82.それぞれの想い(中編)
……前面のモニターに、次の曲のタイトルが映し出された。
「あ、これは私ね」
そう言って手を上げたのは、葵氏だった。湯水からマイクを受け取り、歌い始める。
『遥か彼方の蜃気楼に、あなたの眼差しを思い出す』
『愛した日々は雨の中、晴れた日差しに消されたの』
「ひゅーーー!葵サイコーーー!」
葵氏の隣にいる藤田氏が、テンション爆上げではしゃぎまくる。葵氏は若干気恥ずかしそうにしていたが、それでも嬉しそうに頬を緩めていた。
『夢心地、夢心地。昨日の夢を観たくて眠る』
『夢心地、夢心地。明日なんていらないの』
葵氏の可愛らしい声が、不思議な歌詞で彩られたこの曲に上手くマッチしている。
そんな歌を、他のみんなが穏やかな顔で聴いている。
「……………………」
私の学生時代には、こんなキラキラした思い出はない。
友だちとカラオケなんて行ったことなかったし、こんなに大人数で和気あいあいと騒いだことなんてない。いつも隅っこにいて、そこからこういう風景を眺めていた。
だから未だに、こんな場所にいると少しそわそわしてしまう。自分が場違いなように感じてしまうからだ。
「千秋ちゃん、また考えてたんでしょ?」
隣に座る城谷ちゃんが、私の顔を覗き込んで来る。彼女は少し眉をしかめて、むっと口先を尖らせていた。
「“また”っていうのは、なに?城谷ちゃん」
「また自分が、こういう場に相応しくないって思ってたんでしょ?」
「……………………」
「もー、そんなの気にしなくていいのに。千秋ちゃんもほら、一緒に遊ぼ?何か歌わない?」
そう言って、城谷ちゃんは私に曲を予約するタブレットを渡してくる。
カラオケ……かあ。一人で来たり、城谷ちゃんと二人きりで来ることは希にあるけど、こんな大所帯で歌うなんて、一度もなかったな。
「あ、私終わった。次は~……」
「おう!俺だわ!マイク頼む!」
葵氏が歌い終わると、次は圭氏にマイクが移った。彼は咳払いをひとつすると、男性的な力強い声で歌い始めた。
『土砂降りだって気にしねえー!どうせ傘など持ってねー!』
『嵐だって気にしねえー!帰る家などありはしねー!』
さっきの葵氏とはうってかわって、激しい縦ノリな音楽だった。部屋の中のモノが小刻みに振動しているかと思うほど、空気が震えていた。
「うおーーー!圭いいぞーーー!」
「飯島先輩、ぶちかましちゃってくださーい!」
「っしゃー!見とけお前らー!」
明氏と藤田氏の声援を受け、それに熱いレスポンスを返す圭氏。まさに、若い男たちの元気なノリそのものだった。部屋全体の気温が少し上昇したようにすら感じる。
「……城谷ちゃん、私はやっぱりいいや」
タブレットを目の前にあるテーブルの上に置いて、そう告げた。
「私は……こんな風にみんなを盛り上げることもできない。私が歌ったら白けるよ」
「そう?」
「うん」
タブレットの検索ページを、私はぼんやりと見つめている。
「……じゃあ、私は歌っちゃおうかな」
城谷ちゃんは横からひょいと、私の目の前にあったタブレットを取っていった。
「千秋ちゃん、みんなのこと好き?」
「え?」
私は城谷ちゃんへ顔を向けた。
「ここにいる、みんなのこと好き?もちろん、湯水も含めてね」
「……………………」
ここにいる、みんな……。
『土砂降りだって気にしねえー!どうせ傘など持ってねー!』
『嵐だって気にしねえー!帰る家などありはしねー!』
『一人荒野を歩いて行こうー!胸を張って歩いて行こうー!』
『余裕かまして笑ってやろうー!さすらいの毎日を送ってやろうー!』
圭氏は歌が終わると同時に、右腕を真っ直ぐ上へ突き上げた。その瞬間、部屋の中にわっと拍手が鳴り響いた。
「圭ー!カッコいいぞーー!」
「バカ!知ってるっつーのーー!」
明氏と圭氏のやり取りに、みんなが朗らかに笑った。
こんなに暖まった雰囲気の中、次は城谷ちゃんが歌う番となった。
「さーて、じゃあ次は私かな?」
城谷ちゃんは圭氏からマイクを受け取り、「そう言えばこれ、妹が好きだったっけ」と、小さな独り言を呟いた。
またもやガラッと、部屋の中の空気が変わった。今度はバラードのような……繊細で透明感のあるメロディが流れ出す。
『静まり返った真夜中に、あなたからの電話を待っていた』
『いつか必ずかかってくるはずだって、私はそう信じていた』
しっとりとした、大人びた色気のある城谷ちゃんの歌声に、私は思わず耳を傾けていた。
「城谷さん、すっごく上手いね」
「うんうん」
メグ氏と美結氏が、肩を寄せあってひそひそ話している。
『私に夢も希望も似合わないと、そうやって不貞腐れてた』
『卵の殻を破れない雛みたいに、私はそこに隠れてた』
……城谷ちゃんの妹さんが好きだった曲、か。そっか城谷ちゃん……今はもう、それが歌えるくらいには立ち直れたんだね。
妹は……あの子は、この口座に3000万円を刻むために、生まれてきたの……?
