第8話 肥満

 昔。


『池中玄太八十キロ』とかいうテレビドラマが放映されていた。……といっても、その放映時には私は幼稚園児であったので、観たことはない。しかしながら、このドラマは大変な人気だったようで、私もこのドラマのタイトルぐらいは、少年時代に何かから知りえたのである。


 まず、このタイトル『池中玄太八十キロ』であるが、率直に言わせてもらうと、間抜けさを感じた。「八十キロ! デブじゃん!」と。よく知りもしない池中玄太を小馬鹿にしていた。いくらなんでも肥りすぎじゃ、と。少年時代の私にとって、八十キロという体重は、嘲笑に値する数字だったのである。


 それから二十年余り。……馬齢を重ねるとは、恐ろしいことである。私の体重は八十五キロに至ってしまったのだ。嘲罵の対象の体重を五キロも上回るという事態に。

ビックリ・ビビンバ・ビートルズ!


 私は救済を求めて、一階の和室に行き、神棚に向かって二礼二拍手一拝。そして右手で十字を切りつつ、仏壇の前に座して法華経を読んだ。それから、自室に戻り「池中さん、相済みませんでしたと」いう真言(マントラ)を八十一回唱えた。

だが、私の体の脂肪は物質である。物質的な、あまりに物質的な。神仏に縋るのも悪くないが、やはり具体的行動に打って出なくては。


 最近のメディアは「楽々ダイエット」などを謳い、様々な秘術めいたものを世に流布させ人心を掴んでいるが、心得違いも甚だしい。痩身術は、飽くまで、長い根気強い精進が必要である。だいぶ偉そうに言ってしまったが、私は「根気強さ」に関してはからっきしのヘナヘナだ。……いかん! そんなこっちゃあ。歯を食いしばれ! 己の弱さを恥じて克服せよ!


 私は急いでジャージに着替え、休業日のゴルフ場に無断侵入。全力でフェアウェイを駆け巡った。息が、この上なく苦しくなった。足の指先がバキバキと鳴り、疼痛が走った。太ももの筋肉が張り、最終的にグリーンの真ん中に倒れこんでしまった。

長年にわたり不摂生を続けた私の身体は、全力で走る能力が奪われていた。私は簡単ダイエットに心を奪われる人々の気持ちが分かったが、まだ妥協したくない。


 断食はどうか、と考えた。これは多分に宗教的であり修行っぽく、高級感も感じられて私の気に入った。


 丸二日、水だけで過ごしてみた。するとどうだろう。体重は全く減らぬのに、神経が常と異なり、今は夢の中にいるのか現実のうちに起きているのか判断できなくなり、幻覚のようなものも感じられるようになった。身の危険を感じ、三日目に断食を中止した。断食のノウハウを全然知らない者がこれを行うのはマズイと思った。三日ぶりに食う飯はウマいと思った。


 だんだん、痩せるために健康を損なっているのがアホウらしくなってきた。頑張ったつもりだが、体重は全く落ちない。


 もう私は「百貫デブ」と嘲笑されてもいい、と観念した。かなりガッカリであるが。ガッカリ・ガガーリン!

 つと疑問が生じた。太った人間を愚弄せしめる言葉「百貫デブ」。はて、その百貫とは、メートル法における単位では何キログラムなのかしらん。調べてみた。

 ……一貫は三・七五キログラムに等しいそうだ。従って百貫は……。


 三百七十五キログラム!


 ギネス級の数字ではないか。ああ驚いた。いくら太った人間をおちょくる言葉とはいえ、いくらなんでも「百貫デブ」はオーバーな表現なり。まあ、百という数字が、キリがいいんだろうな。


 つと思った。自分の体重を尺貫法の単位を使って表そうと。そうすると、私の体重、もとい目方は二十二貫半。ふっふ。これならなんとなく太ってる感がなくてよろしくないか?

 毒を食らわば皿まで。身長、もとい背丈は五尺七寸。生まれ月は如月。居住するは常陸の国。今の時刻は酉六つ。


 なんたる無駄な言葉遊び! 痴れ言などいくら弄したところで、私の身体に纏わり付いた脂肪が消えぬ。しかも万策は尽きたのだ。


 建設的に考えよう。肥満体でもいい。メタボリック何とかが、巷間けたたましく騒がれている現状であるが、あえて時代に背を向ける。肥満人間特有の「つん」とした悪臭に気をつけてさえいれば、まあよいではないか。


 肥満より恐ろしいことがあるのだ。薄毛。


 髪の毛がなくなってしまったら、肥満との合わせ技で、結構辛い人生になる気がするので、最後の砦は絶対死守の構えだ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

唇は赤ければ赤いほど赤い ヘルスメイク前健 @health_make

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