第7話 ここは禁煙
「凄い、黒い穴の中身が流れ出てきたって、それってホワイトホールの事じゃないか! ビオラちゃんの穴を掘る能力ってやっぱりワームホールだったんだ。
君はホワイトホールの兎妖精さんなんだ。
宇宙は調べ尽くされてないんだもの、どこかに仲間のブラックホールの兎妖精さんもいるに違いないよ」
若い三人(?)は夢中で宇宙談義をしている。
宇宙が無から出現した? 宇宙に重力の穴が空いている?
地動説より信じがたい。
女に、兎に、宇宙。私の専門外ばかりでもう頭が変になりそうだ。
ワトソン君、早く帰って来てくれー!
「そうだ! モリアーティ君、ブラックホールの写真見る? 2019年の最新画像だよ」
「うん、見せて」
モリアーティはスマホに手を伸ばした。
だが手がずれて、スマホに触れない。
「あれ? 変だな、手が弾かれる」
なおも触ろうと手を伸ばすと、ビオラちゃんが叫んだ。
「ビオラ オサレテル ヘンヨ」
モリアーティの近づけた手はスマホではなく、五代目の膝の上の、兎娘の周りにある透明な球をなぞる様に彷徨っていたのだ。
「まるで、磁石が反発してるみたいだ。
待って! もしこれが、負のエネルギーなら、若いほうのモリアーティ君と、子供のビオラちゃんは-。対する老いたモリアーティ教授と老いたビオラちゃんは、+なんだ。やっぱり量子もつれの関係なんだよ」
「確かに、二つの異なる思索を辿っていってどこかで交差する点があれば、それがほぼ真実に近いと思って良いが……」
そう言いつつ私も自信が無い。こんなふわふわして掴みどころの無い世界では、人間が考案したものなら、必ず人間が解けるものだと言う信念も、怪しく思えてきた。
グリム童話のドワーフ、18世紀の魔法使いのマザー、19世紀の犯罪王モリアーティ、20世紀の探偵シャーロック・ホームズ、21世紀の五代目ジョン・ワトソン。
極め付けが宇宙兎の妖精と来た。この世界をどう理解すればいいと言うんだ?
頭をはっきりさせようと、ワトソン君からもらったシガレットケースから、煙草を出して一服しようとした。
「ホームズさん、煙草はだめ! 吸うなら外に行ってください」
突然、ものすごい剣幕で五代目に怒鳴られた。兎を馬鹿にした時と同じ目だった。
「どうしてかね?」
私は聞いた。“ここで煙草を吸うな”なんて言われたのは初めてだった。
「もう、昔の男性はこれだから! 良いですか、煙草の煙には二百種類以上の有害物質が含まれており、そのうち六十種に発癌性があるんです。
そして、煙草を吸わない人の「受動喫煙」の健康被害は、喫煙者のものを上回るんです。喫煙者本人の吸う「主流煙」より、煙草の先から立ち登る「副流煙」の方が有害物質が多いからです。
女性や子供は体が小さい分被害も大きいんです。煙草一本一本が、棺桶の釘であることを自覚してください。
あなたが肺がんで死ぬのは自由ですけど、周りの人間まで巻き込まないで」
「そうよ! わたしも煙たいのは大嫌い。それに鼻から煙を出すなんて下品極まりないわ」
マザーまで怒り出した。そうだった。確かフランス宮廷では煙草の煙を鼻から出すのは下品だと、煙草で煙を出すのを禁止したんだ。
だから、宮廷では嗅ぎ煙草(煙草の粉末を嗅いで、使用する)を
イギリスでも、洒落者の貴族に愛用者が多いし、私の兄のマイクロフトも愛用している。
「わ、わかった外で吸う」
私は、十八世紀と二十一世紀の、四つの怒りの目に追い出されて、すごすごと外に出た。
「やれやれ、煙草一本吸うのに追い出されるとは。二百年前と百年後の世界は、住みづらそうだ」
