第2話 モリアーティとの再会
……ドスンと落ちて転がった。
「なんで貴方がついてくるのよ! 2人分なんて計算外よ」
マザーが私とワトソン君の上で怒鳴っていた。
「その通りだワトソン君、なんて無茶を。もしものことがあったらどうするんだ、君には生まれたばかりの子供がいるんだぞ」
「相手はモリアーティなんだ。12年前、あのライヘンバッハの滝で、僕が君のそばを離れたことをどれだけ後悔したと思う。あんな思いはもうたくさんだ。
君に協力ができるのは僕の最大の喜びであり、特権だと思っている。
だめだと言ってもついていくぞ」
昔のワトソン君が戻ってきていた。
「わかった。一緒に行こう」
私達はしっかり握手をした。
「仕方ないわ、一緒に来て。ただし急いでちょうだい。ここからは走るわよ」
フェアリー・ゴッド・マザーが杖を一振りすると、大きな蛍のような虫が現れ、周囲を照らした。いくつもの横穴が見えて右手の穴の奥に、激しい雷と雨の風景があった。
「さっき私が通ったところ。横穴に気をつけてね、案内から外れて間違って入り込むと、とんでもないところに出て帰って来れなくなるから。さあ、南の森へ案内して」
その言葉に、光る虫は私たちの先を進む。私たちも急いで後を追った。
「マザー、モリアーティ教授は城でしょう。なぜ南の森に行くんです?」
「そこにお城のみんなが隠れてるの、王子もいる。彼、老衰で死にかけてるのよ」
「しかし奇妙な道ですね。まるでモグラの掘った穴のようだ」
走りながら私はそう言った。
「これは兎の穴。東の森に穴兎の妖精がいて、その子は、場所も時間も自由に穴を掘ってつなぐことができる。
私がホームズさんの所へ行けたのは、この穴を借りたからなの。
入った時変な感じがしたでしょう? 穴に入ると自動的に体が小さくなるよう魔法をかけてあるのよ」
兎は、あんなに垂直に穴を掘れるのか? いや、今はそんな事はどうでもいい。
「マザー、聞きたいことがある。この薬を八代目のアンデルさんから受け取った時、私はてっきりこの薬は貴女が魔法で作ったものだと思っていた。
なのに貴女はさっき『本当にこんな薬があったのね』と言った。
まるでこの薬の存在そのものを知らなかったような口ぶりだった。
いったいどういうことなのか、説明していただきたい」
「作った人は知らないわ。でも、私たちの世界であの魔法の水薬を初めて使ったのは、モリアーティと名乗るあの男よ。
ほんの半日前、私のところに
慌てて兎穴を通って、お城に行ったら、衛兵が何人も倒れてて、みんなヨボヨボの年寄りになっていた。
上の中庭では王子の争う声と、知らない男の声。そしてサンドリヨンの悲鳴。
『お前は何者だ、なぜ私の家臣にこんなことをした』
『うるさい、お前も老いぼれるがいい』
『王子様危ない!』
私が駆けつけた時、バシャッと音がして、あの男が手にもってた何か白い物から王子に水をかけた。王子はみるみるうちに老人になって、倒れてしまった。
駆け寄ろうとしたサンドリヨンを、あいつは捕まえて『私の名はジェームズ・モリアーティ。こいつは人質だ。返して欲しければ、シャーロック・ホームズを連れてこい』と私に言うと、お城に立てこもったのよ」
「では本物かどうかはわからないが、モリアーティと名乗った男が『時進みの水薬』を持っていて、それを使ったんですね」
では、この水薬を作ったのはモリアーティなのか?
前に冗談で『モリアーティならタイムマシンくらい作りかねない』と言ったが、まさか液体のタイムマシンを作るとは……。
いや、彼は間違いなくあの滝壺に落ちて死んだ。
よしんば生きていたとして、なぜサンドリヨンの住む魔法の国に現れたんだ?
