第4話

 濡れ羽色の黒髪にサファイアのように青い瞳。

年の頃は三十前後か。

均整のとれた長身で、彫刻のように美しい男性だった。

しかし怒っているようにも見えてしまう無愛想な表情と眉間に刻まれた深い皺が近寄りがたさを感じさせた。


とくんとフェリシアの心臓が跳ねた。

どこか前世の夫に似ていると思った。


「君が今年入った新人か。

私が政策室の室長、シオン・ベラルドだ」


ベラルド家は公爵の家柄で貴族に疎いフェリシアでさえも聞いたことのある名家だった。

右手を差し出され、フェリシアは戸惑ったが握手を求められていると気付きその手を握り返した。


「フェリシア・マークウェルドと申します。宜しくお願いいたします」


「皆!一度手を止めてこちらを見てくれ!こちら、今年政策室統計課に配属となったフェリシア・マークウェルド君だ!」


いきなりその場で紹介されたフェリシアは慌ててカテーシーで礼をとる。


「私、フェリシア・マークウェルドと申します。何も分からない未熟者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」


こういう場合の礼の作法はこれで合っているのか不安だったが、パチパチと拍手が返ってくる。

顔を上げると皆好意的な笑顔を向けてくれていたのでこれで良かったのだと安心した。


「君には期待しているよ」


「はい、頑張ります」


「ロイド、席へ案内してやりなさい」


「はい。マークウェルドさん、席こっちだから付いてきて」


「はい」


簡単な挨拶も終わり、フェリシアとロイドが立ち去ろうとした時にはシオンはすでに席に座り、手許の書類にペンを走らせていた。


 事務所に入って扉のすぐ右手にある五つ机の並べられた区画。

そこが政務省統計課の場所だった。

そこでは三人の職員が立ったままの姿勢でフェリシアを待っていた。


「ようこそ、統計課へ。私が課長のアンナ・ジルコニアよ。夫が政務省の監督室で働いているから名前の方で呼んで欲しいわ」


上級職のゴールドバッチを胸にキラリとさせたのはアンナという三十代くらいの女性だった。


フェリシアは顔には出さないものの管理職で、しかも結婚後も働き続けている女性がいることに驚いた。


貴族の令嬢でありながら文官として働く自分のことを珍しい方だと思っていたが、結婚してからも夫婦で働き続ける女性もいる。

軽い衝撃をうけ、自分はなんて狭い世界で生きていたのだろうかと反省した。


「よろしくお願いします。私のこともフェリシアと」


「僕は技術職のレオナルド・カッパー。僕ことはレオかレオナルドと呼んでくれたらいい」


レオナルドは少し長めのブラウンの髪とブルーグレーの瞳にシルバーフレームの眼鏡をかけた四十代くらいの男性だ。


「同じく技術職のエミリオ・キャンベル。俺も名前で呼んでくれ。」


エミリオは短い黒髪とブラウンの瞳をした三十代前半くらいの男性だ。軍人のようながっしりとした体格をしているが技術職ということだった。


二人とも技術職の証であるシルバーのバッチを胸元に刺していた。

統計課での技術職というのは、数学者の博士号を持った人たちであり、集計されたデータを基に分析や予測を立てることが主な業務となっている。


「下級職のフェリシア・マークウェルドです。私のこともフェリシアとお呼び下さい」


「改めて。僕がロイド・パッセンジャーで君と同じ下級職だよ。僕のことはロイド先輩♡って呼んでくれればいいから」


少しふざけてロイドは言う。おかげで少し緊張していたフェリシアの心が和らいだ。


ロイドはフェリシアと同じ下級職だが、文官の多くが下級職から始め、数年の下積みを経て上級職への昇給試験を受ける。

おそらくロイドも後に上級職への昇給試験を受けるのだと思われた。


「ロイド君にはフェリシアさんの教育係を受け持って貰うから。

分からないことがあったらロイド君に何でも聞いて」


「ロイド先輩、よろしくお願いします。私のことはフェリシアと呼んで下さいね」


「くぅ~、月下美人の君に先輩とか呼ばれるのたまんないなぁ!」


またこの人は『月下美人の君』だとか言う。その通り名は気恥ずかしいから止めて欲しいのがフェリシアの本音だった。


課のメンバーとの自己紹介も終わり、ロイドの隣の席を案内され、棟内の案内をしてもらうことになった。


 フェリシアは再びロイドに連れられて事務所を出る。他の部署、会議室、書類保管室、更衣室、対話室、休憩室、書類や物品の集配をする集配室、あまり行くことはないが場所だけでもと宰相の執務室にも案内された。


中庭もあってたまに気分転換で休憩することもでき、お茶が飲みたかったら各自給湯室でお茶を沸かす。

茶葉やティーセットは自由に使ってもいいとのことだった。


「ロイド先輩、好きな茶葉は持ち込んでもいいのでしょうか」


仕事の合間に自分好みのお茶が飲めるのならありがたい。

フェリシアの趣味の一つがハーブティーや好みの茶葉を体調や気分にあわせてブレンドして淹れることだった。


「いいけど誰かに飲まれるかもしれないから高い茶葉は止めといた方がいいかもね」


「分かりました」


多少なら誰かに飲まれてもいい。乾燥させたオレンジをブレンドした紅茶がお気に入りのフェリシアは持参しようと思った。

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