うことも出来ない。一言でも言葉を交わせられたらそれだけでラッキーっていうね」
「そ、そんなふうに言われていたんですね…」
自分の預かり知らぬところでそんな言われ方をしていたとは露知らず、フェリシアは恥ずかしくなって頬を染めた。
フェリシアは年に三回ほど夜会に参加している。しかし同じ夜会に重なって参加している男性が少ないのだろう。
だからごく稀とか言われてしまうのだ。
それにフェリシアはダンスが得意ではなかった。というより壊滅的にダメだった。運動神経が鈍くリズム感が悪い。
だからいつも兄のマルクスにエスコートだけさせ、刺繍仲間を見つけるとすぐに駆け寄って行った。
貴族らしい社交や挨拶回りなどは両親や次期当主のマルクスに任せておけばよく、フェリシアはただ、ダンスを避けて気心の知れた仲間と楽しい時間を過ごしていただけだった。(とは言え、刺繍仲間には高位貴族の夫人もいたりしてそれだけで社交をこなしていることになっていた)
「それに『月下美人の君』は文官姿でも美しいね。僕と同じ部署に『月下美人の君』が来たって自慢できるよ」
「そ、そんなお止め下さい…」
小さな抵抗をしてみるが、おだてられることに慣れていないフェリシアは恥ずかしくなるばかりだった。
それと同時に社交界に顔を出すロイド・パッセンジャーという男が貴族の子息であることに気付く。
きっとどこかの夜会で一緒になったのだろう。爵位までは知らないがあまり失礼にならないようにしようと心に決めた。
「さ、着いたよ。どうぞ入って」
「はい、失礼したします」
似たような扉のうちのひとつに辿り着く。表札には『政務省 政策室』と書かれていた。
室内へ入ると扉の外と違い中はとても賑やかだった。
しかしフェリシアが入るとピタリと静まる。皆が真新しい制服に身を包んだ美しい女性に目を奪われた。「本物だ…」と誰かが呟いた。
フェリシアは事務所の奥に座る一人の男性の前まで連れられた。
「室長、新人のフェリシア・マークウェルドさんをお連れしました」
ロイドに声をかけられたその男性は、手にしていた書類から目を離しフェリシアを見るとゆっくり立ち上がった。
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