卒業式 Ⅱ

 誰も立ち入れない卒業式で、存分に指揮棒を振るう真島の手はしなやかであった。整えられた外見と内面も合わさって、優美さを増してゆく。


 しかし、俺には横暴さを感じていた。当人の気持ちを読み取ろうにも、黒く光るヘルメットはなんの感情も透かさない。

 体育館を一周したパイプ椅子の群れがまた、俺の顔の間近をかすめていく。危うく、首を持っていかれそうになった。けれど、俺は怯まない。ただまっすぐ、体育館の中心で指揮する真島賢治のことを見すえていた。


 もう、答えははっきり出ていた。

 これから自分がなにをすべきなのかも。

 明白だからこそ、なにからも怯えたり、取り繕ったりする必要のないのだ。


 俺はいったん、体育館の扉から首を引っ込めた。入口では、いまだに立ち往生する生徒や大人たちであふれている。彼らの不安げな視線が背中に突き刺さる。となりにいるスーツの男も同様に、俺の顔色をうかがっていた。


 あえて後ろを振り返って、一同に弁解などしない。もう説明は不要なのだ。自分のやることはただ一つ、体育館で暴れている優等生を止めることなのだから。


 自分自身にうなずいてから、俺はもう一度、扉の隙間に手をかけた。ふんぬと、左右の扉を押し開こうと力む。と、そこへスーツ姿の男が止めに入った。


「おやめなさい。とっても危険なんですよ」

「ご心配、ありがとうございます」


 心配する声に、俺は軽く頭だけを下げた。

 ぐぐっと力を一点に絞り、歯を食いしばってみれば――ギギギッと重い扉が根負けする声を上げる。


「だけど、これは俺の役目なんです。俺にしかできない……いや、俺がやらないといけないことなんです」


 扉の隙間は、俺の肩が通るくらいの幅まで広がった。下を向いていた頭をまっすぐ前へと持ち上げる。扉の向こうでは、速度の落ちることのない凶暴な渦が待ち構えていた。


「俺自身が、決着をつけなきゃいけないんですよ」


 そう言い残して、俺は扉の隙間に体を滑り込ませる。体育館内に侵入できた俺は、すぐさま床を蹴った。


 水中を泳いでいく。

 目指すは渦の中心――怒れる優等生の元へだ。


 足を上下にばたつかせた。両手は平泳ぎの要領で大きく広げて、水をかいていく。運動部だけあって、水泳も多少は得意であった。

 だが人を近づけさせまいと、荒々しい渦の流れはいっそう早さを増す。絡みつく垂れ幕を避けて進んでいた俺も、突然の水流の変化に対応しきれなかった。


 水中ではテニスで鍛えた反射神経も通用しない。襲いかかるパイプ椅子の群れに体当たりをかまされた。


「ぐぅっ!」


 口から空気の泡が吹き出た。幸い、水中のせいか衝撃は鈍く、痛みは緩和された。けれど体の向きが反転してしまい、俺はそのままパイプ椅子の群れごと、グルグル周回する水流に巻き込まれてしまった。


(く、くそっ!)

 

 逆さまの体で水流に引きずられる俺は舌打ちをした。体にのしかかってくるパイプ椅子を気合いで押しのけると、器用に体勢を戻す。再びばた足で逃げようとするも、式典の障害物たちは次々容赦なく俺に襲いかかってきた。


