64.私を観て!




……7月13日の金曜日、午後15時ちょうどにて、私、城谷 楓とメグちゃんのお母さんである平田 由香里さんは、湯水邸の玄関前に来ていた。


湯水邸は、通常の3倍近い面積を持つ一軒家だった。門から3メートルほど歩いたところに玄関があり、その途中には綺麗なお花が道すがらにこれでもかというほど敷き詰められている。


私と平田さんは、その門の前に立ち、インターホンを鳴らした。


『はい、湯水です』


向こう側から応答があった。その声は、妙に無機質な雰囲気の女性だった。


「すみません、電話で事前にお伝えしてました、平田ですけれども」


『ああ、どうぞお入りください』


そう言われた私たちは、門を開け、玄関前まで進んでいく。そして、扉の前で一度立ち止まり、平田さんに最後の確認を取った。


「平田さん、ここはなるべく……穏便に行きましょう。今湯水家では、娘の捜索願いを出している最中。その娘の印象を悪く言ってしまうと……向こうもさすがに気を悪くすると思います」


「ええ、分かってます。メグのことを殴ったんだってことを知らせたいのと……湯水って子が、親から観てどんな子なのか聞く。そうでしたよね?」


「はい。湯水が明くんのことを狙っているのは、まだ私たちだけの間で伏せましょう。かなりディープな内容ですから……」


「個人的には、親にもはっきり言ってあげたいところですが……分かりました。それにしても、メグに警察の知り合いがいるなんて知りませんでした。今回はお忙しい中わざわざご同行いただいて、ありがとうございます」


「いえいえ、子どもたちを守るのが、一番するべき仕事ですから」


私がそう言うと、由香里はにこっと目尻を下げて笑った。


その時、がちゃり……と音を立てて、玄関が開いた。それを開けたのは、40代くらいの中年女性だった。


黒髪に軽くパーマを当てており、穏和そうな態度で「どうぞ、いらっしゃいませ」と、柔らかい声で言った。


……一見すると、普通にどこにでもいそうな……優しそうな方に見えるのだが、なんだか妙に、この方に対して嫌な予感がした。


(なんだろう……?湯水 舞の家ってことで、そういう風な色眼鏡をしちゃってるのかな……?)


そんなことを頭の片隅に過りながら、私たち二人はその女性へ招かれて、家の中へと上がった。





「……どうぞ、アールグレイになります」


真っ白なテーブルクロスの上に、紅茶の入ったティーカップが二つ置かれた。


私と平田さんはリビングに通されて、六人かけのテーブルに方列並んで座った。その対面には、先ほどの女性と……眼鏡をかけた七三分けの中年男性がいた。彼は身綺麗なスーツを身にまとい、口許にうっすら笑みを浮かべている。


(この男性も……何か、変な感じがする。なんなんだろう?この感覚……)


言い様のない不安にかられながらも、私はそのことを口に出すわけにはいかず、喉の奥にその想いを閉まった。


「私が、舞の父である湯水 敬一郎です」


男性の方がそう言って頭を下げると、隣にいる女性も同じように頭を下げた。


「私が、舞の母である湯水 麗子です」


私と平田さんは、二人の挨拶に連れられて、似た感じで挨拶を返した。


「どうも、平田 由香里と申します」


「私は東警察署の総務課で総合相談窓口を担当しております、城谷と申します」


湯水 舞の父……敬一郎が、私と平田さんのことを交互に眼をやりながら、至極丁寧な口調で尋ねられた。


「平田様、城谷様、本日はどういったご用件で参られたのですか?確か、舞のことについてと伺っておりますが?」


それを受けて、平田さんが答えた。


「はい、実は先日……そちらの娘さんに、ウチの娘の恵実がぶたれまして。こう、頬をパシーンとビンタされたんです」


「ほう、それは……」


湯水夫妻は、どちらも眉をしかめた。しかめるタイミングがあまりにもぴったり一緒だったので、なんだか似たようなロボットが同時に作動したような……そんな錯覚に陥った。


「まあ、恵実は幸いにも大事には至らなかったんですけど……。ほら、舞さんが今家出中とお伺いしたんで、大変言いにくいのですが……舞さんはちょっと、いろいろ抱え込んでしまっているのかも知れません」


