第9話 変化できたのかよ!

「それじゃあ、いってきます」


 山の麓にて、俺はゴブリンたちに出立を伝える。

 背中にはお手製のリュックを背負い、長旅の準備は万端だ。

 俺の一歩後ろには、ヤックルが誇らしげな顔をして立っていた。


「いってらっしゃいませ、ハジメ様。キッシュ様」

「絶対お二方のお役に立てよ、ヤックル!」


 ユハルが頭を深く下げる。リックルはやや悔しそうな顔をしながらも、期待の籠った目でヤックルに声をかけていた。


「それじゃあ、ユハルは生活区域の整備を。リックルは温泉地帯の整備を頼む」

「お任せください。ハジメ様の分かりやすい指示書のおかげで、問題なく作業ができそうです」


 ゴブリンたちは二手に分け、それぞれのリーダーの指示に従って活動してもらうことにした。特に、先日掘り当てた炭酸水素塩泉の整備はやることが沢山だ。


 俺は何度も伝えたお願いを、もう一度繰り返す。


「仕事時間は朝9時から17時まで。勤務時間外の労働は禁止だ。朝ごはんはしっかり食べること。体調が悪い人は絶対に休むこと。休憩は昼の12時から13時まで。15時には、かならず30分休憩を。三日働いたら丸一日休み。それから……」

「ホーレンソーはしっかりと! 毎日温泉で疲れをしっかり癒すこと!」


 隣にいたキッシュが俺の言葉を楽し気に代役した。

 ホーレンソーって響きが気に入ったみたいだ。ちょっとイントネーションおかしいけど。


 他のゴブリンたちが頷く中、ユハルが不安げに俺に声をかける。


「あのう……我々は小柄ですが体力はあります。ちょっとキンムジカンが短すぎるような……寝ている時間以外はお仕事ができますが……」

「いいや、だめだ」


 働いてくれるのはとてもありがたい。けれど、俺は絶対に……ブラック労働はさせない。

 それに、申し訳ないんだ。

 彼らにはお願いばかりして、対価を与えられていない。


 ゴブリンらは人間と違って金銭を価値としていないため、どうにかして喜んでもらえるものを入手したかった。

 ユハル曰く、「温泉同好会に入れていることが、何よりもこの上ない対価です」とのことらしいが、価値観の違いをすんなりと受け入れるには至らなかった。


「かしこまりました。優しいお心遣い、ユハルは幸せです」

「働いていく中で不満や不安があったらいつでも伝えてほしい。全部改善していくから」

「はい!」


 さて、長話をしていてもなんだ。

 さっそくキッシュに移動のお願いをしようとしたら、ゴブリンの子供が一人、俺のそばに寄ってきた。


「ハジメ様! 忘れ物です!」


 渡されたのは、コルクで栓をした小瓶。海岸へ赴いたときに拾ってきたものだった。


「これは……」

「回復薬です!」


 俺とキッシュは傷つく可能性がほぼないため、ヤックルの分しか持っていなかった。


「君の分じゃないの?」


 本当はゴブリン全員に常に持たせておきたい。

 しかし、小瓶がなかなか見つからないため、今のところ高所で作業をする者と子供らを中心に配っている。


 俺の心配をよそに、子ゴブリンは首を横に振る。


「いっぱい、お願い込めました! 旅のご無事がありますように!」

「……ありがとう」


 優しい心遣いに俺は胸を熱くし、ありがたく受け取った。


 なんだか永遠の別れのような仰々しさが出てしまったが、行くとしよう。

 キッシュに目で合図を送ると、彼は両手で俺たちを掴み、ゆっくりと羽ばたきを開始した。


 地面があっという間に遠くなり、手を振るゴブリンらの姿が見えなくなっていく。


「流石に緊張するな」


 視線を正面に向き直せば、いつも行く海側とは反対方向にキッシュが舵を切った。



 ◇



「ここら辺が、ハジメが言ってた降下ポイントだよー」


 すっかり慣れた快適な(掴まれている状態ではあるが)空の旅にうたた寝をしていた時、キッシュの声でハッと目を覚ます。

 太陽の位置を見る限り、二時間以上経っていたようだ。海に行くときの倍か。

 思った以上に広い大陸だな。


 下を見ると、大森林が広がっている。ユハルの話を頼りに目印としていた大きな湖も見えた。


「よし、降りてくれ、キッシュ」

「はーい」


 ここが、ドワーフ国からキッシュの姿がギリギリ認知されない距離だ。

 湖のそばに降り立つと、早速ヤックルがスキルを使った。


「……半径一キロ以内に危険な魔物はいません。恐らく、キッシュ様の存在に気づいて逃げたかと」

「ありがとう、ヤックル」


 ズレたリュックを背負いなおし、服を整え、俺はキッシュと向かい合う。


「送ってくれてありがとな。帰りは一週間後、ここに頼む」


 ここからは歩きだ。

 大体、ドワーフ国までは片道三日で、周辺調査に一日。長居をしすぎても残してきたゴブリンたちが心配だし、ちょうどいい期間だと思う。


 俺がそう告げると、キッシュは絶望に満ち溢れた顔をし、情けない声を上げた。


「ええええ!! 僕も連れて行ってくれるんじゃないの!?」

「行けるわけがないだろう。お前の存在が気づかれたらとんでもないことに……」

「やだやだやだ! ハジメと一緒がいい! 明日からのご飯は!? それに、寂しいもん!」

「わがままを言うなよ……」


 キッシュには前々からこの旅の計画を伝えていたはずだが……コイツ、聞いてなかったな。

 俺とヤックルは顔を見合わせ、困り顔をする。


 だが、俺は抜かりのない男だ。

 こんなこともあろうかと、キッシュの大好物である干し肉を持ってきている!


