75.慟哭






(……なるほど、それなりには覚悟しているようね)


私は、城谷の眼に宿る火を見て、そのことを確信した。致命傷にはならないように、私を撃つ。そういう覚悟をしている眼。


(しかし……この二人、一体どうやってこの場所を……?誰かが裏切った……?)


私の手下たちの誰かが、この場所を告げ口した……。そこまでは分かる。だが問題は、“誰が”ここを明かしたかだ。


(ちっ、“しつけ”が足りなかったみたいね……)


顔の分からない裏切り者に毒づきながら、私は城谷へ言った。


「ねえ、取引しましょうよ」


「いいえ、あなたの言葉は聞かない。さ、早く手を頭の後ろへ!」


「……………………」


「早く!言う通りにしなさい!」


「てめえが囲ってた男どもは、もう俺たちが片付けたぜ。助けは来ねえんだ、諦めな」


城谷と圭の刺すような視線を、私は真正面から受け止めた。


私はニッと口角を上げ、肩を震わせて笑った。


「なにをしてるの湯水!言う通りにしないと……」


「わかった、わかったわよ。言う通りにする……」


私は両手を上げて、頭の後ろで組んだ。そして、床へとうつぶせに寝た。城谷は私に銃を向けたまま、私に手錠をかけた。城谷はほっと、安堵のため息をついた。


「明くん……」


「明!待ってろよ!今縄をほどいてやる!」


二人が彼を縛っている縄すべてをほどいた。腕と足首には、凄まじいほどに跡がくっきりと残った。圭は「くそったれが……!」と毒づいて、眉間にしわをよせていた。


明に残った拘束の跡……。それを観るだけで、私はゾクゾクと興奮していた。それは、私が彼を支配していた証拠。その跡こそが、私が彼のことを想っていた証。


「……………………」


アキラはじっと、自由になった自分の手足を見つめていた。


「明くん、もう大丈夫よ。みんなが……」


そうして明に語りかけている隙だらけの城谷を、私は背後から襲った。


うつぶせにしていた状態から音を消して立ち上がり、両手を前に付き出して、手錠によってできた手とチェーンの輪っかを、城谷の頭にくぐらせた。そして、ぐっと自分の方に手を引くと、チェーンがちょうど城谷の首にかかった。


