Epilog

エピローグ・雪どけ、季節はめぐる

 ――コンコンコン。


 なにかを叩く物音が聞こえた。


 俺はまぶたをうっすら開く。身じろぎをするも、腕も足もひどく重くって……おまけに頭もぼーっとしている。


 あと少しだけ眠っていたかった。

 けれど悲しいかな。一度目が覚めてしまった以上、再びおなじまどろみの世界には戻れないのだ。どこか頭の片隅で……なんとなしに、わかっていた。


 がちゃり。

 車のドアが開いた。雨に湿った冷たい空気が、俺を現実へと一気に引き戻す。


「頼人ぉ」


 自分の名前を呼ぶ声がした――母の声だ。


「あら、寝ていたの?」


 少し開いた車のドアから顔だけを出して、母は身を震わせる息子にたずねた。


「……みたいだね」


 まぶたが半分まで上がった。目覚めを余儀よぎなくされた俺は、体を中途半端に起こしてから答えた。


 まだ少しぼぉっとする頭のまま、倒した背もたれを元の位置に戻す。すると、今度は前の助手席のドアが元気よく開いた。

 冷たい空気と一緒に、妹が車内に転がり込んでくる。飛び跳ねるように乗り込んだため、迷惑なことに車全体が大きくゆれた。


 振動に、ずきりと頭が痛む。頭を押さえる俺をよそに、ぷしゅっと空気に抜ける音が聞こえる。続いて、さわやかな甘い匂いが車内に漂った。


「頼人、ちょっとごめん」


 母の呼ぶ声に、俺はぐでんと頭部を向ける。母はとなりの席に置いていた買い物袋を持ち上げて言った。


「この荷物、そっちの足下に置いておいてくれない?」


 俺は「いいよ」と短く答えて、母から買い物袋を受け取った。おそらく、ドラッグストアでまた大量に買い物をしてきたのだろう。足下にはすでに携帯会社の紙袋があった。俺はその横に押し込むように、受け取ったばかりの買い物袋を置いて足で挟んだ。


「さっ、どうぞ遠慮えんりょしないで」


 母の明るい声が耳に通るやいなや「すみません」という、控えめな声が後に続く。後部座席がゆれ、車のドアがバタンと閉まった。


 車のエンジンがかかるなか、俺は顔を上げた。

 そして、目を丸くする。

 夢の世界で散々見てきたはずのその顔に――一瞬、時間が止まったような気がした。


「ども」

「…………」


 気まずそうに会釈えしゃくするその少年は……なんと本物の真島賢治であった。



 * * *



「さっきね、ドラッグストアでたまたま真島くんの姿を見かけたのよ。それで声をかけたの。だって、こんなざんざん降りの雨でしょ? お家まで乗せていってあげようと思って――」


 走る車のなか、母だけがお気楽にしゃべっている。助手席の妹は人見知りするせいか、ぐっと口数が減っていた。


「…………」

「…………」


 しかし、一番沈黙に閉ざされているのは後部座席の二人だ。エンジンがかかってからも、終始、無言の状態が続いている。幸い、母の質問攻めが真島に集中したために、俺はあまり口を開かなくてもよさそうであったが。


 真島の話によれば、彼は進学校の受験に無事合格した。その情報はウワサ程度に俺の耳にも入っていたが、やっぱり事実だったようだ。

 でも、次の話は俺もはじめて聞かされた。四月から真島は親戚の住む家に引っ越して、そこから高校へ通うことになるらしい。


(最寄りからほんの二駅先の高校に通う俺とは、スケールがまたちがうもんだな)


 さすが優等――という皮肉は、ノドの奥に押し込めた。

 母は真島が地元から離れることを、とても残念がっていた。


「そうなの。それじゃ中学の友達と会うのは、卒業式が最後になっちゃうかもしれないのね……」


 母の言葉に、彼は否定せず「はい」とだけ答えた。


「……テニス続けんの?」


 不自然な質問が、自分の口から出た。

 真島は目をまたたかせて、俺の顔を見る。俺はあえて彼のほうは向かず、まっすぐ助手席のシートの頭を見つめた。

 さすがに、真島も答えにくかったようだ。けれど、少し経ったのち、小さな声で「できれば続けたい」と言ってくれた。


 テニスの質問を皮切りに、母が今度は俺の話をしはじめる。大会で惜しいところまで進んだことや、息子がテニス部の部長で毎日が大変だったことなど。

 それはそれは陽気に楽しく、あっけらかんと話した。


(そうだ、いつだって大人ってやつは……)


 なんだか、重々しく考えていた自分たちのほうが、ひどく損をしたような気持ちになった。


「スマホ、新しいの買ったんだ」


 真島の目は、俺の足下にある携帯会社の紙袋と、手に光る新品へと向く。「今日買ったんだ」と俺が自慢すると、彼もすっとポケットから自身のスマホを出した。


「僕も昨日買ってもらったよ」


 と、真島は言った。ようやく見せた、やわらかな表情であった。


 走行中、フロントガラスからファーストフードの店の看板を見つけた俺は、母に立ち寄ってくれるよう頼んだ。同時に、真島にも「少し時間はあるか?」とたずねた。



 * * *



「頼人、はいこれ」


 傘を差して車から下りると、運転席の窓から母が二千円札を俺にくれた。


「真島くんの分もね。今日くらい、ゆっくりおしゃべりしていきなさいな」


 助手席にいた妹も窓から顔を出して「ポテトもお土産よろしくね」と笑っていた。


 俺はサンキュと、母からの特別なこづかいを受け取った。雨のなか足早に、真島と一緒に店に入っていった。


(なんの話からはじめようか……)


 車のなかで、おもしろくて変な夢を見ていたような気がする。

 最初にその話しでもしようか……ああでも、ふしぎだ。もう、片鱗も思い出せない。


(夢のなかで、真島が出てきたような気がする。俺はあいつに、なんて言ったんだっけ?)


 雪が溶けて、春が来る。

 はじまりと終わりの季節がやってくる。

 いまはもう、残された少ない時間を――大切に使うことにしよう。

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【短編】卒業式のユメ 〜潜水服の優等生は、まどろみの世界で指揮棒を振るう〜 シロヅキ カスム @shiroduki_ksm

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