「そうですね、今まで舞はそんなことをする子ではありませんでした。喧嘩も家出も、そんな“面倒なことは”しない子でした」


「……………………」


私は、夫妻たちの『面倒な』という部分が、とても引っ掛かった。何がどう引っ掛かるのかは、いまいち言語化できなかったが……夫妻に対する奇妙な違和感は、どんどんと増していくばかりだった。


「ですから、もし舞さんがお戻りになられたら……一言声をかけてもらえませんか。そしてできれば、恵実に対して謝罪の言葉をいただけると、ありがたいのですが」


「……それは、何か物的証拠がありますか?」


「え?」


「舞が平田様の娘様を殴ったという、物的証拠です。ビデオか何か、お撮りになっておりました?」


「……いや、特には」


「であれば、申し訳ありませんが、この件はなかったことにしていただきたい」


「は?」


平田さんが、思わず威圧的な返事をした。私が隣で「平田さん、抑えて……」と、ひそひそ囁くように伝えた。


湯水のご主人は、能面のような無表情を浮かべたまま、淡々とこう語った。


「物的証拠がなければ、舞の行いについて責任を持てない。ですので、証拠品の提出が難しいのであれば、申し訳ないのですが、この件は初めからなかったことにします」


「いや……!証拠って、恵実は実際に頬をぶたれて、赤く腫れてたんですよ?」


「ご自身でぶったとしても、赤く腫れますよね?」


「……………!」


「ひどい話のように聞こえるかも知れませんが、私どもはなるべく公平でいたい。証拠を持って初めて判断できるものだと、そう考えてます」


平田さんの拳は、膝の上でぶるぶると震えていた。しかし、一度静かに深呼吸すると、「分かりました」と言って納得された。


「今回は……飲みます、それ。だけど、ちゃんと娘さんのことは見てあげてください。あなたたち二人がちゃんと見てあげてないから、舞さんは家出したんたじゃないかって、私はそう思ってます。家出するっていうのは、子どもにとってはかなりの労力です。その労力をかけてでも、この家にいたくない……そんな風に思われてるってことですよ?」


平田さんがガンガン攻めるのを、私は隣でヒヤヒヤしながら聞いていた。しかし、その分この方が……子どもに対して真摯な思いをお持ちなんだなってことも、同時に理解できた。


「見てあげる……?」


平田さんの言葉を聞いた湯水夫妻は、どちらも怪訝な顔をしていた。


「平田様、見てあげるというのは、具体的にどういうことですか?」


「え?いや……ちゃんと話を聞いてあげるとか、悪いことをしたら叱るとか、最低限親としての、子どもへ気にかけることですよ」


「ああ、要するに……舞をちゃんと“監理してくれ”と、そうおっしゃってるんですね?」


「監理って……まあ、うん。言い方はあれですけど……概ねそうですね」


「その点についてはご心配なく。帰って来次第、舞のスマホにGPSアプリをダウンロードするよう伝えるつもりです」


「え?」


「私どもも、舞が家出をするとはまるで想定していなかったので、今回のようなことにならないよう、24時間居場所を把握できるよう対策をいたします」


……私はその時、はっきりと鮮明に……『もう、これ以上話しても仕方ない』と直感した。


湯水夫妻に覚える違和感……それは、驚くほどに冷たい……何か機械のような、温度のない無機質さ。


平田さんもそれは感じられたようで、口を開けたまま固まっていた。そして、私と一瞬だけ眼を合わせて、お互いに声に出さずとも……思っていることを共有しあった。


「ところで、城谷様」


湯水のご主人が、私の方へ声をかけてきた。私は思わず背筋を伸ばして、「はい、なんでしょう?」と言って答えた。


「城谷様は、どういったご用件で?やはり、舞のことでしょうか?」


「そうですね、今現在行方不明になっている娘さんの……メンタルヘルスに関して、警察としては一度、相談窓口に舞さんをお越しいただくのはどうか?と、そんな風な案内にきました」


私は元々用意していた表向きの理由を喋った。本当は、メグちゃんに頼まれて、由香里さんと共にここへ来ることになったのだ。


『母さんが一人で湯水のおうちに乗り込むのはとっても怖いから、警察の城谷さんも同行してほしい』と、そう頼まれた。


「メンタルヘルスの相談窓口……ですか」


「はい、平田さんとの件も家出の件も、娘さんは今、やけに衝動的な行動が目立つように思われます。何らかのストレスに伴っての行動の可能性が高いので、よければ……警察へご相談をいただいたり、カウンセラーや精神科医のご紹介をさせてもらえたらと」