「うっ!」


突然のことに狼狽えた城谷は、思わず拳銃をベッドに落とした。それは、ちょうどアキラの手元辺りだった。


ぐうっと首を締め上げていくと、城谷の顔が青くなっていく。


「湯水!」


「てめえ!まだ懲りねえのか!」


アキラと圭の叫ぶ声がする。


「アキラ!さあ!早く!」


私は彼に向かって怒鳴った。




「その拳銃で、早く私を撃ち殺してよ!!」




「……………………!!」


アキラの顔が強張った。そして、自分の手元にある拳銃に眼をやった。


「さあ!ほら!さっさとしないと、この女を殺すわよ!」


「ゆ、湯水…………」


「あ、明くん……!だ、だめ、よ!湯水の言う通りにしちゃ、だめ……!」


城谷の耳障りな言葉を黙らせるために、チェーンで締める強さをさらに上げる。


「くうっ!!」


「城谷さん!」


「さあなにしてるの!?アキラ、あなたのせいで人が一人死ぬかも知れないのよ!?それでもこの私を殺せないの!?」


「ぐっ!」


アキラは、眼を大きく見開いて、私のことを黙って見つめていた。


「銃を貸せ!明!」


その時、圭がアキラの代わりに銃を手にした。


「圭!何をする気だ!?」


「お前が撃たねえなら、俺が代わりに撃つ!」


「バカ!止めろ圭!」


「心配すんな!急所は狙わねえよ!」


圭がこちらへ銃口を向けるが、すかさず城谷を私の前に向かせて、盾にした。


「ちっ!湯水!てめえ卑怯だぞ!」


「間抜けな男ねえ!そのためにこの女を捕まえてたことがわからないの!?」


「くっ……これじゃ撃てねえ……」


「私はね!アキラ以外に殺される気は更々ないのよ!さあアキラ!早く銃を受け取って!アキラに銃が渡ったら!私もこの女を解放して、すぐに死んであげるから!」


「……………………」


「ほら早く殺して!殺してよ!アキラ!アキラ!アキラーーー!!」


「……………………」


……アキラの眼差しには、本当にいろんな感情が混ざっていた。怒りや恐怖も当然あるけど、やはり寂しそうな……不思議な憐れみを含んでいた。


「……圭」


「な、なんだ?アキラ」


「銃を貸してくれ」


「なに?」


「頼む、貸してくれ」


「お前、変な気を起こすなよ。ここで湯水を殺したら……」


「大丈夫だ、圭。信じてくれ……」


「……………………」


圭はしばらく迷っていたが、最後にはアキラへと銃を手渡した。


「……湯水」


アキラは真っ直ぐに私を見つめ、額に冷や汗をかきながら、銃口を自分の頭につけた。


「!?な、なにしてるのよアキラ……!?」


「城谷さんを離せ。でないと、俺の頭を撃つ」


「明!?何考えてんだよ!?」


圭がアキラに向かって叫ぶけれど、当の本人は私から視線を全く逸らさずにいた。


「まさか、冗談よね?アキラ。この女のために死ぬなんて……」


「湯水、俺はいつだって本当のことを口にする。それは、お前が一番よく知ってるだろ?」


「……本気なの?」


「……………………」


「ふふふ、アキラ、この私にチキンレースを仕掛けるなんてね。でも、無駄よ。さすがにその銃を撃てるはずが……」


カチンッ


「!?」


なんとアキラは、躊躇いもなく引き金を引いた。私はあまりの衝撃に、びくっ!と肩を震わせてしまった。


「出なかったか。なら、もう一回だ」


「な、何をしてるの?バ、バカ、止めなさいよ」


「どうする湯水?次は出るかも知れないぞ」


「……………………」


頭では、もちろんこれはアキラの駆け引きだってことは分かってる。でも、それ以上に……アキラの頭に銃が向けられているということが、たまらなく怖かった。


(ダ、ダメよアキラ……。止めて、やだ、何してるのよ……なんで躊躇いもなく引けるのよ)


アキラが死ぬなんてことは、絶対にあってはならない。


もしそんなことが起きたら、私はもうどうしていいか分からない。


「……………………」


じっとりと不安にかられて、心臓の脈打つ速度が早くなる。


アキラは眼をぎゅっと閉じて、もう一度引き金に手をかけた。その瞬間、私は堪らずに叫んだ。


「嫌!止めて!!死なないでアキラ!!」


そのアキラに気を取られた一瞬が、命取りだった。


「くっ……!ふっ!」


その時、城谷が突然動き出した。私に首を絞められたまま、後ろへと勢いよくバックし始めたのだ。


そのまま押された私は、壁に思い切り頭と背中を打ち付けた。


「ぐっ!」


その衝撃によって緩んだ私の腕から、城谷は直ぐ様抜け出した。私はその場に尻餅をつき、城谷から見下ろされていた。


「はあ……はあ……」


「城谷さん、大丈夫ですか!?」


「ええ、気にしないで明くん。このくらい……大したことない」


(くそっ……!城谷はさすがに警察官なだけあって、私よりも体力がある……。格闘では敵わない……)


城谷は額の汗を拭って、アキラに言った。


「それにしても、引き金を引くだなんて……明くん、あんな危ないことしちゃダメよ」


「いいえ、城谷さん。大丈夫です。だってこの銃に、弾はないんでしょう?」


「え?」


「俺が自分の頭に銃口を向けた時、あなたの顔は俺が想像しているよりずっと冷静だった。だからおそらく、脅し用として弾は込めていないのだろうと悟ったんですよ」


「……全く、末恐ろしいわね明くん」


城谷は明から拳銃を受け取り、今度はそこへ弾をきちんと込めた。そして再度私へと銃口を向けた。けほけほと軽く咳をしつつ、「さあ湯水」と、そう声をかけた。


「もう観念しなさい。そろそろ、私たちの援軍も到着する時間よ。抵抗したら、今度こそ発砲する」


「……………………」


……ふと、城谷が入ってきた廊下の方へ眼をやった。数人の男たちが、その場で気絶していて、床に倒れていた。その中には、本来そこにいるはずの立花の姿がない。大方、どこかにか逃げ出したのだろう。あんなに私のことに執着していたくせに、いざとなったら逃げ出す程度の想いでしかなかったのね。


そして、窓の外から赤と青の光が廊下の中にちらちらと入っている。間違いなく、パトカーがそこにいる。


そう……もう、手詰まりってことね。案外と呆気ないものだわ。


「さあ湯水、立って」


城谷に催促されて、私はゆっくりと立ち上がった。


横目でちらりと、アキラを見る。ふふふ、あなたともこれで……お別れみたいね。


きっとたぶん、一生あなたには近づけないんでしょうね。これだけのことをやったんだもん、誓約書なりなんなりを結ばれて、一生会えないようにされる……。話すことも、一目見ることさえもできない。