 横殴りするパイプ椅子の群れ、視界を覆う紅白の垂れ幕、頭をかすめる花瓶に、足にまとわりつく花や卒業証書など。


 邪魔するものを押しのけ、押しのけ……少しずつであるが、俺はあきらめずに前進していった。


 残り数メートル。俺たちの距離は徐々に詰まってきた。

 俺が近づくにつれて、真島の指揮棒の動きも速くなる。渦も過激さを増していって、もはや演奏もなにもあったもんじゃない。


 そして、とうとう……捕まえた。


 俺は最後のパイプ椅子を足で蹴ると、その反動をいかして優等生の前までたどり着く。即座に、指揮棒を振るう彼の腕をつかんだ。


「……!」


 指揮を止められた真島は激しく抵抗した。じたじたと暴れはじめる。


 そのもがきっぷりには、もはや優等生などという体裁ていさいは崩れていた。駄々をこねるよう、自身の腕をつかんでいる俺を、その体ごとブンブン振りまわした。


「…………」


 俺は真島にされるがままに、水中で振りまわされていた。

 けれど、彼の腕をつかむ手だけはがっしり離さなかった。


 ああ、離してたまるものか。なぜならば、俺には憎き優等生に、言いたいことがたくさんあったからだ。


「真島」


 彼の名を呼ぶ。

 名前に反応して、真島ははたと動きを止めた。俺のほうへ、自身のヘルメットを向ける。


 その瞬間、俺は真島の黒いヘルメットめがけて頭突ずつきをかました。


「!」

「……いい加減にしろよ」


 腹の底から出した低音ひくねとともに、口からゴボゴボ泡がのぼった。


 もう片方の手で、俺は真島の肩をがしっと強くつかむ。黒いヘルメットと、俺は向き合った。黒い光沢のヘルメットに反射して映ったのは――怒りに燃える俺自身の目であった。


「お・れ・が! 怒っているんだよッ!」


 全身を使った叫びは、体育館のなかに轟いた。


 さすがの真島も驚いてか、体を硬直させる。反面、俺の怒りは叫び一つで収まるようなものではなかった。高ぶる感情に突き動かされて、俺は思いの丈をすべて吐き出した。


「なんで、おまえが怒っているんだよ! 怒っているのは俺のほうなんだよぉ!」


 荒れ狂う渦さえも、動きを止めた。遠心力を失って、しばらくはゆるゆる周回を続けていた障害物たちも、やがては水のなかに散らばっていく。

 しんとしたほの暗い水のなかで、悲痛な罵声だけが続いた。


「俺が怒ってんだ! ずっと怒りを押し込んでいたんだ! 見て見ぬ振りをしてたんだ!

 全部吐き出したくても……吐き出せなかったから……」


「…………」


「だって、みっともないから! 子どもっぽいから! 幼稚だから! チセツだから!

 なにもかもおまえのほうが正しいんだって、大人の振りをして俺は自分をごまかして……ずっとずっと……真島への不満をなかったことにしてた!」


「…………」


「ほんっとうは、すっごく責めてやりたかったよ。なんで部活辞めるんだって問い詰めたかった。無責任野郎って、罵りたかった……」


 ひとしきり気持ちを出して、俺は顔をうつむかせた。

 今度は暗い表情でぼやきはじめる。


「……俺な、ようやく優等生のおまえに勝てるもの、一つ持てて浮かれてたんだよ。

 俺が部長で、真島が副部長で。やっと自分にもなにか誇れるものが持てたって……心の裏で自慢してた」


 俺は「だのに、おまえ……」と目だけを動かして、真島に恨めしい視線を向けた。


「あっさり副部長の座を退しりぞきやがってよ。受験勉強のほうが大事だって……まるでテニス部に価値がねぇみたいに切り捨てやがって。

 ははっ、浮かれていた俺がバカみたいじゃん」


「…………」


「第一、高校受験なんておまえだけじゃないからな。俺ら三年生はみーんな受けるんだからな。

 自分だけ楽して不公平だよ。……んでも、結局のところ、おまえは優等生で通っているから。周りの大人みんな認めさせることができる器用なやつだから……」


 俺とは、ちがうから。

 そう言って、俺はまぶたを強く閉じる。

 水のなかにいるっていのに、どうしてか、眼球が異様に熱かった。


「あがけば、あがくほど、なんか惨めになってくるわ。部長って立場があったから、俺だけがまわりのフォローにマジ必死になって大変だったよ、はぁ……」


 肩を押さえていた手を外す。代わりに俺は、自身の目頭を押さえた。

 威勢のよかったのは最初だけで、最後はもう……うめくような声しか出てこなかった。


「……おまえね。せめて辞めるんだったら、ちゃんと自分の口で説明しろよ。謝れよ、みんなに……迷惑かけるって……」


 それだけ言って、俺は優等生の手から指揮棒を奪った。

 本人の目の前で、それをパキッと二つに折った。

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