第14話 退院まで

 病室ではトイレに行く時ぐらいしかベッドを下りないので、ケータイをいじるしかすることがなく、退屈してしまう。ベッド脇の棚に個人用のTVモニターが据え付けられていて、専用のカードを購入してイヤホンを使えば見ることはできたが、目を使うと頭痛がするので見る気になれなかった。コロナ以前なら、同じ病室の患者さんと多少の会話があったかと思うのだが、今のご時世ではカーテンで遮断された空間で、息をひそめてベッドにいるしかない。きっと病室にいる他の皆さんも、看護師さんと会話ができるわずかな時間を心の支えにしてるんだろうなと想像していた。

 同じ病室にいた3人の患者さんは、どうやら耳鼻科の手術をされたかたのようだった。私の反対側にいたかたは、私の翌日手術をされたのだが、術後の状態がかなりツラかったようで、10分おき?と思うほど頻繁にナースコールで看護師さんを呼び、苦しさを訴えていた。そのかたの夜勤の担当看護師さんは、珍しく若い男性だった。最初は対応する言葉にも感情がこもっていて、一生懸命さがカーテン越しにも伝わってきた。が、ナースコールが続くにつれて疲れが蓄積してきたらしく、対応するときの「少しお待ちください」の言葉から次第に感情が消え、最後はAIロボット(感情ゼロ)と化してしまった。両方の鼻の穴をふさがれて苦しさを訴えている患者さんのツラさもわかるし、何度も病室に呼ばれて疲れ切っていく看護師さんのツラさもわかる・・・涙。病室で繰り広げられる人間模様をカーテン越しに聞きながら、私の耳鳴りや頭痛なんて全然大したことじゃないな、とわが身を振り返っていた。

 術後3日目。朝の回診に来られたA先生に、思い切っていつ退院できるか聞いてみた。当初の予定ではあと2日ほど入院となっていたが、予定より1日早く退院してもよいという想定外の返事。やったぁ!内心でガッツポーズ。翌日は日曜なので先生方は不在だが、希望すれば退院できますと言われ、即座に退院を希望する。病室は最低限のプライベートが確保されているとはいえ、やはり同室の方々に気を使って息をひそめて過ごしていたし、食事も好きなものを好きな時間に食べるというわけにはいかない。貧血気味で身体がフラフラする不安はあったが、早く家に帰って息苦しさから解放されたいという思いだった。

 A先生に手術の結果と今後の治療について質問すると、「確認しておきます」という返事だった。午後になってC先生から「今から説明しますので、面談室へ来てください。」と声がかかる。私の主治医はA先生なのか?C先生なのか?少しモヤモヤしながら面談室に向かった。C先生はパソコンで脳の血管画像を見ながら、静脈へのコイル塞栓が成功して当面の危険は回避できたこと、内頚動脈から海綿静脈洞への逆流を止めるための2回目の手術(ステント留置)を1か月後ぐらいに考えていること等を超スピードで説明してくださった。家族への説明は、また日を改めてしてくださるとのこと。撮影された頭蓋骨写真に写っているコイルの黒い塊りを見ながら、うわぁ、私もついにサイボーグの仲間入りだな、などと考えていた。

 実は、前日の夜中に、悪夢(全身黒づくめの怪しい人影が私のベッドに近づいてくる)を見て絶叫し、同室の方々にご迷惑をかけるという恥ずかしい事件を起こしていた。絶叫して目が覚めたとき全身に寝汗をかいていたので、相当寝苦しかったんだと思う。後日C先生から、手術後数日して造影剤や麻酔剤が時間差で身体から抜けていくことがあると聞いて、それであんなイヤな悪夢を見たのかな?と想像する。その絶叫事件があったことで、退院前日の夜は急きょ病室を変えられ、他に患者さんのいない4人部屋に一人で寝ることになった。看護師さんに「ご迷惑おかけしてすみません(恐縮)」と謝る。「一人ですからゆっくり休めますよ」と優しく言っていただいたが、前日の悪夢もあって、病院の大部屋に一人で寝るのもちょっとコワイな~と内心考えていた。

 翌日曜日。朝食後は退院の準備でバタバタしたが、日曜ということで外来の患者さんも少なく、退院の手続きも比較的スムーズに済んだ。先生方はお休みということで、忙しそうな看護師さんへの挨拶もそこそこに病室を出た。迎えに来てくれた夫とタクシーに乗って家に向かう途中、ついつい「手術の前がバタバタで大変だったんですけど…」とガマンしていた愚痴が出てしまう。家に帰ると、ホッとして気が抜けた。

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