世界の終わり Ⅱ

(おいおい、どうすりゃいいんだよ……)


 正直、お手上げ状態である。

 頭を痛めていると、今度はいきなり真島がドアから離れた。


 突然の真島の行動に、俺の反応も遅れてしまった。その隙に、彼は車の後ろからぐるりとまわり込んで――運転席のドアの前まで移動する


「あっ!」


 声を上げるも、遅かった。

 真島は鍵のかかっていない車のドアを開けると、車内に入り込んできた。しかも、あろうことか運転席に座ってしまったのだ。


「おい! なにしてんだよッ!」


 さしもの俺も声を荒げた。後部座席から半身を乗り出して、俺は運転席に座る優等生の服をつかむ。


「降りろ、いますぐに! そこは子どもが座っちゃいけない場所なんだぞ!」

「…………」


 運転席から引っぱり出そうとするも、真島の体はびくともしない。


(人の家の車に……しかも、運転席に勝手に座るだなんて――)


 なんて図々しいやつなんだ。俺はうなり声を上げながら、真島を引っぱる腕に力を込めた。

 一方で、優等生の暴虐武人ぼうぎゃくぶじんっぷりはさらにエスカレートしていく。

 運転席を占拠するだけでは飽き足らず、ハンドルを回したり、変速レバーをガチャガチャ動かしたり。いくつかバーを引っこ抜き、パネルのボタンというボタンをデタラメに、好き勝手にいじくりまわした。


「ババッ、バッカヤロウ! 車が爆発したらどうするんだよ!」


 そして、最悪な事態へとつながった。

 車が音を立てて振動する。俺ははっと目を見張らせた。視線の先、真島の手はエンジンキーへと添えられている。


 なんてことだ。

 ついに、車のエンジンがかかってしまったのだ。


「ッ!」


 真島の足がアクセルペダルを踏んだ。続いてハンドルを大きく横にすべらせる。いきおいよく、車体は右へ大きく振られた。

 遠心力に引っぱられて、座席の間から中途半端に身を乗り出していた俺は、簡単に吹っ飛ばされてしまった。


「だっ! いってぇ……」


 座席の弾力に跳ね返され、うつ伏せに倒れた俺は低くうめく。今度は左へ車が振られる。体勢も満足に直せないまま、俺は後部座席でしばらく転がり続けるはめになった。


「……もう、おしまいだな」


 俺は車の天井を見つめる。真島の荒っぽい運転が少し大人しくなったころ合いを見つけて、話しかけた。乱れた前髪の隙間から、運転席をにらみつけてやる。


「いくら成績優秀の真島くんでも……中学生の分際で、車を動かしちゃったんだ」

「…………」

「うんうん、そりゃ大事件だよな? 親も学校も大慌てだ。いくら頭が天才的によくたってな、さすがに警察までも見逃してくれるわけないだろうし」


 かわいそうに、おまえの人生終わったな。

 俺はいじわるく笑った。眉を寄せて、目も口も斜めにつり上げて、思いきり皮肉を込めてあざ笑ってやった。


 運転席の真島は無言のままだ。俺の挑発になに一つ言い返してこないし、表情は憎らしいまでの涼しさをたたえていた。

 気にくわない優等生の冷めた反応に、俺も対抗した。大声を立てて笑ってやった、なじって、ののしって、からかって――。


「……はぁ」


 なんだか、急にむなしさを感じた。

 自分が強がって笑っていることに、気づいてしまったからだ。


 無理やりに優越感を感じようとしても、彼が……真島賢治がみんなに認められる優等生である事実は変わらない。彼が落ちぶれたところで、俺自身が特別な存在になったわけでもないのだ。


 あと、無反応の人間を相手にすることはとてもつまらない。

 さらに一つ、気づいたことがあった。

 いま、のんきに笑っている状況じゃないということを。


「もうっ、前を見ろっての!」

「…………」


 荒っぽい口調はそのままに、俺は再び前の座席の間から顔を出した。

 豪雨は止まない。車のフロントガラスは、いまだに分厚い水流にふさがれている。エンジンがかかって車が動いているのに、視界が見えないのはとても危険だ。これでもしも、ほかの車や最悪、人と衝突でもしたら――。

 焦った俺はひとまず、自分が助手席に移動することにした。


「ちっ、くっそ……!」


 片足を前の座席に突っ込んでから、強引に席の間から体をねじ込ませる。そうして助手席を陣取った俺は、ものは試しとフロントガラスを服の袖で擦ってみた。


 ダメだ。次に内側から叩いてみることで、ガラスの向こうに流れている雨水をなんとか吹っ飛ばそうと躍起にやっきなる。残念ながら解決には至らなかった。俺はさらに顔をしかめて考える……。


「えっと、たしか……こういう雨がひどくて視界が悪い時は――」


 ちらっと、運転席のほうを見る。

 運転席ではいまだ真島のやつが、あちこち好き勝手にいじくりまわしていた。俺は隙をうかがい、真島の手がハンドルから離れた瞬間、ウォッシャーのスイッチをひねった。


 ガラスの向こう――フロントガラスの下から、ウォッシャー液が噴射ふんしゃされる。そのいきおいは、流れ落ちる雨の流れを見事に押し上げていった。


「やったぞ!」


 みるみるうちに、正面の視界が開ける。俺はひとりガッツポーズを取った。


 ――が、喜ぶのも一瞬であった。


 正面、前方……俺たち二人を乗せた車は、ちょうど屋上の駐車場の出口に差しかかっていた。目の前に迫るのは、地上へ下る急な傾斜の通路だ。

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