81.それぞれの想い(前編)
……毎日が、風のように過ぎ去っていく。
平穏で、静かで、一粒も涙を流さなくていい日が、こんなにも幸せなんだって……改めて実感した。
俺はまだまだ子どもだから、美結のことをこれからも守れるか心配だけど……でも、今まで全力で生きてきたように、これからも全力でありたい。
俺はコツコツと勉強を進めている。城谷さんや柊さんから教わり、美結に支えてもらいながら、成績をちょっとずつ伸ばしている。
そうしてふと気がつくと、数ヵ月の歳月が過ぎ……もう俺は高校生じゃなくなっていた。
3月の下旬、これから春の芽吹きを感じる日に……俺は卒業した。
高校に入ってから、目まぐるしく動いた日々に区切りがついたみたいで、嬉しくもあり、どこか寂しくもあった。
『……桜吹雪に見惚れていたら!君の姿を思い出す!』
『昔のまま!あの時のまま!僕の記憶は止まっている!』
「ひゅーーー!!いーぞ藤田くーん!!」
……とある日の日曜日。俺たちは、とあるカラオケ店にいた。
俺と圭の卒業を祝して、いつものメンバーが集まってくれたのだ。
席順は、部屋の右側にある入り口側の席から、左側にかけて横並びにみんな座っていて、俺、美結、メグちゃん、それから藤田くんに葵ちゃん、圭、城谷さんに柊さん、そして……湯水という順番だった。
『君の顔を思い出せない!桜とともに散ってしまった!』
『胸に切ない想いを残して、そのまま遠くに行ってしまった!』
「へえ、藤田うめえじゃん!」
「公平くんはカラオケ得意なんですよね」
圭がジュースを片手に、藤田くんの歌を称賛する。彼女である葵ちゃんは嬉しそうに、どこか自慢気に藤田くんのことを話していた。
「美結はもう入れた?歌」
メグちゃんがカラオケの歌を予約できるタブレットを持って、美結へ尋ねていた。
「あ、まだ入れてない。どうしよっかな……何歌おうかな」
タブレットを受け取った美結は、顎に手を当てて、うーんと唸っている。
「ミユ!」
そんな彼女の元へ、湯水がやって来た。両手にはオレンジジュースの入ったコップを持っている。
「汲んできたわ!頼まれてたやつ!」
「あ、舞ありがとう」
「ね、ミユ。隣座ってもいい?」
「え?」
美結の答えを聞く前に、彼女は美結とメグちゃんの間に強引に座った。
「あ!ちょっと湯水!なんで私と美結の間に座るの!」
「うっさいわねー!私は美結の側近なんだから、この位置じゃないといけないの!」
メグちゃんと湯水がまた喧嘩している。そんな光景を、俺と美結は微笑ましく見ていた。
湯水は俺たちに謝った日から、この場にいる全員に一人で謝りにいった。もちろん、あれだけのことをやったんだから、すぐには許してもらえないし、未だにわだかまりがあることは事実だ。
しかし、それでもこの場にいられるくらいには……みんな、少しずつ彼女のことを受け入れていた。
これは柊さんから聞いたのだが、湯水は自分が今までにいじめていた何人もの被害者たちを訪ね、一人一人に謝罪を述べているらしい。
当然、今さら許してくれる人間なんて少ない。罵声を浴びせられたり、門前払いされたり、時には卵や石を投げられたり、飼い犬をけしかけられたりしたこともあったらしい。
それでも彼女はめげていない。今も訪問を続けて、自分を変えようとしている。
『明氏と美結氏のそばにいて、ふさわしい人間になりたいそうです』
柊さんは湯水が語っていた言葉を、俺と美結に教えてくれた。
『あの時に抱き締められたことが、相当彼女に響いたみたいですね。自分も人を抱き締められるようになりたいって、いつも話しています』
「……………………」
湯水とメグちゃんは、まだまだ喧嘩を白熱させていた。
「ねー湯水ってば!どいてよもう!わざわざここじゃなくていいじゃーん!」
「あんたもしつこいわねー!無理に決まってんでしょー!?ここの他って言ったら、アキラとミユの間しかないじゃない!二人の間を裂くような真似、できるわけないでしょー!?」
「明さんを誘拐したあなたがそれを言う!?説得力全然ないよ!」
やいのやいの言い合う二人を見かねた美結が、苦笑しつつも止めに入った。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。舞、あまり強引なことはしちゃダメだよ?」
「そう?分かった。ミユがそう言うならそうする」
そう言って、湯水はあっさりと席から立ち、美結の足元にしゃがんだ。
……なんか、すごい光景だな。あの湯水が、まるで主人に懐く犬みたいになってら。
「次、誰が歌うんだー?」
藤田くんが歌を終えたらしく、次の曲が流れ始める。どことなく哀愁のある、ロックな音楽だった。
「あ、これ私ね」
そう言って立ち上がったのは、なんと湯水だった。
「へえ、湯水……ロックとか歌うんだな」
俺が思わずそう言うと、湯水はこちらに振り向き、ニッと笑った。そして、藤田くんからマイクを受け取り、歌い始めた。
『……なんのために生きるのか?なんのためにこの場にいるのか?その理由を探す旅をいまだに続けている』
私はマイクを握りしめ、その歌を歌い始める。これはつい最近見つけた歌で、今まで聞いてこなかったジャンルだったけど……今はとてもお気にいり。
『毎日毎日死にたいの連続で、言葉にそう出すけれど、それは生きたいの裏返しだと知るのに、何年もかかりました』
平田の小さく「上手……」と呟く声がする。
ふふん、当然よ。私はほとんどの歌を100点で歌える女なのよ。上手くて当然。
……そう、そうやってずっと100点をとり続けてきた人生だった。勉強も運動も容姿も、何もかもを100点でいられるように、死に物狂いで生きてきた。
全部、親のために。
『生きる、生きる。なんのため?』
『走る、走る。どこへ行く?』
つい先日、チアキから私の親の近況について聞かされた。
なんでも二人は、私が起こした騒ぎのせいで、職場や婦人会の間で白い目で見られるようになり、それに耐えかねて、パパは仕事を辞め、誰にも行き先を告げぬままに行方を眩ましたという。
そう、あの人たちも、私と同じように評価だけを軸に生きていた。ずっとずっとそうやって、他人に自分の生きる意味を押し付けていた。
でもそれは、本当に生きているの?
