第2話
小学校高学年ともなると、同級生の女子生徒たちは好きな男子生徒の話をすることも増えてくる。だが友貴はその会話に積極的に加わることはなかった。話を振られたら適当に話を合わせてやり過ごす。友貴はいつまでも男子生徒に興味が持てなかった。
中学に入ってから、初めて他者への恋心を自覚した。相手は親戚――友貴の父親の兄――の娘だった。その娘は祥子といい、友貴より3歳上だった。祥子はいわゆる《トッポい》垢ぬけた女子高生で、近くに住み、年の近い友貴を可愛がった。盆と正月に限らず、祥子は折に触れて友貴を渋谷や原宿に連れ出した。友貴と祥子だけの時もあれば、祥子の同級生と何人かで出かける時もあった。最初こそ、友貴は学校とは違う面々と会うことや、チープな文化を楽しんでいた。だが、会う回数を追うごとに、次第に祥子と会うのが目的になっていた。
ファストフード店でフライドポテトを食べる祥子の唇を、咀嚼する頬を見つめる。祥子は若い女性そのもの、話していると水しぶきのような思わぬ反応を見せる。美しくて、明るい。それでいて映画や音楽が好きな両親の文化的資本を余すところなく受け継ぐ。思えば、友貴の映画好きは祥子の影響を受けたのかも知れない。
ある時、祥子の家族と友貴の家族で横浜中華街で食事をして、その後は自由行動ということになった。祥子と友貴は両親たちと一旦別れ、山下公園の方に足を向けた。海風を受けながら、大さん橋を進む。橋の先端まで歩き、ベイブリッジを望むと踵を返して橋の途中にあるベンチに腰かけた。
「来年はもうこんなに遊べなくなるなぁ」
風で長い髪をなびかせながら祥子はつぶやいた。来年の春になると祥子は高校三年生にあがり、いよいよ受験勉強を本格化させなければならない。祥子のすぐ隣に座った友貴は、その言葉を聞くとどう返事をして良いかわからず、自身の足元を見つめるしかできなかった。
「つまらんん」
祥子は重みのある声で言うと、コテンと友貴の方に頭を傾けた。彼女の頭の重さを感じ、柔らかい髪が顔にかかるが、友貴はされるがままにしておいた。目を閉じて、祥子の髪の香りを吸い込む。
「祥子ちゃん」
友貴は顔に髪がかかったまま、小さい声で祥子を呼んだ。
「ん?」
頭を傾けたまま、姿勢を変えずに祥子は返事をする。
「キスしてくれる?」
恐る恐るだが、祥子に聞こえることを意識して、できる限りの声を出して友貴は言った。
「…………」
しばらくすると祥子はパッと頭を友貴から離した。
「こっち見て」
俯いたままの友貴に祥子は甘い声で言う。友貴が少し顔を上げると、右頬に柔らかい感触があった。友貴がびっくりして祥子の方を見ると、祥子は友貴の唇を自分の唇でふさいだ。友貴は緊張で身体が動かせずにいたが、自分の唇に祥子の唇の感触を確かめると、目を閉じ、彼女の下唇を食んだ。そしてぼんやりと、自分の身体の中で火が点くような感覚があった。
だが、すぐに祥子の唇は離れた。友貴が目を開けると、祥子は顔を近づけたまま真剣な表情で友貴を見つめていた。
「ここまでだよ」祥子は小さく口を開いて言った。続けて言う。
「先に進むのを急がないで。進むのが正しいのかどうか慎重に考えたほうがいい」
「お母さんたちと合流しよう」
祥子はそう言うと立ち上がって電話をかけ始めた。
その日は結局このまま両親たちと合流し、なにもなかったかのように帰宅した。その後、祥子は大学受験、友貴は高校受験で忙しくなり、2人で会うことはもちろん、家族ぐるみの付き合いも少なくなっていった。友貴の恋心も時とともに薄れ、祥子が<ただの親戚>になった頃に高校に入学、亜衣と出会った。
進むのが正しいのかどうか。当時の祥子がどういう意図で友貴に言ったのか、友貴には今でもわからない。だが、祥子の言う通り、進むのが正しいのかどうかよくよく考える。高校2年の秋。生き急いで後悔している女子生徒を何人か見た。彼女たちは気に入った男子生徒にアピールし、関係を持ったが、前に進みすぎたせいで身体が傷ついたことはもちろん、心が深く傷ついていた。ブレーキをかける必要がないと思うのは危うい。アクセルを踏めば、亜衣との関係が進む可能性はあるが、壊れる可能性の方が大きいだろう。友貴は亜衣と親友であり続けることを選択した。
血として生きる オニワッフル滝沢 @oni_waffle_tk
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