第29話 元の病室へ

 翌朝は温かいパンとスープの朝食を食べ、少し元気が出てきた。荷物をまとめて、ようやく元の病室へと戻る。看護師さんが、採血の結果が問題なければ点滴も外してくれるということだった。人差し指に付けられた血中酸素濃度の計測器と点滴が取れれば、晴れて自由の身になる。ようやくホッとした気持ちになった。

 朝の回診にはA先生が来られたので、「昨日はパニックになってご迷惑をおかけしました」と謝る。パニック時は全く気持ちに余裕がなく、A先生にはきつい口調で感情をぶつけてしまったと後悔していたが、A先生はいつも通りのポーカーフェイスで、それについてのコメントはなかった。

 足のつけ根の穿孔部も問題なく止血できているということで、シャワーの許可も下りた。手術前に気になっていた右こめかみから目の周りの痛みはほとんどなくなっていたが、まだ右耳の奥の方でザーッザーッという血流音は続いており、視界が二重に見える複視も相変わらずだった。先生方から言われていた通り、どちらも時間をかけて経過を見ていくしかなさそうである。

 元いた病室に戻ってから、ようやくケータイのLINEで家族に連絡を取る。手術が無事に終わったという連絡はC先生から入っていたようだが、その後のことは私しか知らない。「いろいろあって早く家に帰りたい」とだけメッセージを送った。家にいた息子には、ベッドで背もたれに使うクッションとインスタントのスープを届けてほしいと頼んだ。さっそく届けに来てくれたのだが、コロナ禍なので直接会うことはできず、看護師さんに荷物を渡すだけで帰ってしまった。看護師さんに「息子さんに伝言ありますか?」と聞かれ、「部屋の掃除はしておくように」とだけ伝えてもらった。 

 午後早めの時間にシャワーの予約を取り、時間があったのでC先生から聞いて気になっていた「ICU症候群」についてGoogle検索してみる。

 「ICU症候群」

 手術をした後に、不眠や幻覚、妄想などが起こり、精神状態に異常がみられること。原因としては、心因性によるものが多い。多数の医療機器が設置されている集中治療室にいることで、自分が重症である感じ、死への恐怖などによって精神的に不安になることで発症することが多い。

 「PICS(集中治療後症候群)」

 集中治療室(ICU)に入室中あるいは退室後、さらには退院後に生じる身体障害・認知機能・精神の障害で、ICU患者の長期予後のみならず、患者家族の精神にも影響を及ぼします。 


 さらに説明文を読んでいくと、「認知機能障害は、ICU退室患者の30~80%に発症します。」と記載があった。ガーン!知らなかった! ICUがそんな危険な場所だったなんて! なぜ先に教えてくれなかったのか? 手術前に、副作用や合併症などの危険性(いずれも1%以下)の説明を受けて同意書にサインをしたが、そこにICU症候群についての記載はひと言もなかった。先に知っていれば対応を考えることもできたのに。30~80%の人が認知障害を発症するって、すごいパーセントではないのか!? きっとICU体験者のほぼ全員に何かしら身体の不調が生じているに違いない、と勝手に被害妄想していた。

 もうひとつ。意識が覚醒した原因について、「酸素 過剰摂取」で検索してみる。すると「多すぎる酸素はかえって身体に害を及ぼすことがある。高濃度の酸素を投与し、抗酸化防御機構の処理能力を上回る活性酸素が発生すると、気道や肺が障害される酸素中毒が起こるおそれがある。」と出てきた。さらに「酸素中毒」について調べると、初期症状の一つに「呼吸時の胸痛が現れる」と書いてあった。昨日、過呼吸が続いている最中に左胸が痛くなったのはそのせいではないか?という気がした。ひとまず昨日、自分で酸素の管を外したのは間違いじゃなかったな、とひそかに納得したのだった。

 夕方になってシャワー室を利用する。シャワー室は一人30分と決まっていて、自分で専用のボードに予約をする。まだ身体のふらつきが気になったので、シャワー室に据え付けのイスを利用して身体を洗った。温かいシャワーを浴びると、毛穴から造影剤や麻酔などの薬剤が抜けていくようで気分がスッキリした。

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