第7話 国家公認会計師には公衆を守る義務がある。

「何だよ、それ? 何で火が……」

「国家公認会計師は数字マナを具現化することができる。今のは200度だが、1000度の炎を浴びせることもできるぞ!」


 ジェニーは指先に握った伝票を3人目の若者に突き付けた。

 その威力は目の前で見たばかりである。若者は及び腰で引き下がった。


「真理子、ゆい、帰るわよ!」


 暴力沙汰に固まっていた友人2人を引き連れて、ジェニーは素早くその場を立ち去った。


 ◆◆◆


「凄かったね、ジェニー。国家公認会計師ってあんなことができるんだぁ」


 新宿駅から乗り込んだ電車の中で、興奮冷めやらぬ真理子が話しかけてきた。


「あんたとは縁切る。もう連絡してこないで」


 氷のような声でジェニーは言った。


「えっ? どういうこと?」

「あんたが誰と付き合おうと勝手よ。けど、唯を危ない目に巻き込んだことは許せない。付き合いはこれまでよ」

 

「ジェニー?」


 やり取りを聞いていた唯が心配そうに声をかけた。


「国家公認会計師には公衆を守る義務がある。気に入らないけど、あいつらも公衆の一部なのよ。それを傷つけたのは職業倫理にもとる。やむを得なかったとはいえ、二度とあんなことはお断りよ」


 苦いものを吐き出すように、ジェニーは言った。


「何よ! 偉そうに言わないで。あんた試験に合格しただけでしょ。まだ本物の会計師じゃない癖に!」


 真理子はジェニーに言い返した。


「その通りよ。それでも会計師の精神をないがしろにしたくないの。さよなら」


 ジェニーはそう告げ、駅に停まった電車からホームに降りた。

 締まったドア越しに泣きそうな顔の唯が見えた。ジェニーは笑って手を振った。

 

 最寄り駅はもう1つ先だったが、電車を待つのも何だか面倒だ。

 ジェニーは一駅分歩いて家に帰った。


 結局、真理子はもちろん、唯からもそれっきり連絡が来ることはなかった。


 ◆◆◆


 平成が令和に変わり、世の中が新時代に向けて動き出そうとした時、「新型コロナ」という病気が現れた。


 世界中で大量の感染を引き起こしたこの病気は、社会の在り方を根本的に変えてしまった。

 ソーシャル・ディスタンス、リモート勤務。


 その結果、目の届かぬ場面での不正が激増した。


「誰も見ていないから」


 無人販売での窃盗、独居世帯での集団強盗、特殊詐欺。

 企業の内部でも、人目に付かぬ場所で不正が積み重ねられていった。


 このままでは不正の泥沼に国全体が沈んでしまう。その危機を目前にして、立ち上がった存在があった。


 八百万やおよろずの神々である。


 神は歯止めなき不正を「し」とみなした。これは病がもたらすけがれであると。

 穢れははらわねばならぬ。


 だが、足りない・・・・


 神官が足りないのだ。


 日本の神官は総勢2万人余り。新型コロナウイルス新規感染者はピーク時に1日25万人を越えた。

 とても追いつかない。


 そこで神々は選んだ。神の使いとして人々を助け、穢れを祓い、悪を退ける存在を。


 その名を「国家公認会計」という。


 全国に約4万人存在した「公認会計」。神は彼らに力と使命を与えた。


 力とはすなわち異能である。ある者は風を呼び、ある者は氷を結ぶ。

 彼らにとって数字こそ真名マナであり、真名にはマナが籠る。


 中でも炎を操る会計師は不動明王のごとく不正を暴き、これを燃やし尽くす存在であった。


 会計師試験に合格した者には神が降りる。神威しんいの一部が体に宿る。

 これにより数字の中に宿る真名を呼び出し、使役することが可能となるのであった。


 しかし、いかに神威といい真名といってもその器は生身の人間である。真名を行使すればその反動があった。

 力の行使は生体エネルギーの減少をもたらすのだ。


借方かりかた貸方かしかたは常にバランスする」


 それは会計学の基本原則である。世間一般ではそれに当てはまる別の言葉が存在する。


 すなわち、「等価交換」。

 すなわち、「エネルギー保存の法則」。

 すなわち、「因果応報」。


 会計師は力の行使対象を「借方」とし、我が身を「貸方」として真名の移動を行うのであった。大量の真名を消費すれば会計師の生体エネルギーは枯渇する。

 力の過剰行使は死を招くこともあるのだ。


 リスクを背負って世の不正と彼らは戦う。唯一無二の真実である「正しき数字」を守るために。

 人々の暮らしから「穢れ」を祓うために。


 

「ああ、お腹空いた。う、深夜営業のラーメン屋? か、神か? 作法システムは知らんが、今なら店ごと食える!」


 ジェニーの生体エネルギーは、世間一般では「カロリー」と呼ばれていた。


「手っ取り早く貸借バランス取らなくちゃ!」


 ジェニーは店ののれんをくぐった。だが、彼女は翌日後悔することになる。

 夜中のラーメンはしばしば貸方過大計上となるのだ。


 そして、借方と貸方は常にバランスせねばならない。それは宇宙の真理なのだ。


 貸方が過大に計上されれば、借方も増える。

 その借方勘定の名を「体重」と言う。この勘定の残高が長期停滞しがちであるということを、全国の女性たちが知っている。


 ダイエットのために生体エネルギーを消費すればよいではないか?


 誰もが抱いたその思いは「神の正義」の前で打ち消される。神は正義なき真名の行使を認めない。

 穢れを祓う以外の使途に真名を用いることはできないのだった。


「野菜マシマシで!」


 ジェニーよ、野菜を増やしたからと言って総カロリーという数字マナはいささかも揺るがない。

 野菜をたくさん食べれば健康的だと信じている内は、借方資産(体重)の払い出しは進まんぞ。


 神が見ていたならそう言ったであろう。

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