光へ


 折れた指揮棒は俺の手から離れ――浮かぶことなく、水底へゆっくり沈んでいった。


(憎き優等生よ、さらば)


 消えゆく指揮棒に別れを告げた。

 俺は目線を戻すと、真正面から真島賢治を見すえた。


 向かい合う俺たちの頭上で、突然――水に満ちた体育館の屋根が音もなく割れた。

 天井が崩れ落ちる。屋根の破片や照明がゆっくり水のなかに散っていった。


 剥がれた天井から、光の白い帯が差し込んだ。

 どうやら水面が近いようだ。一筋の光が真島の黒いヘルメットを透かした。彼の表情を見た俺は、おなじ顔を返した――ほほ笑んで。


「それじゃ、行こうか」


 真島はこくんと、うなずく。ゆったり足で水をかいて、俺たちは水面を目指して、上へ上へと泳いでいった。

 上昇するさなか、ちらりと水底を見れば――いつの間にか、体育館は人であふれていた。どうやら入口で立ち往生していた人たちが、ようやくなかに入れたようだ。


 しっちゃかめっちゃかになった卒業式であったが……旅立つ卒業生を祝って、みな大きく手を振ってくれた。


 舞台上では、校長がにこやかに笑って手を振っている。「卒業証書は後で家に送っておくよ。達者たっしゃでな!」と大声で言った。教頭のほうは相変わらず袖幕にしがみついたままだったが、それでも片手を振り上げてなんとか見送ってくれた。


 ぬぅっと、大きな影が俺たちのかたわらを横切る。

 大きな魚かと思えば、その正体は卒業式の垂れ幕であった。『祝 第○回 北が丘中学校 卒業式』と書かれている。


 あかと白の紙の花を散らしながら、回遊する垂れ幕に俺は手を伸ばす。端をつかむと、垂れ幕はぐんと勢いよく、俺たち二人をつれて、水上めがけて進んでいった。


 水面まで間近。

 白い強烈な光の境界に、俺はまぶたを細める。


 片手で真島を引っ張ったまま、垂れ幕から離した手を水面へ向けた。その指先が光のなかに溶けた瞬間、口からこぼれる泡すらもキラキラと輝いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る