いわゆる、こう言う瞬間#2

いやいや、2話目も読むなんてあなた方は変わり者ですね。大変な人格者と存じます。大いに結構です。


バスに乗っていると対向車線におられるバスとすれ違いざまに挨拶をする車掌様同士、なんていうほっこり一面が見られたりするわけですが私はあのような場面に多幸感を覚えるわけです。

別に私になにかとか、私に収益がとか、そういうことはないのに、ですよ。


これは凄いことでして、このような感性の備わっている私も、この感性に共感出来るあなた方も大変な人格者であると見ることができるわけです。


一方で例えば何かがあり、えっと、そうですね、例えばスキャンダル報道があったときに突然怒り始めたり、人格を否定される方は一定数いらっしゃいますよね。

彼ら彼女らは有名芸能人やタレントの何なのでしょうか。答えは何でもないわけです。

何でもないのに怒り始めるその様はまさに『別に私になにかとか、私に収益がとか、そういうことはないのに、ですよ。』に該当するわけですが、彼ら彼女らもまた人格者なのでしょうか。


難しいですね。


しかしながら感情豊かなのはとても良いこととも言われておりまして、狂ったように怒り散らすうつけものであったとしても喜怒哀楽のある人格者だ、と言われればまあ、それまでなわけです。


ここまで魔神性を見出せてはいないわけですが、問題はここからでして先述しました例の続きになるわけですがそのような『何でもない人に怒り散らすうつけもの共』に対して私はしばしば『何でもない人に怒り散らすうつけもの共』を発揮してしまうわけですがこちらはいかがでしょうか。


不幸の再生産といいますか、ネガティブの悪循環といいますか、いずれにせよとても良いとは言えない環境を生み出すお気持ちというやつです。


この再生産において私は、あるいはあなたは加害者なわけですが同時に被害者でもあります。

卵が先か鶏が先かと聞かれると

賽は投げられた

と吐き捨てる様はおよそ文明人文化人とは思えない哀れな様相を呈しているわけです。


人格者もいつも人格者ではなく、朝令暮改なんてこともよくある話です。


今私がこのようにものを書く、表現をすることについても世界の誰かは黒歴史だと言っている可能性は非常に高く、その人におかれましては『別に私になにかとか、私に収益がとか、そういうことはないのに』揶揄するし、それをみた私は人格者なので何も思いませんが、私の知人友人家族はそれを見て、恐らくは『何でもない人に怒り散らすうつけもの共』に成り下がることでしょう。


このような感情にまつわるものには魔神が寄り添っていますからね。あなたもそのうち

#2








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