「ついたわ、南の森よ」
マザーの声に私の思考は途切れた。今はともかく、事実を確認するのが先だ。
森の中に張られた天幕の中、泣きはらした目の王と王妃とともに、百歳を超えていそうな、ミイラのような老人が一人、横たわっていた。
「大丈夫、まだ息はあります。マザー、あの薬を早く」
ワトソン君が医者としての本領を発揮し、マザーは、青い瓶の水をありったけ掛けた。「時戻しの水薬」が掛かると、みるみる王子は変化して若返った…… 六十歳くらいの姿に。
「これで命に別状は無い。マザー賢明な判断でした、もう少し遅かったら死んでましたよ。でも、薬の量が足りなかった。完全には元に戻ってないようです」
ワトソン君の言葉に、マザーはため息をついて、座り込んだ。ホッとしたのだろう。
「他の衛兵たちは、七十歳位でヨボヨボしてるけど、元気は元気だ。みんな歯が抜けてお粥しか食べられないがね」
ワトソン君が見回りから帰ってそういった。
「やっぱり。あの瓶の量を見て、多分足りないと思っていたの。もっとたくさん『時戻しの水薬』がいる。
どうしたらいいの。明後日はサンドリヨンと王子の結婚式だったのに」
マザーが絶望的な声を上げた。
「この薬の事を知っている可能性があるのは、使った本人でしょうな。
マザー、城に行きましょう。モリアーティと名乗る人物に会うしかない」
せめて護身用の銃を持ってくればよかった。いや相手は水だ、持ってくるなら蝙蝠傘の方が役に立ったか。
残念ながらこの世界に蝙蝠傘はないようだ。
◇
「モリアーティさん、ホームズさんを連れてきたわ。サンドリヨンを放して」
マザーの声にサンドリヨンとともに、バルコニーに出てきた男は、紛れもないあのモリアーティ。しかし、その姿は信じられないほど、老いさらばえていた。
「本当にモリアーティなのか? だがまるで、死ぬ寸前の老いぼれみたいに見えるぞ」
「私だとも、ホームズ。会えて嬉しいぞ」
悪魔のような笑みを浮かべ、モリアーティは答えた。
「マザー、ホームズさん、王子様は無事?」
サンドリヨンの声にマザーが叫んだ。
「何とか無事よ、でも『時戻しの水薬』が足りない。
モリアーティさん、約束通りホームズさんを連れてきたわ、王子達を元の姿に戻したいの。
サンドリヨンを返して『時戻しの水薬』を頂戴。貴方なら持ってるでしょう」
「残念ながら、それは無理だな。元に戻す方法なんか、わしは知らん。
知っているのは年寄りにする方法だけなんでな」
言うと同時に、モリアーティは私めがけ、白いものの浮かんだ水盤の水をぶち撒けた。
「危ない、ホームズ」
後ろにいたワトソン君が、私を突き飛ばした。水がワトソン君の全身に掛かる。みるみるワトソン君は白髪になり、老いていった。
「ワトソン君!」
「麗しき友情だな。どんな気分だ? 親友が自分の身代わりで死ぬのを見るのは」
そう言うと、サンドリヨンを連れて、モリアーティは高笑いとともに、お城の中に消えた。
「おのれ、許さんぞモリアーティ」
そう叫んで、私はバルコニーに向かう階段を駆け上がろうとした。
「待って、ホームズさん。ワトソンさんが変よ」
マザーの声に振り向いた途端、グキッ! やってしまった、ギックリ腰を。
思わず、階段の途中で固まった私の目に、老いて消えてゆくワトソンの腰のあたりから、赤ん坊が生まれ、どんどん大人になっていくのが見えた。
男の子だった。そしてみるみる老人になり、またその腰から次の赤ん坊が生まれ、育ち、消えていく……。
「な、何が起こってるんだ?」
訳がわからず、ただ見守るだけの私とマザーの前で、4人めの赤ん坊が育ち、やがて成長は止まり、15歳くらいに見える眼鏡をかけた男の子が、キョトンとして座っていた。
「あれ? ここはどこ」
マザーに肩を貸してもらい、やっとの思いで私は階段を降りた。
「君は誰だ? どうしてここにいる」
「僕、ジョン・ワトソンです。ジョン・ワトソン五世。みんなに
……どうやら、時が進みすぎたようだった。
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