第19話 Side、公爵 攻防戦
(——な、なぜだ。一体なぜなのだ……)
『漆黒』の名の通りの防具を身につけた男は、ディゴート公爵——我の予想を超える行動を取り続けていた。
『カイ』という自己紹介をしてくれたが、彼の立場上、偽名を名乗っていることは予想していた。
だが、想定通りだったのはこの一点だった。
漆黒が帝都直属の人間だということは抜きにして、彼は宝物の娘を助け出してくれた人物。
公爵の格が落ちようとも、最大限の誠意を見せるのは一人の親として当然のこと。
頭を下げることに抵抗はない。無論、妻も同意見。最初からこうすることを決めていた。
要求されるお礼にはできる限り答える。そんなスタンスで話を進めようとしたのだが、結果は違った。
彼は我々と同様に
自らも下に出ることで、公爵の格を極力落とさないようにするが如く。
(どうしてここまで気を遣ってくれるのだ……)
このようなことをされる道理はないのだ。
100%の恩を受けているのはこちら側なのだから。
さらには巨大な権力を持つ我々が……筋を通すためにつけ込まれる弱みを堂々と晒しているのだ。
なんでも要求を通せる立場だということがわかっているはずなのに、こちらはどのような要求も呑むしかない立場だということがわかっているはずなのに、欲しいものを
(——本当に意味がわからぬ……)
身分が低い者ならば、“公爵のこんな姿”を見て逆に恐縮してしまうかもしれない。警戒して様子を見るような立ち回りをするのかもしれない。
だが、彼は間違いなく我々よりも上の立場の人間。
我々が手も足も出ないような後ろ盾があるような人物。
公爵など慎重になるような相手でもないはずなのに、なぜかその手の行動を取ってくる。
仮に立場を隠そうとしている狙いがあるならば、素直にお礼は受け取って目立たない行動は取らないはずなのだ。
つまりこれは、漆黒の誠実な素が現れていると言っていい。
今まで会った誰よりも好感はあるが、掴みどころのない不気味さも一番に感じる相手。
こんな対応をされて思い知らされる。
『素直にお礼を受け取ってくれる相手』の対応がどれだけ楽だったのかと。
(もしや……我々を試しているのか……)
そんな疑問を抱けば、深く考えてしまう。
彼の表情は甲冑で隠れているために、読み取ることもできない。
ただ、今考えられるのはこの一点。一応の辻褄は合うのだ。
『このような者の対応はどのように行なっているんだ?』なんて確認を。
お礼を遠慮されているとはいえ、なにもしないで帰すというのは、家名に傷がつき、悪い噂を流されてしまう要因。
だからこそ、強い視線を向けられているようにも感じる。
『この手の対応ができていないようだが、公爵であるにもかかわらず隙があるように感じるが?』と。
絶対的な力を持つ帝国君主、帝王と関わりがあるからこそ、我々の甘い部分が目に入るのだろう。
頭を働かせれば、試しているとの可能性が高いと感じてしまう。
(
奥歯を噛み締める。それは我の疎かさゆえ。
無意識に固定観念を作っていたのだ。全員が目の色を変えて礼を受け取ってくれると。
悪評を流す者はいない。強大な権力を我が家を衰退させようと企てる者はもういないと。
本当に愚かな考えを抱いてしまっていた。
(帝王に順する人間というのは、これほどまでに入り込む余地がないのだな……)
なぜお礼を受ける側がこのようなことをするのか、それは心当たりがある。
『あの万能薬を使ってまで娘を助けてやったんだ。衰退の原因となるような隙は作るなよ』
そう言ってくれているのだろう。
(本当に情けないものだ……)
長年この地位に就いているのにもかかわらず、言い返す言葉もない。
だが、反省するばかりではない。
彼と出会えて本当によかったと、そうも思う。
隙を埋めるキッカケを作ってくれたからこそ。
「——貴方様がお礼をご遠慮なされるのでしたら、我々からの提案をさせてください」
「当方の都合で誠に恐縮ですが、沽券に関わることでもありますので……」
妻も我と同じ考えに至ったのか、後押しをしてくれる。
「……で、では、そちらにお任せする。
勲位を授けられることの意味を知らないはずがない。
こんなにもわかりやすい冗談を言った意味は一つだろう。
(我々とて強い地位を築いていたのだ……)
公爵のプライドにかけて、放つ。
「我々の別荘と、礼金、我々からの後ろ盾。この3点を持って貴方様にお礼をさせていただきたく!」
バンと机に両手を置き、頭を下げる。
娘を助けてくれた恩と、幻の万能薬を使用してくれた恩。
本来ならば全く釣り合うものではないが、お礼に対して前のめりになることもなければ、試されてもいた。
つまり、彼は聞きたかったのだろう。
第一に『公爵家が衰退しない可能性』を減らすお礼を。
第二に彼の特にもなるお礼を。
「そ、そんなには……」
「これ以上の譲歩は我々としてもできるものではありません。何卒お受け取りください」
「私めからも何卒お願いいたします」
「……そ、そう……ですか。では、ありがたく」
どこか嬉しそうな声が聞こえる。
無事に正解を出せたようだ。
彼からすれば、所属しているヴェルタールの活動拠点を増やせたようなもの。
我々からすれば、大きな負荷を負うこともなく、帝都直属の人間と長年の関わりを作れたようなもの。
良案だという自信は間違っていなかった。
「本日貴方様にお時間がありましたら、別荘の場所や内部の案内はこの後、我が娘に……というような形ではどうでしょうか」
「ご丁寧に感謝する」
——これでようやく話がまとまった。
肩の荷が下りた瞬間だった。
それからは数十分の雑談を挟み、よい時間となる。
「……では、娘達のいる隣室に案内を頼めるか」
頷く妻。
本来ならば使用人に促すところだが、最大限の敬意を払うために、正室を充てる
「それではカイ様、私めとご一緒ください」
「あ、ああ……」
そんなやり取りを交わし、応接室を抜ける二人。
(カレンは本当にとんでもない男に救われたものよ……)
大量の冷や汗が滲んだその額をハンカチで拭きながら、大きな息を吐き出す。
手の震えを抑えようとしても、なかなか治まるものではかった。
* * * *
その一方。
『遠慮してたのに、なんか家とお金がもらえることになったんだが!?』
公爵の妻に隣室を案内される中、スキップしたいほどの嬉しさに包まれている男がいた。
相手が相手なだけに恐れ多く、ただただ遠慮するしか選択肢のなかった男には、貴族に詳しくもない男は……攻防が繰り広げられていたことを知る由もなかった。
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