「なるほど、分かりました。そこは舞の様子を見てから判断します」


「……………………」


……様子なんて、毎日観ているはずなのに、なぜ今さら確認する必要があるのだろう。


やはりこの家族は、冷えきった壁が……隔たりが、物理的に見えなくても、確実に強く存在する。


「……………………」


夫妻の眼が、綺麗に磨かれたガラス玉のように見えた。
















『……っていう感じだったよ。千秋ちゃん』


結果報告を城谷ちゃんから受けた私は、テレビの前のソファに腰かけて、バナナを全部食べ切るところだった。


「なるふぉど……これあきひょうあいりょうね。ゆみうのほんひつをさらにふあおりできそうだ」


『千秋ちゃん、口にバナナが入っててよく分からないよ』


「んぐ……。よくバナナってわかったね」


『だって千秋ちゃんだもん』


城谷ちゃんの苦笑する声が聞こえてきた。


「まあ……でも、そうね。城谷ちゃんのお陰で、湯水の家庭環境を知れたのは、かなり大きな進歩かも。私も以前あの家を調査したことあるし、訪問も何回かしたんだけど、いっつも門前払いなんだよね」


『あー、私が警察だったから応じたのかも。もし平田さん一人だけだったら、全然取り合ってくれなかったかも知れない』


「なるほど……その辺も湯水の家らしい」


それにしても……そうか、湯水は親との関係が良くなくて、いじめに走るようになったかも知れない。


城谷ちゃんとの電話を切って、二本目のバナナに突入しつつ、いろんな思考を張り巡らせていた。


(機械的で表面的な接し方しかしない親のもとで産まれた、湯水 舞という女……。自分のことを観てほしいという欲求から、完璧な女を取り繕うことにした。しかし、それでは内面にフラストレーションが積もっていくばかり。それを解消するために、合理的でないいじめをやっていた……と、そういうことなのか)


まあ、わりと予想通りの展開ではある。彼女が明氏に対して異常なまでに執着するのは、親ですら観てくれなかった、自分の本質……根幹を覗こうとしてくれるから。


(恋愛漫画とか恋愛ドラマにありがちな……“本当の私を知ってほしい”っていう、アレだ。いかに湯水がイカれてるとは言え、本当の自分を知ってもらえるという喜びは、間違いなくあるのだろう……)


「柊さん」


ふと、考え込んでいた私に対して、いつの間やって来ていた部屋着姿の美結氏が、声をかけてきた。彼女は私の座り、テレビのリモコンを持っている。


「どうしました?美結氏」


「あの……テレビ、何か観てもいいですか?」


「ええ、構いませんよ。遠慮なさらず、いつでも観てください」


美結氏が肩をすくめて笑うと、リモコンを使ってテレビの電源を入れた。



『……が訪れたのは、インドネシアのバリ島!赤道直下のこの島は、年がら年中夏なのです!』



テレビに映ったのは、バラエティ番組だった。美結氏はその番組か

らチャンネルを変えて、画面をいろいろと変えていた。



『美肌効果を追求した保湿クリーム……ぜひ試して『消費税増税を視野にいれるという政府の発言に対して、多くの国民が『燃えろ拳!燃えろ剣!燃えろ……俺のタマシ『私……あなたのこと好きだった!なのになんで、こんなこと……』




CM、ニュース、アニメ、そして実写ドラマ……。次々と画面が切り替わる様を、美結氏はぼんやりと眺めていた。


「……美結氏、何か観たいものでもありますか?」


「いえ……ただ、何か……面白いのあるかなって」


「……………………」


ぼーっと画面を眺める美結氏のことを、私は隣で見つめていた。


彼女の首から、御守りが下がっている。それは最近美結氏が買ってきたもので、その御守りの中には、美喜子と交わした手紙が入っている。



『さようなら、私のママ』

『ごめんね。ありがとお、みゆ』




(………美喜子………………)


その時私は……いじめに対してある悟った気がした。


なぜ人は、いじめをするのか?なぜいじめが無くならないのか?


