第4話 契約すればいいんじゃない?

 ゴブリンは今一度似たような発音を繰り返すが、最後まで言い切る前に咳き込んでしまった。


「だ、大丈夫か!?」


 咄嗟に駆け寄り、声をかける。

 近づいて気づいたが、思った以上にゴブリンの体が汚れている。首や肩にはフケが飛び散り、露出した皮膚はかきむしったのか皮がむけている。

 正直、匂いもきつかった。


 ゴブリンはビクッと肩をあげたが、すぐにため息を吐き出し、何かを諦めたような表情になる。


「×●▲▲○……」

「キッシュ……なんて言ってるか分かるか?」

「どうしてこんなところに僕がいるんだって、驚いてる。それから……自分たちはもう間もなく死ぬんだから、ドラゴンに食われようがどうでもいいかって」


 視線を感じて辺りを見渡せば、いつの間にか周囲の家からもいくつもの顔がのぞいていた。

 怯えと諦め、不安……誰しもが暗く、絶望に満ちた表情をしていた。


「何があったのか、僕が聞いてみようか?」

「頼む」


 キッシュは目を閉じ、どうやら念話を試みたようだ。ゴブリンは最初こそ戸惑っていたが、ぽつぽつと言葉を紡いでいく。


 キッシュによると、どうやらこのゴブリンの村は皮膚病に襲われたみたいだ。

 体力も食欲もなく、あと数日で全員、衰弱死を迎える。


「皮膚系の病気か……薬草か何かを取ってくれば回復するかな?」

「無理、だね」


 俺の提案をキッシュはバッサリと切り捨てる。


「やってみないと分からないだろ! かゆみ止めの薬と清潔な環境さえあれば皮膚病なんて……」

「そういう問題じゃないんだ、ハジメ。外傷にしろ内傷にしろ、一度傷ついた魔物を元には戻せないんだよ」


 えっ、と思考が固まる。


「だから、行かなくていいって言ったんだ。……救えないから」


 一度傷ついた魔物は治癒しない。


 キッシュから伝えられた情報は、動揺を起こすには充分だった。


 魔物は全身が『魔素』によってコーティングされているので、簡単には傷つかないが、傷つけば最後。たとえ小さな傷であっても、血が止まらず、やがては出血死に至る。


 病気に対しては免疫力がなく、一度魔素防御を超えて浸食されれば治癒は見込めない。


「ハジメのいた世界では違うかもしれないけれど、この世界では珍しくないんだ。自然淘汰の一部だよ」


 キッシュが村に向かう前、何かを言いたげだったのはこのことだったのか。

 ゴブリンはこのまま死に至り、ステュムパリデスの餌となるのだろう。


 彼らに思い入れがあるわけでもないし、自然の摂理だと言われれば言い返す言葉がない。

 それでも、一言では言い表せない……無力感に近い感情が俺を襲った。


「僕みたいな、魔物の中でも特別に分類される生き物だったら、ある程度の回復力はあるよ。でも致命傷は無理。僕だって、ハジメが助けてくれなきゃ死んじゃってたよ」


 そうか。キッシュも大げさじゃなく命にかかわっていたのか。

 俺が温泉を飲ませなければ……。


「ん? 温泉?」


 キッシュにとっての致命傷すら回復した、温泉。

 硫黄泉は確か、殺菌効果が高く、効能としては皮膚病に強かったはず。


「そうか……キッシュ、助けられるぞ!」

「え?」

「温泉だ! ゴブリンたちを、温泉に入れるんだよ!!」


 俺は興奮そのままに、ゴブリンの両肩を掴む。


「絶対俺が助けてやるからな!」


 ゴブリンはきょとんとした表情をしていたが、そんなの関係ない。

 早速俺は、ゴブリン救出作戦を決行することにした。


 体力のないゴブリンをキッシュで移動させるには不安が多かったため、湯をこの村までもってくる。


 必要なのは三つで、風呂用の樽と頑丈なロープ。それに、防水性に優れた大きな皮布だ。


 樽とロープは物置小屋からすぐに見つかったし、革布もゴブリンらの家の壁や生活用品として使われていた。


 彼らには申し訳ないが、命には変えられない。空き家を解体し、最大限の皮布を集める。

 一枚一枚を糸でつなぎ合わせて一枚の大きな布にしようとしているわけだが、まだ動く体力があるゴブリンたちも手伝ってくれた。


 というより、俺がやりたいことをキッシュに代弁してもらったせいで、彼らはドラゴンに逆らえず、従っている状態なんだと思うけど。


 何時間もかかってしまったが、どうにか目的のものを作るのに成功した。