思わずため息が漏れた。そういえばワトソン君に、いつも煙草の吸い過ぎを叱られた。こんな所だけ五代目はよく似てる。
外の切り株に座り、ワトソン君にもらった新品の銀のシガレットケースから煙草を出して咥えたが、マッチがない。どこかで落とした様だ。
シュッとマッチをする音がして、目の前に火が差し出された。
モリアーティだった。
「どうぞ」
「……どうも」
火をつけて、煙草を吸う。
「一本もらえる?」
私はシガレットケースを開けて差し出す。私があのモリアーティと一緒に煙草? なんとも奇妙な光景だ。
モリアーティは一本取って咥え、屈んで私の吸ってる煙草から火を移した。
目の前にあいつの顔、若いな一本も皺がない。今朝髭を剃る時に、鏡に映した自分の顔を思い出す。
私も歳をとったな……前髪もすっかり後退したし。
「ハァ、食後の一服はうまい。吸いたくてウズウズしてたんだ。煙草は、忘れ草。嫌なことを消してくれるし、頭脳の働きを助けるよ。そう思わない?」
そういうと、若いモリアーティは私と背中合わせに、切り株に座った。
「ホームズさん結構女に優しいんだね。女嫌いだと思ってた。」
「あのマザーは苦手なんだ」
「あれは気の良いただの婆さんだよ。でも怒らすと怖いタイプだね。」
その通りだった。
「女なんて、うまく利用すりゃいいんだよ、ご機嫌とってさ」
「犯罪王らしい考え方だな。女性は紳士的に扱うべきだ、私向きじゃない。
君はかなりの家柄の生まれだったはずだが、なぜそうなったのかね」
「その家柄のせいで俺、四つの時誘拐されたんだよね。
いきなり、後ろから麻袋被せられて、縛り上げられた。相手の顔は見てない。
地下室みたいな部屋に閉じ込められて、着ていたセーラー服の左手を服の上から刺された。
手当てはしてくれたが、シーツをからだにまかれただけ。服は取られちゃった」
「本当か!」
「ホントだよ、コレその時の傷」
モリアーティは、袖を捲って左手の傷を見せた。
「あの時ホームズさんがいてくれたら良かったんだよ。お得意の推理で犯人捕まえてくれただろうにさ」
「無理言うな、その頃私はまだ生まれてない。もしいたら力になれたんだが……すまん」
「言ってみただけだよ。そのあとズボンを下げられてさ、トイレに座らされて、後ろ手に縛られて繋がれた。ずっと垂れ流し。
食事は、麻袋の口のところだけ鋏を入れて、そこから無理やり食べさせられた。夏だったけど、トイレの便器が冷たくて、泣き続けた。
次の日は、ズボンを履かされて、今度は、左の足を刺された。
「次は耳をそぐか」という声にちぢみあがったよ。
後で聞いたら、あいつら俺の家に血の付いた服を送りつけて、たっぷり金をせしめてたんだ。
でも、次の日あいつらは現れなかった。次の日も。
喉が渇いて、もうダメだって思った時、女が一人現れて、紐を解いてくれてこう言った。
『良い子にすんのよ、あんた私に買われたんだから』
俺を買ったのは、高級娼婦だった。昔の客のところに連れてって、『あなたの子供です』って、養育費をせしめる為の道具に使われたんだ。
そのうちこう思うようになった。この女は俺を利用するために手に入れた。なら俺だって生きるために女を利用してやろうって。
俺は女に媚を売るようになった。それでも、大抵ほったらかしだったけどね。
女の口癖は、『男は騙して、なんぼ。アタシは負け犬にはならない』
いろんな男達がたくさん出入りする家で、女の嘘ばかりの姿を見ながら俺は育ったんだ。
*******
(*注)原典「ボヘミアの醜聞」でボヘミア国王より、蓋の中央に大きな
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