第6話

 今日は始業式である。夏休み明けといってもまだ暑さは取り払われていない。夏服を着ているとはいえ背中と額から汗が溢れてくる。


 郁人が教室に入ると久しぶりに友人と会え互いに喜んでいる人と、この暑さと学校が始まる憂鬱さにやられ机に突っ伏している人がいた。


 郁人はというと圧倒的に後者である。中学生までは活発な男の子であった郁人だったが、ゲーム配信にはまりいつの間にか引きこもり予備軍になっていた。ただ自分からすすんで外に行くことがないだけで友達に誘われたりしたら出かけている。


 荷物を自分の席に置いてハンカチで汗を拭う。幸い制服に汗は滲んでいなかった。洸麗高校の制服は白ベースであり、汗が滲むと透けてしまうことが往々にしてある。


「郁人おっは!元気してたか?」

 

 座っている郁人の後ろからそう声をかけてきたのは古賀こがあきらだ。野球部である晶はすっきりとした坊主頭をしており、夏休みの強い日差しの下での練習のせいか顔は日焼けして黒くなっている。それに日々の筋トレで培った腹筋は制服の上からでもわかるくらい割れており半袖から出ている腕には血管が浮かび上がっている。まさに男なら誰もが羨む肉体美の持ち主だ。それに加えて、誰にでも分け隔てなく優しくいいやつではあるが奔放な人と為りであるが故に空回りすることが多い。二人は体育の授業で見かけによらず運動神経の良い郁人に晶が声をかけたことから仲が良くなり今となっては学校でのほとんどの時間を一緒に過ごしている。


「何久しぶり感出してるんだよ。この前遊びに行っただろ」

「いいじゃねーか、長期休暇明け友と交わす第一声はこれって相場で決まってるだろ」

「そんな相場聞いたことないって」

「俺調べだからな」

「てか、前より焼けてねーか?」


 晶の展開するよくわからない話を遮るように郁人は聞いた。


「いやー練習がなやばいんよ。夏休みだっていうのにほとんどの日あるし、今年の夏全然雨降らんかったしてか雲すらなかったからな!モロにくらったわ。練習終わりにシャワー浴びると体中ヒリヒリして、いてーのよ。あの鬼監督め」


 晶は毎日海に行ったかのような体を見ながらうげーと答えた。洸麗高校は運動部特に野球部が強く常連校とまではいかないが度々甲子園に出ている。そんななか晶は一年生唯一の一軍である。今年の甲子園は叶わず、来年に期待といったところ早速鬼監督による鬼練習が始まっているらしい。高校から帰宅部である郁人は一年生ながら難なく練習についていっている晶にいつも感心している。


(俺だったら、ソッコーへばって竹刀で叩かれるだろうな)