 ロープをキッシュの首、両翼、尻尾にかけ、布と連結させる。


 そして俺は、軽快にキッシュの肩を叩いた。


「よし! 飛べ、キッシュ!」

「えええ!! 僕が運んでくるの!?」

「働かざる者食うべからず。散々俺が飯を作ってやってるだろ」

「うわああん! ドラゴン虐待反対! ドラゴン虐待反対!」


 キッシュは渋々飛び立ち、あっという間に湯を汲んで戻ってきた。

 さながら、ヘリコプターでの消火活動に使われるバンビバケットだ。


 二往復もすれば、ゴブリンたちを入浴させるのに充分な量が集まった。


「さあ、みんな入ってくれ!」


 ゴブリンらは顔を見合わせて戸惑っている。

 ここでキッシュに翻訳させて、無理やり従わせるのも違うよなぁ……と警戒心を解く方法を模索していると、一人が動いた。


 彼は最初にコミュニケーションを取った老ゴブリンだ。

 意を決したような表情で、恐る恐る湯に足を付ける。そして、息を吸い込んだのち、一気に肩まで漬かった。


 効果が現れるのは一瞬だ。全身の剥けた皮が見る見る間に綺麗になり、赤かった肌が元の肌色に戻っていく。

 信じられないといった顔をするゴブリンを見て、俺とキッシュは互いに微笑み合った。


 そこからはあっという間だ。老ゴブリンの掛け声をきっかけに、村中のゴブリンらが湯船に入る。一人残らず、皮膚病を完治することができた。


 まだまだ、これだけじゃ終わらない。


「体が癒えたら……次は美味しい飯だよな!」

「僕も働いた! 働いた者食える者だよ!」

「わかったわかった。キッシュ。海でうんとでかい魚を取ってきてくれ」

「やったあ! お魚、お魚!」


 村を飛び出したキッシュが持って帰ってきたのは、予想通り子供のクジラくらいのサイズがある魚だった。目玉の数がやけに多く、背筋に鳥肌が立つ。

 名前を、クジランというらしい。クジラでいいじゃねぇか。


 頭は豪快にキッシュにかじって取ってもらい、俺はゴブリン製のナイフで魚肉を切り分けていく。これがまた、よく切れる。


 丁寧に皮を剥いで、部位ごとに分けていく。サイズこそ大きくて苦労したが、皆で力を合わせて切り分ける作業は楽しかった。

 余った分は、塩に漬け込んだり天日干しにして保存食にすればいいだろう。


 ゴブリンが保管していた香辛料を使い、大きな葉っぱで包んで蒸し焼きにしていく。

 もう一つは大なべをつかって、スープをつくることにした。


 日もすっかり暮れ、月が真上に来た頃……ようやく夕食の完成だ。


 ~お品書き~

 クジランのハーブ蒸し

 海鮮スープ~クジランの目玉を添えて~

 ~~~~~~


 焚火で暖を取りつつ、一人一人に配っていく。


「いただきます!」


 キッシュのご機嫌な声と共に、食事会が始まった。

 全員が満足してくれたようで、達成感に満ち溢れる。


 活気が戻った村の空気感を満喫していると、老ゴブリンが俺とキッシュの近くに来た。

 彼は何かを言い、頭を下げる。


「ありがとうございます。最初に警戒して申し訳なかった。貴方は私たちの命の恩人です……だって」


 キッシュの翻訳を聞いた俺は、慌てて首を振る。


「大げさですよ! 俺はただ見過ごせなくて……」


 俺の言葉の翻訳を聞いた老ゴブリンは、目に涙を浮かべる。そして、身振り手振りを交えて、何かを必死で伝えてきた。


「▲○○、×□●……!」

「ハジメに恩返しがしたいって。どうか一緒に居させてくれないかって言ってるよ」

「一緒にって言ったって……」


 せっかく持てた交流なのだから、こちらとしては大歓迎だ。けれど、この言語の壁はどうにもならない。キッシュがいるときなら意思の疎通が取れるだろうが、彼にずっと頼り続けるのも違う気がする。


「言葉さえ通じればなあ……みんなまとめて俺の山に引っ越しが出来るんだけど……」


 今から互いの言葉を教え合って、理解ができるのに何年かかるだろうか。

 まあ、異世界でのこれからの人生は長そうだし、別にいいけども。

 どうにかいい方法がないかと首を捻っていると、キッシュが何食わぬ顔で俺を見た。


「じゃあさ、ハジメ。僕と“契約”する?」




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