憤怒のロッカールーム

「た、大変ですッ!」


 悲痛な叫び声が、祝福のムードを断ち切った。拍手もぱたっと止む。どよめく一同の合間をうように移動して、旗を持つ俺の前に現れたのは――同級生の田中であった。


「どうした田中、そんなに息を切らして……」


 元副部長が尋ねる。

 田中は相当、切羽詰まって走ってきたようで、中腰に身をかがませて荒い呼吸をくり返した。そして、突然ばっと床から顔を上げると、さっきとおなじバカでかい声で叫んだ


「一大事なんです! 真島のやつが……!」

「真島がどうした?」


 今度は元部長が聞き返した。

 その横で、旗棒を握る俺の手が震える。

 名入りのリボンもゆれた。


「真島賢治が裏切りました!」


 ぎりっと歯を食いしばって、田中は悔しそうにうめく。


「あいつぅ……部活を辞めるんだそうです!」

「なんだってぇッ!」


 誰かの驚嘆の声を皮切りに、ロッカールームは騒乱そうらん状態となった。その場にいた誰もが、田中の報告に口をあんぐり開けて「ウソだ! ウソだ!」と叫び合う。


 何人かは、部屋の隅にいた顧問の先生に厳しい視線を向ける。けげんな眼差しに突き刺されて、先生も慌てふためき「いや、知りませんよ! 私だって、いまはじめて聞かされたんですから!」とブンブン頭を左右に振った。


 ただでさえ、狭いロッカールームである。恨み言を口々に全員が暴れだしたのだから、たまったものじゃない。

 俺も一緒にもみくちゃにされる。前へよろけた拍子に、手から旗棒を離してしまった。慌てて拾おうとするも、テニス部の旗は暴れる多勢の足に踏みに踏まれて、その形をなくしていった。


「ひどいやつだ!」

「裏切りは許せん!」

「あんなやつ、仲間じゃない!」

「無責任の自己チューやろう!」

 

 男子テニス部の新副部長、真島賢治への罵声はエスカレートしていく一方であった。なかには固いロッカーを蹴り飛ばして、八つ当たりをはじめる部員や保護者も現れた。

 

(…………)


 俺は息をのんだ。いまこそ、部長としての役目を発揮する時ではないだろうか。目の前の暴動に収拾をつけさせねばと、意を決して、一同へ声を張り上げた。


「みなさん、どうか落ち着いてください!」


 両手を大きく上げて、みなに呼びかける。二度三度ほど大声を上げると……次第に周囲の視線が、再び俺へと集まってきた。


「静かに! 冷静さを取り戻してください!」


 ざわついていた空気の波が引いていく。さすが新部長だ――と自身に胸を張りたいところであったが、残念なことに今度は無言の怒りがロッカールームを満たした。


 さっきまでのニコニコ顔はどこへいったのやら。いまではどこへ視線を向けても……目をきつく寄せた、しかめ面とばかりぶつかる。口元に至っては、への字にひん曲がっていた。

 ひそかに、俺はたじろぐ。元部長と副部長の二人でさえも、強烈な怒りを表情に宿していた。唯一、部屋の隅にいる顧問の先生だけがおどおどしている。


 ――俺は、深呼吸をした。


「みなさん、落ち着いてください」


 一字一句はっきりとした声で、俺はゆっくり言葉を選んでしゃべりはじめる。


「子どもっぽく感情的に怒り散らして、みっともないと思わないんですか? もう子どもじゃないんです。大人の視点でものを考えていくことにしましょう」


 一同の顔色は変わらない。

 大丈夫だ、と俺は自分に言い聞かせて話を続けた。


「たしかに、真島の急な退部には驚かされました。ましてや彼はテニス部の新副部長……無責任だと思われても、しかたありません――ですが」


 彼に怒りを向けることは間違っていると思います。

 と、努めて明るい口調で俺は語りかける。


「真島がいなくなって不安だと思いますが、彼の分も僕がサポートしていきます。それが、部長としての僕の役目なんです」


 顔を下に向けた。


「……大丈夫、大丈夫です。真島がいなくなったって、なんとかなりますよ。部活のみんなで、がんばって乗り越えていきましょう」


 ちらっと、目線だけを上げた。

 ……ダメだ。まわりを囲むみんなの顔は、より一層ぎらついている。怒りと不満の色合いがどっしり濃くなった。


「はははっ……」


 ごまかすように、俺は笑う。

 笑うしかなかった。すると、足も自然に後退をはじめる。

 俺の後ずさりに合わせて、まわりも詰め寄ってきた。最初はゆっくりとした後退も、徐々に足早なものに変わっていく。


「真島には――彼には、彼の……じ、事情があるんですよ」


 ドンッ。背中が壁にぶつかった。

 いや、壁ではなくドアだ。プレハブの外に通じる出口である。

 俺に迫る憤怒の顔……顔、顔、顔、俺は彼らをなだめるようにひとりだけニコニコした表情を取り繕った。


 その裏では早く逃げだそうと、後ろにまわした手でドアノブをガチャガチャ動かす。


「その事情をんで、彼の未来を尊重そんちょうしてあげるのが……」


 ねぇ?

 と、引きつった笑顔のまま、俺は言った。


「……友達ってものでしょう」


 瞬間、俺の体は後ろ向きに引っ張られた。

 ドアが開いたのではない。ドアごと、背中向きに俺は倒れたのだ。


 そうまるでコントの仕掛けのように。

 滑稽こっけいに――。

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