第10話

 最初に郁人が3ステージ、その後に綾音が2ステージやったので次は6ステージ目だ。普通だったらステージが進むごとに難易度が上がるがまだ1面なのでどのステージも同程度だ。


 最初の3ステージ分の疲れは綾音の2ステージ分しか休憩していないのでほんの僅かしか取れていない。


「ふっ、はっ、ほっ、ふんっ」


 郁人は短い息を吐きながら指示通りに動く。


 疲れはあったがまず3ステージクリアした。ここまで休憩を挟まずに連続でプレイしていたので髪は少し濡れ額には汗が垂れている。出ていっている汗の量に比例して体が水分を欲している。


 郁人は左手にコントローラーを持ち替えて空いた右手でテーブルに置いてあるスクイズボトルを掴んだ。これはさっきの綾音の見るに耐えない姿を見て多めに水がいるなと思い、綾音が床に倒れている間に用意しておいた物だ。ついでにタオルも持ってきておいた。


 中学生の時に部活で使っていたものであり洗うのは少々面倒くさいが、1.5Lも容量があるので配信してる時も頻繁に一階に水をとりに行かなくて住むので重宝している。


 郁人はボトルの先端を口に向けて強く握り潰す。すると先端から水が勢いよく出て喉を鳴らしながら飲んだ。


(こうやって飲むのが昔から好きなんだよなー)


 水が喉から全身に行き渡っているような気分である。とにかく水が美味しい。高校生になってまともな運動をしてなかったので久々にこんな気持ちになった。


「ふふ、郁君犬みたい」


 ソファに座り休憩している綾音が突然口を開いた。


「ブフッ・・・・・・ゴホッゴホッ」


 なんとか水を口の中に留めて急いで水を飲み込んだ。


「・・・・・・いきなり何言うんですか。もう少しで吹き出すところでしたよ」

「だって、犬みたいだなって思っちゃったんだから仕方ないじゃん」

「どこらへんが犬に見えたんですか」

「水飲んでるところがホースから出てる水を喰べんばかりにすごい形相で向かってく犬みたいだなって」

「えぇ・・・・・・」


 郁人が『?』を浮かべていると綾音はスマホを出して文字を打ち込んだ後、郁人に画面を見せた。


 そこにはさっき綾音が言っていたのと同じ光景が映し出されていた。


 2匹のボーダーコリーが飼い主が持つホースから出る水に齧りついていた。よほど楽しいのか尻尾をずっと振っている。遊んでいるというより寧ろ闘っていると表現した方がいいのだろうか、2匹とも白目を剥いている。完全に我を忘れているようだ。全身濡れているのに身震いをする気配がないくらい敵に夢中になっている。もちろん的はホースから放たれている水のことだ。


「てか、全然似てないですって。こんなに目キマッてないですから」

「郁君お手!!」

「ワッ!!ってだから犬じゃないですから!」

「ふふふ、面白いね」


 綾音は笑いながら人差し指で目尻をこすった。


 郁人は苦笑している。


「ワンちゃん欲しくなってきたな」


 綾音が呟いた。


「ペット飼ってたことあるんですか?」

「それが無いんだよね、別に今までペット飼いたいって思ったこともなかったしママにもやめときなさいって言われてたからな」

「金魚とか飼ってた事あります?」

「うん、お祭りの金魚掬いでもらったのを何匹かね」

「もしかして、その金魚の世話をしてなかったんじゃないですか?」

「失礼な!ちゃんとエサもあげてたし時々水も変えてたよ!」


 ほんとにもうと言いながら綾音はコップに残っていた水を飲んだ。


(でも、よっぽど世話が下手じゃないとそんな事言われないよな)


「私お世話得意な気がするんだけどなー。そう思わない?」

「そんなこと言われてもわかんないですよ」

「お世話されてる身としての感想を求めてるんだけど」

「だから犬じゃ無いですって!犬じゃなくてもペットになったつもりはないです!」

「じゃあ今日から私のペットになる?」

「ならないですし、それ変な意味に聞こえますよ」

「あはは、冗談だって」

「冗談を言ってる顔には見えないですけど・・・・・・」


 綾音は微笑みながら前を向いている。郁人は綾音の顔から綾音の視線の先を見た。そこにはポーズ中とだけ映し出されたテレビがあった。


「郁君ってさ、お母さんのこと今でも覚えてる?」


 口角を落として綾音が言った。郁人は綾音がテレビの画面ではなくもっと遠くを見ていることに気がついた。


「いなくなっちゃったのが小学生の時でしたからね。正直ほとんど覚えてないです。家族写真を自分の部屋に置いているので顔を忘れることはないですけどね」

「そっか・・・・・・」

「どうしたんですか急にそんなこと聞いて」

「ううん。なんでもない・・・・・・ちょっと・・・・・・気になったと言うか」


 綾音は低いトーンで訥々と言った。目からはハイライトが消えている。


「ごめんね。変なこと聞いちゃって」

「全然大丈夫ですよ」

「・・・・・・今日はこれで終わりにしよっか。郁君も疲れたでしょ。たくさん汗かいただろうしシャワー浴びてきなよ」


 そう言うと綾音はゲームの電源を切り片づけ始めた。郁人は太腿についているコントローラーを外し手に持っていたもう一つと合わせてテレビの前にしゃがんでいる綾音に渡そうとした。


「・・・・・・ごめん。やっぱり私が先にシャワー浴びるね」


 郁人が返事をする前に綾音は俯きがちに脱衣所の方へと足早にいってしまった。


「どうしたんだろう」


 郁人は綾音のことが気になりながらも手に持っているコントローラーをしまった。


 何も映っていない真っ黒なテレビの電源を元から消した。それと同時に郁人は自身の何かのスイッチが切られた感覚がした。


「俺、こんなに汗かいてたんだ。うわ、中までベタベタだし。気持ち悪いな」


 郁人は服を脱ぎながら脱衣所に向かった。扉を開けるとシャワーの音だけがする。ヘッドから出る音と床に打ち付けられている音に妙な静けさを感じた。


「先輩?」


 郁人は浴室に向かって声をかけるが返事は無かった。聞こえてくるのはシャワーの音だけである。


「何かあったら言ってくださいね」


 そうとだけ言って汗で重くなっているパジャマを洗濯機の中にそっと入れ、脱衣所から出た。


 部屋に戻ると下着のままベッドへと倒れた。まだ体から熱が取れておらず服を着る気にもならなかった。 

 

 さっきは感じなかった疲労が重しのように乗っかった。


(少しだけ寝よ)


 郁人はものの数秒で眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る