第6話 勘違いその②
宿に着いた男が泥のように眠りについた矢先のこと。
「よかった……。本当によかった……」
「そ、そんなに泣かなくてもいいじゃないの……。って、いつまで泣いているのよ」
広々とした敷地に立つ豪華絢爛な屋敷。
その屋敷内で——父、ディゴート公爵に引き気味の娘、カレンがいた。
そんなカレンは両肩に置かれた手を払うことなく、眉を顰めて言うのだ。
「お父様の威厳がなくなっちゃうわよ。使用人に見られてしまったら」
「今だけはよいではないか……。本当に心配したのだぞ」
「どんな時も堂々としたお父様を尊敬しているのよ? あたし」
「す、すまん。そうだな……。そうであったな……」
皺のある手で涙を拭う公爵は、ゴホンと大きな咳払いをして椅子に腰を下ろす。
目は充血したままだが、その様子はもう普段と変わらないもの。
上手な取り繕いを見るカレンは、ふっと笑みを浮かべながら、足を動かして正面の椅子に座る。
「本当に……治ったのだな」
「ええ。ビックリしたでしょ? 無事に帰還したかと思えば、不自由だった足まで治っているのだから」
右足を難なく動かすカレンは、どこか照れ臭そうに赤の髪を人差し指で巻く。
「本当にあの万能薬が使われたのだな……。我が権力を駆使しても十年来と見つからなかったあの薬を……」
「理解が追いつかなかったわよ。当たり前の顔をしてポンポンと万能薬を出してきたんだから。躊躇う様子を見せることもなく」
しみじみと言う父親に、当時のことを鮮明に教えるカレン。
「それだけじゃないわ。見返りを求めることもなく、お礼を……なんて伝えても『いつか返してくれ』なんてふざけたことを言ったのよ? あたしが公爵の娘だって知っていたはずなのにあり得ないわよ」
「……彼ほどの誠実さを兼ね備えた人間を、今後見ることはないだろうな」
「でしょうね。誠実すぎて怖いくらいよ」
ディゴート公爵とカレンは知る由もない。
足の不自由が治り涙を流していた最中、『無事に送り届けられたら、どんなお礼をしてもらおうかねえ』なんて軽口を言っていたことを。
『いつか返してくれ』なんて言ったのは、一刻も早く体を休めたかっただけだと。
そして、公爵家の出だと知ってすらいないと。
「もう一度確認なのだが、カレンを救ったその彼は、
「ええ、あたし達のために素性を明かしてくれたわ。お父様が救援を出してくれたのよね?あの人から聞いたわ」
「無論そのように手は回していたが……その者と繋がりがあるのならば、焦ることもなく、あの万能薬を早期に入手できていただろうな」
「っ!」
この意味深長な言葉でカレンは気づく。父親と彼の間にはなにも関係がないことを。
「で、でも! あの人は『親御さんに感謝しろ』って……」
「これはあくまで推測でしかないが、帰還への精神的支柱とするためだろう。その言葉を聞いただけで、いくらか楽になったのではないか?」
「……」
言い返す言葉もないほど正論だった。
実際、親と関係がある人物だと信じた瞬間から大きな安心を得ることができていたのだから。
「な、ならどうしてあの人はあたし達を救うことができたのよ……。ニーナもレミィも知らない様子だったわよ」
「
「そ、それじゃああの人の潜入任務は……」
この街に戻ってくるまで、彼はずっと付きっきりだったのだ。
つまり、与えられた任務よりも救助を優先したことになり、当然の罰が下ることに——。
「実は二日前に連絡が届いたのだが、カレン達を連れ去った者共は全てウェーハ街近辺で捕らえられたそうだ」
「ウ、ウェーハ街近辺……」
この時、カレンの脳裏によぎる。
『あくまで予想だが、お前達を攫った敵はウェーハ街付近で見張ってるだろう』
『だから少し遠回りをする。ウェーハ街じゃなくて、この村を経由する』
救い出してくれた彼の言葉を。
「あの人……悪人がそこにいることを予想していたわよ。予想していたから、遠回りしたのだから……」
「予想はできただろうな」
「えっ?」
「レッドフリードを捕らえたのは、どうやら帝都直属のヴェルタールらしい」
「ヴェルタールってあの!!?」
「ああ、犯罪組織が最も恐れるあの組織だ」
ヴェルタール。
その名はこの世に住む誰もが知る治安維持を目的とした帝都直属の暗躍組織。
主に最高位のトレジャーハンターで形成されたエリート中のエリート集団である。
「こんなにも辻褄が合っているのだ。もうわかるだろう?」
「あの人がヴェルタールの一員……。だ、だからあの万能薬も持ち合わせて……」
「でなければ説明がつかん」
「……」
「恐ろしいのは、彼があのヴェルタールの中でも指揮する立場であり、自由に動ける立場ということだ。彼の気分を害す行動を取った瞬間、我々など一瞬で排除されてしまうだろう……」
声を震わせるディゴート公爵。その顔は真剣そのもので、疑う余地すら持っていない。
「よいか、カレン。彼の素性は誰にも言うではないぞ。
「わ、わかったわ」
今まで聞いたことのないような警告の声色に緊張を滲ませるカレン。
「当たり前のことだが、最大限のお礼をせねばならぬな……。カレン、彼の名はなんと言うのだ?」
「……ごめんなさい。話題を逸らされて聞くことができなかったわ」
「我こそすまぬ。ヴェルタールに所属しているのだから当然であるな……」
さすがの秘密主義だと納得する公爵。
「漆黒の装備で居所を掴むしかあるまいか……」
お礼は『いつか返してくれ』と言われたらしいが、その言葉に甘えるわけにはいかない。誠意を見せるために必ず探し出さなければならない。
「カレン、リフィアを呼んできてくれるか」
「姉様を?」
「ああ。リフィアにもこの件は伝えておく。彼を見つけた際には二人で誘致してもらうぞ」
「わ、わかったわ」
話がまとまり、この一室を出るカレン。
「我が娘を救ってくれた彼が叱責を受けてはいないだろうか……」
頭を抱えながらボソリと呟くディゴート公爵。
もし——幻の万能薬を使用したのが彼の独断だとしたら。
幻の万能薬を使用しなければ、皆を帰還することができないと判断したのなら。
お礼を先送りにした理由が、一刻も早くこの件を上に報告しなければならなかったのだとしたら。
希代のアイテムを使ってしまったその責任を、一人で負うことになるのだとしたら。
誠実な彼であるばかりに、一人で抱えてしまうことがあり得るのだ。
「我が娘を救ってくれたその恩……何十年とかかっても必ず返させてもらおうぞ」
アンサージ家、アルブレラ家、互いに同じ結論に至っていることを確信しているディゴート公爵でもあった。
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