「……………………」
城谷ちゃんが通帳を握りしめて、ぼろぼろと号泣していた時のことを思い出す。
『でも、私はこれから夢をみたい』
『いつか空を飛び立って、遠く遠くどこまでも行きたい』
『幸せになるのを諦めたくない』
『誰かを愛するのを諦めたくない』
『fry、fry、fry…………水平線が眩しいわ』
……静かに余韻を残しながら、城谷ちゃんの歌は終わった。
「素敵~!いい歌~!」
「私、あの歌プレイリストに入れようかな」
パチパチと鳴る拍手の中に、メグ氏や美結氏たちの呟きが混じる。
「……………………」
「どうする?千秋ちゃん。歌う?」
「………城谷ちゃん」
「ここには、あなたのことをいじめる人なんていないよ。盛り上げられなくたってさ、あなたらしい歌を歌っていいと思う」
「……………………」
城谷ちゃんは、学生時代に私を助けてくれた笑顔と変わらぬ笑顔で……私にそう語りかけてくれた。
私は、黙ってマイクを受け取った。そして……私が最も好きな歌を歌うことにした。
城谷ちゃんが歌ったものよりさらに静かで……カラオケの空気には不向きな曲。でも今……これを歌いたくて仕方ない。
『苦しいこと、悲しいこと、全てを背負って生きていく。何もかもを手放したくて、頭を垂れて生きている……』
私が歌っている様子がかなり珍しいのか、部屋の中は少しざわついている。
「柊さんって、こういう歌好きなんだ……」
「意外よね、チアキってへビィメタルとかのベースとかにいそうなのに」
明氏と湯水の話し声がする。いや、へビィメタルのベーシストってなんやねんという突っ込みを心の中でしつつ、歌い続けた。
『だからこそ、私は知っている』
『あなたが本当に優しい人であること、あなたが美しい心を持っていること……』
……このフレーズで、私は自分がいじめられていた時を思い出す。そして、城谷ちゃんに助けられてた時のことも……。
本当に私は、城谷ちゃんがいなかったら危なかった。きっといじめっ子たちをみんな殺してたし、私も迷わず自殺してた。
城谷ちゃんがいつも、明るく力強い笑顔を向けてくれたから、心を強く持てた。
『あなたみたいに笑いたくて……』
『あなたみたいに歩きたくて……』
『私は並んでそばにいる……』
……この歌は、いつも私の人生を思い出させる。
城谷ちゃんに助けられて、立ち直って。彼女の妹が自殺して、それを機に探偵になって。
私の人生はずっと、城谷ちゃんへ恩を返し続ける日々だった。なんとか彼女を支えたくて、ずっと毎日必死だった。
……でも、明氏たちと出会って、それが少し変わった。
明氏も美結氏も、メグ氏もみんなみんな、幸せになってほしい。
城谷ちゃんはもちろん、ここにいるみんなが幸せでいてほしい。
あの湯水だって今、自分を変えようと頑張っている。すべての罪を消すことは難しいかもしれないが、それでも懸命に戦っている。
城谷ちゃんと同じくらい大事な人たちが、たくさん増えた。
『いつしか私が、あなたにしてもらったことを』
『あの時してくれたみたいに、返したい……』
『だから並んで歩きたい。だから一緒に笑いたい』
辛く苦しい人生を、みな例外なく歩んでいる。それは、あの美喜子だってそうだった。
だから……だから私は……。
『あなたみたいに笑いたくて……』
『あなたみたいに歩きたくて……』
『私は並んでそばにいる……』
『あなたの手を取っていたい………』
『最後の瞬間までそばにいたい……』
『だから並んで歩いている……』
「……………………」
歌い終わった後、一瞬だけこの場が沈黙していた。そしてその次の瞬間、「わーーーー!」と、私もびっくりするほどの歓声が飛んだ。
「柊さんめっちゃ上手いですね!俺めっちゃ驚きました!」
「すごい!私、思わず涙ぐんじゃいました!」
「やべーーー!柊さんパネエっす!」
「へー、チアキって予想以上に上手いのね」
各々の感想を受けておきながら、私はぽかんと……固まってしまっていた。まさかこんな扱いを受けるとは思わなかったからだ。
「ね?千秋ちゃん」
隣で城谷ちゃんが笑っている。
「大丈夫だったでしょ?」
「……そうね」
私は少し口角を上げて……下手くそな笑みを見せた。
「これを、歌えてよかった」