それは、あらゆるいじめの根幹にあるのが、この気持ちだからだ。




『私を観て!』




湯水はもちろんわかりやすいが……美喜子にもその気持ちがずっとうずまいていた。


SNSで美結氏との家族写真を取ろうとしたのも、SNSのフォロワーに自分を観てほしかったから。良い家族だと思われたかったから。


いじめとは、『気にくわない相手をいたぶっている』ことが主に見えるが、本質はそこじゃない。確かに事実、気に入らない相手をいじめのターゲットにするのだが、実はターゲットなんてものは、合ってないようなものだったりする。ころころころころ、衣替えのようにターゲットは移り変わり、その場その場でいろんな人の心が貪られていく。


ターゲットがずっと固定されている場合もあるが、それも結局は……『私を観て!』から派生したものにすぎないのだろう。


では、いじめをすることがなぜ『私を観て!』に繋がるのか。


まず分かりやすいのは、『支配することで観てもらえる』というきと。


いじめの対象者を蹂躙し、脅かすことで、相手は自分に対して萎縮し、恐れるようになる。それがすなわち、『自分を観てもらえてる』証拠。廊下を歩くと、みんなが怖がって道を開ける……なんてことが楽しくて、いじめに走る。


これはネットの誹謗中傷なんかも同じ。会ったこともない人間に対して、『死ね』だのなんだのって言葉を投げる人は、『自分のせいで傷ついてほしい』という気持ちがある。


自分の言葉に影響されてほしい、自分の言葉でショックを受けてほしい。今、まさに湯水が明氏へしているのも、同じことだ。


こういった浅はかな承認欲求……すなわち、『私を観て!』が産み出すのが、いじめだ。これはまず一番簡単な心理。


そして、いじめは時に嫉妬心から産まれたりする。相手が美形で羨ましかったり、技術的な面で相手の方が上だったりと……そうした妬みがいじめを産んだりする。これも所詮は『私を観て!』なのだ。相手のことが嫌いでいじめるんじゃない。『自分が認知されないのが悔しくて』いじめるのだ。


『あの人さえいなければ、私はもっと評価されているのに!』


『俺だってモテたいのに、あいつがモテるのは許せない!』


そう、『自分が観てもらえないのはそいつのせいだ』という風にして、責任転嫁する。これも分解してみれば、単純で浅はかな心理だ。


(もちろん、自分自身を認知してほしいという気持ちが悪いわけではない。承認欲求は、時としてあらゆる表現方法を産む。音楽であったり、絵画であったり……いろんな技を産む光の面がある。しかし、それが屈折した方向に進むと、いじめへと向かっていく。これがいじめの本質なのだろう)


この世の中、自分のことを観てほしい!と嘆く者は多い。誰しもがそんな想いを抱えて生きていて、それゆえに巨大な孤独感を胸に宿している。


(……ああ、そうか)


だから明氏はモテるんだな。


彼も『自分を観てほしい』という想いは少なからずあるのだろうが、それと同時に、同じぐらい『人のことを観よう』と努めている。


だから引きこもった美結氏のそばに居ようとするし、湯水とも真摯に接しようとした。


『この人なら自分を観てくれる』って、明氏にはそう思わせてくれる何かがあって、それに人々が引き寄せられて……結果モテるようになるのだろう。


(しかしまあ……美結氏に愛されるのは素敵だけど、湯水みたいなのも引き寄せちゃうのは、明氏も大変だよな)


ある意味では、そういう人間に対してはドライでいるくらいが……ちょうど良いのかも知れない。明氏はちょっと優しすぎるからな……。もう少し割り切った考え方をする方が、トラブルを避けられるだろう。


「あっ」


その時、テレビを観ていた美結氏が、小さく驚きの声をあげた。


「どうしました?」


私がそう尋ねると、美結氏は「柊さん……これ」と、テレビを指差して言った。それにつられて、私もテレビの方へ目をやった。



『今日の午前8時頃、南高等学校の正門前にて、不審な落書きがなされました』



テレビに映っているのは、ニュースだった。南高校と言えば……明氏とメグ氏の通ってる学校じゃないか?


「あっ!」


……ニュースキャスターが原稿を読み上げるシーンから、現場の状況を中継する場面に切り替わった瞬間、私も思わず声を上げた。


高校の正門近くにあるブロック塀……そこにはっきりと、赤い文字でこう書いてあった。




『アキラは私のもの』








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