「全然坊主でグラサンかけた兄に間違われて監督になった弟じゃないからな」

「うえ、キモ」


 郁人が頭の中で描いてたシーンをトレースしたかのように的確に当てた晶は笑いながら言った。


「それはそうと今日はオフなんだぜ」


 晶は語尾に星がつくくらいのドヤ顔で言い、何か物欲しそうな顔もしている。


「じゃあ今日は午前で終わるし放課後メシでも食べに行くか」

「そうこなくっちゃ」


  満面の笑みをしている晶によほど休みが嬉しいんだなと思う郁人であった。


 授業があったわけではなかったので、すぐに放課後を迎えた。ホームルームを終えた後2人はすぐにカバンを持ち教室をでていった。


「どこ行く?」

「ネスバーガーとか?晶、食事制限とかしてなかったっけか」

「1日くらいいいっしょ。よーし!久しぶりのハンバーガーだー。もう山盛りご飯には懲り懲りなんだよーー!」


  そう叫ぶ晶に郁人は悪い奴とだけ返した。


 下駄箱で靴を履き替えると校門に見慣れた人が立っていた。


「会長じゃん」


 凛々しい立ち姿をし、風で靡く髪はまるで糸のようである。夏服なのてま細いく柔らかそうな腕が露わになっている。


 そう呟く晶を傍にいち早くそれが綾音だと気がついていた郁人は絢音の方を一瞥もせず前を見て歩いていた。


「オーラがちげぇや。遠くからでもわかるぐらい溢れでちゃってるし。郁人もそー思うだろ?」

「・・・・・・そうだな」


 適当に返すのもそのはず郁人は胸騒ぎしかしていないからだ。郁人は綾音が義姉になったことは誰にも話していない。それも、もし学校でその事実が広まったら学校中の綾音ファンに殺されかけないからだ。学年一の美女でありなんでもこなす才女でもある綾音にはファンクラブが存在するという噂が立つほどだ。なので、郁人は綾音に周りに言わないようお願いした。物言いたげな顔をしていたが渋々了承してもらえた。


 郁人はなにもないことを切望し綾音の横を通り過ぎる。待ち合わせでもしているのか綾音は郁人のほうに視線を一瞬向けただけであった。


 郁人は安堵に包まれた。ほっと胸を下ろす。流石にないとは思うが、学校で家みたいな揶揄われ方をしたらたまったもんじゃない。教室で端の方にいる奴が急に学園のアイドルと仲良くしていたら変に勘繰る輩が現れるだろう。なんとしてでもその状況は回避したい所存である。


 そう思うのも束の間、無事に帰してくれる程優しいヤツではない。郁人もそれは十二分に承知である。だが、無事に帰れると期待していた分落差が激しい。


 今、郁人の右隣には晶がいる。それはいいとして左隣には綾音がいる。さきほど綾音の隣を通り過ぎた後そのまま付いてきたのだ。郁人は額に手を当てあちゃーと言葉を漏らした。郁人と綾音の関係を知るはずもない晶は首を傾げている。綾音はずっと笑顔で郁人を見ている。ふふふっという効果音が郁人の脳内で自動付与される。


「可愛い・・・・・・」


 晶の口からボソッと発せられた。完璧美少女の微笑みだ。並の男だったらこれだけで好きになってしまうまさにキラースマイル殺傷力は半端じゃない。たが、綾音は全然目をくれない郁人に口を膨らませ鞄からスマホを取り出して文字を打ち込む。


 するとすぐに郁人のケータイが鳴った。スマホを開くとメッセージが2件届いている。もちろん差出人は綾音である。可愛いぬいぐるみのアイコンにドキッとしながらトーク画面を開くと


『一緒に帰るんじゃないの!?』


 と少し不恰好なウサギが怒っているスタンプと共に送られてきている。


『約束してないし、これから晶とネスバーガー食べてくるから』


『約束したら、一緒に帰ってくれるの?』


「・・・・・・うっ!」


 思わず声が出てしまった。その瞬間を綾音は見逃しておらずニヤリと口角を上げる。女神のような笑顔であるが郁人には悪魔にしか見えない。出会った当初はこんなことなかったのにと内心思った。


「ほら、晶行くぞ。早くしないと席埋まっちまう」

 

 郁人は晶を促した。これ以上一緒にいると綾音に完全にペースを握られてしまうので致し方がない戦略的撤退である。郁人は足早に歩く。


「お、おう・・・・・・」


  晶は少し狼狽えながらも綾音に軽く会釈だけして郁人について行く。


(ブッ・・・・・・)

 

 郁人は地面を蹴る音でポケットにしまったスマホの通知音には気が付かなかった。


「一緒に帰れると思って折角待ってたのに・・・これから郁君はすぐ帰っちゃうだろうしでも私は生徒会が忙しくなって帰るの遅くなっちゃうのに。郁君のアホ、バカ、ケチ。家に帰ってきたら覚悟してよね何言われてもやめてあげないんだから!郁君が全部悪いんだもん・・・・・・」


 綾音は 周りに聞こえないように独りでに呟くきながら肩を竦めて駅を目指し歩いた。

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