「……わ、つ、次は私か~」
柊さんからマイクをいただいた私は、何回も深呼吸しながら、緊張をほぐしていた。
「平田、あなた歌は得意?」
湯水が私へそう尋ねてくる。
「ま、まあまあ……かな?最高得点で……81点くらい」
「なによそれ……。ものすごい微妙ね」
「う、うるさいなー!あなたを基準にされちゃ困るよ!」
湯水に茶々を入れられつつ、私の番がスタートした。
『学校からの帰り道』
『僕とアイスを買った日のこと、君は覚えてるかな?』
ドキドキで胸が高鳴りつつ、私は歌い始める。
『溶けたアイスに気を取られ、転んじゃった僕のこと』
『大丈夫?って声かけてくれた』
『ああ……そんな夏休み』
カラオケって不思議なのが、歌い出すとだんだん恥ずかしさが消えてくる。集中しだすからなのかな。
それにしても……この曲は、美結とのことを思い出させてくれる曲だなあ。
本当に、美結とはいろいろあった。この歌みたいに、美結から話しかけてくれて、一緒に帰ったりしたっけ……。
『僕らはずっと友だちだって』
『指切りげんまんをしたあの日のこと』
『今も目蓋に焼き付いて離れない』
一緒にお風呂に入って、明さんにドッキリを仕掛けたり。お泊まりもして、三人で学校をサボってお出かけしたっけ。
あの時は楽しかったなあ……。プラネタリウムがすごく綺麗で、忘れられない。未だにあの時のチケットを、お財布の中に取っておいてある。
『寂しくないフリをして……』
『悲しくないフリをして……』
『だからたくさん喧嘩して』
『僕たちは傷つけあったよね』
そうそう、昔はカラオケのことも、美結にばかにされてた時期があったっけ。音痴だって笑われて、悔しくって一人、この歌を練習したっけ。それに私も、ひどいことをSNSに書いちゃって……傷つけちゃって……。
それでも、美結は私に歩み寄ってくれた。だから今もこうして、あなたのそばにいられる。ああ、いろんなことが遠い昔の出来事みたい……。
昔、悔しくて練習してた歌を、ここで美結に披露することになるなんて、人生っていつも皮肉よね。
『それも全部思い出の』
『宝箱に仕舞ってある』
『いつでも大事に取り出せるよう……そこに全てが入ってる……』
美結、そして……明さん。
私たちは、いつまでも友だちでいられますでしょうか?
もしかしたら、いつかは離ればなれになってしまう時が、来るかも知れません。絶対にずっと一緒かは分かりません。
それをわかった上で、私は、この瞬間を愛したいです。
一緒に友だちとして、この場にいられることを誇りに思って……一生心に留めておきます。
『僕と友だちでいてくれて、本当に本当にありがとう』
『君の笑った顔は、僕の胸が刻んだよ』
『僕と友だちでいてくれて、本当に本当にありがとう』
『君の溢れた涙は、僕の心が知ってるよ』
『いつかまた会える日まで』
『いつかまた笑う日まで』
……歌い終わって、カラオケのモニターに『82点』と表示される。
「やった!自己ベスト!」
私がそう言って喜び、美結の方を見た。
彼女は、眼に涙を溜めていた。
「あ、あれ?美結、大丈夫?」
「ご、ごめんね。ちょっと……歌詞が、メグのこととダブっちゃって……」
「!」
……美結も、私と同じ気持ちだったんだ。そっか……そっか、ふふ。そっか……。
「美結」
私は彼女の手に、そっと自分の手を重ねた。
『これからも一緒にいようね』
……最初に口に出そうと考えていたのは、その言葉だった。でも、これはさっきも思ったように……絶対に約束できる言葉じゃない。だから……。
「……美結、いつも一緒にいてくれて、ありがとうね」
「……………………」
彼女は何回も頷いた。眼を真っ赤にはらして、唇を噛み締めている。そんな彼女の顔が、すごく愛おしい。
「ありがとう、メグ……」
震える声でそう告げる美結と、肩を寄り添わせた。
「……………………」
そんな私たちの様子を、湯水がじっと見つめていることに気がついた。私は、どうだと言わんばかりに胸を張った。
湯水はふっと苦笑し、「負けたわ。いい歌だったわよ、平田」と、そう言った。
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