「ほら、キッシュ。肉をやるからそれで我慢……」

「いやだあああ!! 絶対ハジメと一緒にいるんだもん!!」


 ……効果無し。

 嘘だろ……肉作戦が通じない、だと?


 これ以上キッシュが叫ぶと、周囲の木々が音波で折れる。

 焦ったヤックルが、慌ててキッシュに声をかけた。


「き、キッシュ様。問題は、キッシュ様の魔素量なのです! ハジメ様は人型ゆえ、魔素を肉体へと定着させられていますが、キッシュ様は体が大きすぎて、魔素が溢れ出てしまっているのです!」

「じゃあ、どうやったら魔素が抑えられるの!」

「え、ええ……ええっと……その……ち、小さくなる、とか……ですかね?」


 ヤックルも自分が何を言っているのか分かっていないのだろう。

 首を傾げながらあたふたと答えると……キッシュの目が輝いた。


「できる!! 僕、小さくなれる!!」

「ええ、ええ、小さく……はい?」


 嘘、だろ?

 俺もヤックルもその場で固まった。

 聞き間違いかと思ったが、キッシュは何やらその場でうんうんと唸り出した。


「……おい。体のサイズってのは、そう気合でどうにかなるものじゃ……」

「ハジメは黙ってて! すっごい集中してるんだから!」


 気が済むまでやらせるか。


 見守ること三分。

 カップラーメンの時間を経て……キッシュの体が小さくなりだした。


「うおおおお……お前、マジか……」


 人は驚きを超えると、感心する生き物らしい。

 俺は思わず拍手を送っていた。


 そして、シュウシュウと音を立てながら小さくなっていた体は、やがてぴたりと止まる。

 いつも見上げていた視線は、今はずっと下方向。


 俺は、変わり果てた(?)キッシュの姿を見て、唖然とした。


 ずんぐりむっくりとした胴体に面長な顔。

 短い手足に、体長の半分ほどある太長い尻尾。


「……トカゲか?」

「ガウ!? ガウウウ!!」


 ちょうど人が二人乗れるくらいの、オオトカゲにキッシュは変化した。

 こういう恐竜いたよな。リストロサウルスだっけか。

 背中には小さい羽がついているが、飛ぶのに役には立たないだろう。


 感心しながらまじまじと観察していると、キッシュがずっと「ガウガウ」しか言わないことに気づいた。


「もしかして……その姿だと喋れないのか?」

「ガウ!」

「キッシュ様……なんとおいたわしや……」



 キッシュが、ただの最強ペットになっちまった。



 ヤックルと一緒にキッシュの状態を調べ続けること30分。


 なるほど。どうやらキッシュは、ほぼ別生物と認識できるくらい変化したようだ。

 体が小さくなったことで、問題だった魔素の駄々洩れは解決した。

 飛行と言語能力が失われたが、俺自身には影響がなく、ヤックルの言葉が分からなくなるなんてことはなかった。


「ステータスは……大体半分か」


 キッシュのステータスは見れないが、俺自身の防御力が半分まで下がっていた。

 これも、キッシュが弱体化した影響だろう。弱体化しても強すぎないか?


「キッシュ。お前自身の攻撃手段は残っているのか?」

「ガウ!」


 得意げに頷くので、攻防共に問題なさそうだ。


「ハジメ様。これならば、キッシュ様をドラゴンと疑う者はいないでしょう」

「ああ、そうだな。こんな姿の魔物がいるのかも分からないけどな」


 ヤックルの目から見てもただのオオトカゲ。

 なんだったら人を運べるサイズなので、俺とヤックルが背中に乗れる。徒歩移動問題まで解決できた。


 キッシュは行く気満々で鼻息を鳴らしているし、ヤックルは「凄いです、キッシュ様! かっこいいです、キッシュ様!」とキッシュに歓声を送っている。


 ここまでやったのなら、連れて行かない選択肢はないだろう。


「結局一人と二匹か。まあいいだろう。行くか!」


 俺とヤックルはキッシュの背中に乗り、早速移動開始だ。

 キッシュの進み方は、短い手足を駆使しているため、直進ではない。やっぱり、トカゲみたいにクネクネと体を捻らせながら進んでいる。


 言葉が通じなくても、どうせ「僕、ドラゴンだもん!」とか言ってるのだろう。


「俺……いつになったらドラゴンの背中に乗って飛べるんだろうなあ……」


この上なく理想的な異世界ライフを送っているはずだが……どうにも首を捻らざる得ない。

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