Chapter 4
潜水艦の学校 Ⅰ
潜水艦の金属アームにつかまれたまま、細い水路のなかを車は引きずられていった。
やがて、ザバンッ……車体は水面から頭を出す。
「うぅ……」
車内で縮こまっていた俺は、とっさに手を伸ばしてワイパーのボタンを押す。邪魔な水滴が払われて、フロントガラスから外の様子が見えた。
……潜水艦の内部とは思えない。天井こそ覆われていたが、車の外には港のような船場が広がっていた。
水面から引き上げられた車は、港の地面に下ろされた。アームの強い力で挟まれたおかげで、車はいびつな形にひしゃげてしまった。これではもう、使い物にならないだろう。
俺が助手席から動かず、とりあえず外の様子をうかがっていると、遠くから誰かが近づいてきた。
背丈の低い中年の男だった。見知った顔ではない。男は黒のスーツに丸い眼鏡と、やけにかしこまった格好をしている。
男は車に近づくなり、俺が座っている助手席側の窓をコンコンコンと手早く叩いた。それから彼は俺に向かって、
俺はおずおず頭を低くして、車から下りた。男は片手にバインダーを、もう片方の手でボールペンを握って、なにやら忙しなくバインダーの紙に書き込んでいる。
「きみ、何年生?」
男からの質問に、俺はやや緊張気味に答えた。
「はい、三年生の……卒業生です」
「卒業生ねー、えーっと卒業生っと……」
「…………」
男はうんうんうなずいて、ペンを走らせる。一方で俺は、一人だけで車に乗ってきてしまったことに不安を募らせていた。小声で「あのぅ……」と声をかけてみる。すると男は書き終えたのか、急にびしっと片腕を突き出して体を横に向けた。
「ほい。卒業生はあっちの列に並んで」
男の手のさす方向に、すでに十名ほど、制服姿の学生たちの列があった。ふと自分の体に目をやると、いつのまにか俺も制服を着ていた。「わかりました」と俺はうなずいて、男の言うとおり列の最後尾へと移動する。
(誰か、知り合いはいないかな……)
前に並んだ生徒たちの顔をじろじろ観察する。ふと、彼らの胸元のポケットに、黒い造花が飾られていたのが目に入った。
しまった、と俺は焦る。自分だけ、まだ花をもらっていない。
「すみませーん! 僕、まだ花飾りもらってません!」
慌てて振り返って、さっきの男に向かって声を張り上げた。離れたところにいるため、気づいてもらおうと片手も大きく振ってみせる。
バインダーから顔を上げた男は、俺のアピールに気づいたようだ。だが、なにを思ったのか、自身の胸をドンドンと叩いている。
「?」
首をかしげる俺。しかし、自分の胸元に目を落とすと……いつの間にか、黒い造花が胸ポケットに入っているではないか。
思わぬうっかりに、俺は気恥ずかしくなって軽く頭を下げた。男のほうはそんな俺はニヤニヤ見つめて、手でグッドサインをつくっていた。
そうこうしている間に、前の列が動きはじめた。
俺も急いで、前の生徒との間に隙間が空かないよう列の動きについていった。
卒業生たちの列は、トンネルのなかを移動する。いや、トンネルというより土管か、パイプか……鉄製で、移動中はほとんど真っ暗だった。
トンネルを抜けると、そこには馴染みの深い光景が広がっていた。なんと、学校の廊下に出てきたのだ。
(うわぁ。なんか、えらくワチャワチャしているな……)
まっすぐ続く長い廊下。右手に教室が連なり、左手に水場やロッカー、窓が設けられている。そんないつもの廊下の景色と一つちがうこと――それは、たくさんの生徒たちでにぎわっていることだ。
チア衣装を着た女子部員たち、掃除用ロッカーを苦しそうに運ぶ美化委員たち、演奏の練習をしている吹奏楽部の生徒たち、などなど……。目につくものを挙げれば切りがない。忙しなく行きかう生徒たちで、いまにも廊下はパンクしそうだった。
(まるで文化祭の準備の時みたいだ)
行儀よく並んでいた卒業生の列も崩れて、みな各々、廊下の生徒たちのなかにまざっていってしまった。
俺も、自分のペースで廊下を進むことにした。卒業式は体育館で行われるはずだ。まずは体育館へ通じる渡り廊下へ向かうことにしよう。
歩きながら、窓を眺めた。窓の外は中庭で、さらに奥には向かい側の校舎が見える。
外は、緑色の水に満ちていた。俺は先に潜水艦に吞まれた真島が泳いでいないか、注意深く水のなかを観察してみた。しかし、中庭には魚一匹すらいやしない。
「…………」
俺は少し残念に思った。しかたなく、窓から視線を外した。
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