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『だから肩で風きって!胸を張って生きたらいい!』
……激しいギターのメロディの中に、どこか切ない空気感を孕んでいる。
これが今の私に、すごく刺さる。
『誰かに手をさしのべられても、その手を掴めない』
『その手を取る価値は私にはない』
……アキラが私に、愛するってなんだ?って話したことが、今も胸に焼き付いている。
平田が私に、脇役でも生きているんだって言った言葉が、今も心に刻まれている。
……ミユの優しいハグの感触が、今も私の肌に残っている。
……ああ。
なんでもっと私は、素直に生きられなかったんだろう?
自分のことが嫌いであることを認めずに、無理やり見ないようにして、傍若無人に振る舞い……多くの人を傷つけた。
立花だって、圭だって、藤田だって、葵だって、平田だって、ミユだって。
……アキラだって。
今になって思えば、私がアキラに惹かれたのは、自分にない素直さを持っていたから……。真っ直ぐで自分を隠さず、そのままを出せる人間だったから。
そして、それはミユや平田も同じだった。彼女らも自分のことを隠さないで……ねじ曲げないで、真っ直ぐに……生きていこうとしている。
それが、羨ましい。
ぐちゃぐちゃにネジ曲がった私は、もう数えきれないほど、罪を重ねてしまった。気づくのが遅かった。遅すぎた。
でもそれは、実は無意識に分かってた。だから死にたかったんだと思う。アキラと出会って……自分がひどく惨めな、小さくて醜い人間だったことを想い知った。だからずっと、殺してほしかった。
人に謝ることから逃げたくて、自分の罪を忘れたくて……。だから……
『生きる、生きる。なんのため?』
『走る、走る。どこへ行く?』
『たくさんの罪を背負った私は一体』
『どこへ行くと言うのだろう?』
だけど、もう死にたいなんて思わない。私は…………アキラのことを好きになってしまった。ミユのことを尊敬してしまった。
せっかくなら……この二人のそばに、いさせてほしい。
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『だから肩で風きって!胸を張って生きたらいい!』
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『この大きな空を仰いで!その青さに涙すればいい!』
私は心からのシャウトを、その歌に込めた。
生きててよかったと、そう思えない人生だった。ずっとずっと、何かに抑圧されて、その不安から逃げて逃げて……自分を追い込むだけの毎日だった。
でも今は……今は……!
……苦しくて長い人生の中で、誰か一人にでも抱き締められたことがあったっていうことを……もし、あなたが心の片隅に置くことができたら、きっと…………
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『だから肩で風きって!胸を張って生きたらいい!』
アキラ!ミユ!私を……私を抱き締めてくれてありがとう!本当に本当に、ありがとう!
私はあなたたちみたいになりたい!なってみたい!
そのために生きたい!生きていたい!
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『だから肩で風きって!胸を張って生きたらいい!』
『生きる意味なんか探さなくていい!そんなものは初めからない!』
『この大きな空を仰いで!その青さに涙すればいい!』
「……………………」
しばしの静寂の後、まばらな拍手が耳に届いた。
「すげ~……。初めて聴くけど、良い歌だったな」
「うん……凄かった。舞、歌上手いね」
アキラとミユが話している声が聞こえる。褒めてもらえてるみたいで、私は嬉しかった。
『採点結果:99点』
カラオケの映像を映し出すモニターに、その点数が表示された。「おー!」という感嘆の声が、部屋の中に響いた。
……99点、か。100点じゃなかったんだ。
「……………………」
私は、アキラとミユの方へ振り向いた。二人はパチパチと拍手をしていて、「すごかった!」と、そう言ってくれた。
「なんだよ湯水ー!お前超人かよ!99点とか、俺じゃ絶対無理だ!」
「すごいね舞!気持ちもこもってたし、とってもよかったよ!」
「……………………」
そうだ、この二人は……私が100点じゃなくても、“ここにいていいよ”って、言ってくれる。
偉いな“舞”。よく頑張った。でも、身体には気を付けるんだぞ?きちんと眠って……ゆっくりして、自分のことも大事にしなさい。たとえお前が100点を取れなくたって……大事な娘であることに、変わりはないから
もちろんだよ“舞”。とっても似合ってる。でも、あなたはそのままでも可愛いよ。いろんな色に染めなくたって……あなたらしい可愛さがあるから。人に合わせなくたっていいの。大丈夫、それを信じて……?
「……………………」
あの時……私は二人のことをパパとママだって見間違えてるフリをして……語りかけた。そして、それに合わせて二人は……そう語ってくれた。
よかった、100点じゃなくても……いいんだ。私は、生きていていいんだ。
「……ありがとう。アキラ、ミユ」
私は自分の気持ちを真っ直ぐに、少しも包み隠さずに、そう言った。
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