「……城谷さん」


アキラが彼女に声をかけた。城谷は「なに?」と言って返していると、私の目の前に、服が差し出された。


「湯水に……服を着せてやってもいいですか?」


「服を?」


「こんな格好じゃ……さすがに良くないと思って……」


…………アキラは眉をひそめて、私のことを見つめている。


「……そうね、じゃあ……着せてあげましょうか」


城谷も別にそこは否定する理由がなかったため、私に服を着せることを承諾した。


その時、圭が床に脱ぎ捨ててある服を指差して、アキラへ告げる。


「まあまず、お前から着ろよ。“息子”をさらしてるのも気恥ずかしいだろ」


そう言われて、アキラは城谷さんをちらりと見やった。そして、少し顔を赤らめて「なんか……すみません」とそう呟いた。


「いいえ、大丈夫。私は……うん、大丈夫だから」


城谷は城谷で、ちょっと恥ずかしそうに笑っていた。


「城谷さんも、圭も……助けに来てくれて、ありがとう」


「バカ野郎、水臭いこと言うなや」


「外でみんなが待ってるよ。さ、準備して行こう?」


「……はい」


アキラはぺこっと少しだけ頭を下げ、そそくさと服を着た。彼の素肌が服に隠れていくにつれて、私は……どんどん寂しさが増していった。


「さて、待たせたな」


全ての服を着終えたアキラから、私はパンツをゆっくり履かされていた。


「ほら、湯水。右足を上げてくれ」


「こう?」


「ん……OK。次は左足だ」


「……なんだか、恥ずかしいわね」


「今さら何を言ってるんだよ」


「ふふふ、それもそうね」


「……………………」


「……………………」


パンツを履き、スカートも着終えた後は、上半身。まずアキラは、城谷へひとつお願いをした。


「あの……一瞬だけ、手錠を外してもいいですか?服を着せられないので……」


「明くん……!それはさすがに……」


「大丈夫、湯水は自分の置かれてる状況を理解しています」


「しかし……」


「お願いします、城谷さん」


「……………………」


城谷は渋々ながらも、私の手錠を外した。左腕のすぐ横に、銃口が突きつけられる。それから私の後ろにも、圭が腕を組んで立っている。


……見られたくなかったな、私の身体。アキラ以外に……見せたくなかった。


「さあ、湯水。まずはブラジャーからだ」


アキラは丁寧に、私にブラジャーを着せていく。背中のホックも手慣れたもので、案外あっさりと着終えた。


「慣れてるのね」


「……美結のブラを、つけてあげたことが何回かあるからな」


「……そう」


彼は黙々と、私の白いシャツを着せていく。前のボタンを止めていく時に、私は彼へ言ってみた。


「ねえ、アキラ。キスしてよ」


「……………………」


「もう私、きっとあなたには会えないと思うから、ほら、最後に一回だけでいいから……」


「……………………」


アキラはシャツのボタンを全部止め終わると、顔を上げて、私のことを見つめた。


「……ごめんな、湯水」


……彼のくれた答えは、凍てつくほどに残酷で……苦しいくらいに、優しかった。


「…………ふふ、ふふふ」


気がつくと、私は笑っていた。笑いながら、泣いていた。


ぴくぴくと涙袋が痙攣して、口角を上げたまま、ぼろぼろと涙は溢れ出た。


「……………………」


アキラは、私に向かって手を伸ばした。伸ばして……それからは、何もしなかった。ただその場で止まった。そしてしばらくしてから、その手はまた引っ込められた。


「……イヤ」


私は、私は…………


「イヤ、イヤよ」


火山が噴火してしまうように……爆弾が引火してしまうように……心の内のぐちゃぐちゃな想いが、破裂した。



「イヤイヤイヤ!!アキラと離れたくない!!そばにいたい!!そばにいたい!!」



……大粒の涙が、床にこぼれ落ちる。今までの人生で押さえ込んできた、塞き止めてきたものが、一気にここで決壊したような、そんな涙……。


「けっ、五歳児かよ……」


後ろにいる圭の冷たい呟きが、耳に届いた。正直、私も私を醜いと思っている。駄々こねる子どもに等しい……無様な泣き顔だって。


「好き!!好きなの!!私!!私!!大好きなの!!アキラが大好きなの!!」


「……………………」


「一緒にいさせてよ!!あなたのそばにいさせてよ!!あなたともっと話したいのよ!!あなたの肌に触れたいのよ!!」


でも、無様とわかっていながら、止められない。想いが胸の中からどんどん溢れてきて、止まることを知らない。


身を切り裂かれるような悲しみに、私はもうなす術がなかった。こんなにも自分が小さな人間だなんて、思い出したくなかった。


「湯水……」


滲んだ視界の先に、ぼんやりとアキラの姿が見える。ああ……もっと鮮明にあなたを見たいのに……。最後にもう一度、あなたの優しい眼差しを受けたいのに。



「アキラ!!アキラ!!アキラーーー!!」




……私の慟哭に、喉が焼かれた。


ああ……アキラ。

無様な私でごめんなさい。








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