65.他人事
……テレビに校門前の落書きが放映されてから、瞬く間にそのニュースが広まった。
お兄ちゃんとメグの学校には、マスコミや野次馬がたくさん出てきて、とても困っているという。特にお兄ちゃんには、マスコミからの取材依頼なんかも来た。
学校で唯一『アキラ』という名前を持っているのは、お兄ちゃんだけだかららしい。当然お兄ちゃんはその依頼を断ったんだけど……ある日、お兄ちゃんが学校に登校している時、正門をくぐろうとしたその瞬間を狙って、突然マスコミがインタビューをしてきたらしい。
『全く酷いよなあ……。全然聞かされてないんだぜ?それ。個人情報もへったくれもないよ……』
お兄ちゃんは電話越しに、ため息混じりにそう答えていた。私はベッドに腰かけて、白いクッションを抱いてその話を聴いていた。
「大変だね……。そのインタビュー、結局どうしたの?」
『なんかカメラもまわってて、今中継中とか言うからさ、さすがに邪険にするとイメージ悪く言われそうで怖いし……渋々応じたよ』
「ど、どんなこと訊かれた?」
『なんか、この落書きに心当たりありますかー?とか、友達のいたずらですかー?とか、ほんとずけずけ聞いてくんの。まあ答えられる範囲で答えたけど……。はあ、さすがに先生に言って、もう立ち入り禁止にしてもらおうかな』
「そうだよね、それがいいと思う」
『心配かけてごめんな、美結』
「ううん、いいの」
『どうだい?そっちの暮らしは。もう慣れたかな?』
「……ううん、慣れない。お兄ちゃんがいない生活なんて、慣れたくないよ」
『……………………』
「柊さんも城谷さんも、優しくて大好きだけど、私はやっぱり、お兄ちゃんが一番好きなの」
『……………………』
「お兄ちゃん、私……」
『……なんだい?』
「……………………」
そこまで口にしておいて、私は……それ以上言うのを止めてしまった。
お兄ちゃんと一緒にいたいって、何度も言いたい。何回だって言いたい。でも、それは……お兄ちゃんの邪魔になっちゃうから。
せっかくお兄ちゃんが、私のためを思って……こうして安全な場所に連れてきてくれたんだから、その気持ちを……汲まないといけないよね。お兄ちゃんの気持ちを……無駄にしちゃいけないよね。
「ううん、ごめん、なんでもない」
私がそう言うと、『そうか?』って……いつものように、どことなく察しているお兄ちゃんの声が聞こえた。
「うん、大丈夫だから。ごめんね?」
『……美結』
「なに?」
『愛してるよ』
「!」
『……ん、なんか……あれだな。電話だとちょっと照れるな』
「……えへへ、ありがとうお兄ちゃん。私も愛してる」
……お兄ちゃんと付き合うようになってから、もう一年半が過ぎようとしてる。だけど、全然倦怠期がこない。むしろ日を増すごとに、お兄ちゃんのことが大好きになっていく。
『ごめん美結。そろそろ俺……バイトの時間だ』
「あ……うん、分かった」
『じゃあまたな、美結。今度また電話するよ』
「……うん」
『それじゃあ、切るな?バイバー……』
「あの、お兄ちゃん」
『お?どうした?』
「……………………」
『ん?大丈夫か?どうした?』
「……ううん、なんでもない。大丈夫」
『……美結、俺さ、帰ってきたらまた電話かけるけど、いい?』
「……!」
『俺も、美結の声聞きたいしさ……いいかな?』
「うん!待ってるね!」
『ああ!それじゃあ、行ってくるな!』
「うん、いってらっしゃい!」
……そうして、電話が切れた。
「……………………」
私は、ベッドに寝転がって、天井を見上げた。
胸に抱いているクッションを……さらにぎゅっと胸に寄せた。ふかふかのクッションだけど……やっぱり私は、お兄ちゃんのぎゅーが恋しい。
「はあ……お兄ちゃん」
いつも私の気持ちを……お兄ちゃんは察してくれる。私が寂しくて電話を切りたくないっていうのを分かって……また、『帰ってきたら電話する』って、そう言ってくれた。
そういう時、『美結が寂しそうだから』って言わずに、『俺が美結の声聞きたいから』って言ってくれるのが、すっごく嬉しい。寂しそうだから電話するってなると、私がお兄ちゃんに対して申し訳ない気持ちになる。でも、私の声が聞きたいって言ってくれると、純粋に喜んじゃう。嬉しくなっちゃう。そんな風に私の心持ちまで気遣ってくれるお兄ちゃんが……本当に好き。
「お兄ちゃん……」
目にたまった涙を、クッションに埋めて隠した。もうお兄ちゃんと、かれこれ1ヶ月近く会えていない……。本当なら、もうそろそろ夏休みで、一緒にいろいろ遊べる時期だったのに……。
……でも、我慢しなきゃ、だよね。湯水の件が終わるまで、私はちゃんと身を隠して……お兄ちゃんを困らせるようなこと、しちゃいけない。本当は電話だってしすぎちゃいけないし、なるべく邪魔にならないようにしないと……。
「……はあ、とりあえず……夕飯、作ろっかな」
私はベッドから立ち上がり、のそのそと寝室を出た。
リビングでは、柊さんがソファに座り、バナナにかじりつきながら、テレビを凝視していた。
「柊さん」
私がそう言うと、バナナを咥えたまま彼女はこちらを向いた。
「ん、みゆし、おあおうごあいまふ」
「ふふ、おはようございますって……今起きたんですか?柊さん。もう夕方の18時ですよ?」
「ふぁい、さいいんねてなあったものえ」
「もう、あんまり無理しないでくださいね。寝溜めって本当は身体によくないんですよ?」
「しろあにちぁんにお、おんあじこといわれまふぃた。いお、きをふえまふ」
私は“柊語”に苦笑しつつ、キッチンに立った。ここのキッチンは、リビングとの間に壁がなく、キッチン側にあるカウンターからリビングのソファとテレビが見えるような構造になっている。
さーて、今日はどうしようかな……。キムチを買ってあるし、豚キムチとかにしようかな。余った豚は豚汁にして……。そうだ、ご飯って余ってたかな?
「あ、そう言えば美結氏」
「はい、なんですか?」
柊さんの問いかけに対して、おひつのご飯を確認しつつ答える。よし、三合くらいあるし、ちょうど良いかも。
「明氏がニュースに出てましたよ。先日の落書きについて」
「あ、さっきちょうど、お兄ちゃんから聞きました。なんでも無理やりインタビューを受けさせられたとか」
「ええ、録画してますんで、観てみますか?」
「録画……?」
私がそう言うと、柊さんは該当のニュースを流し始めた。私はキッチン側から、そのニュースに目をやった。
『南高校の正門前にて書かれた、謎の落書き。南高校には“アキラ”という名前の生徒が1人だけいるそうです』
落書きの映像がでかでかと映され、それに合わさってニュースキャスターが説明を入れていく。それが終わると画面が切り替わり、お兄ちゃんが映された。
『……………………』
画面に映るお兄ちゃんは、目に見えて面倒臭そうにしてた。眉をしかめて、口をへの字に曲げている。
でもなんだか……その時、久しぶりにお兄ちゃんに会えたような気がして、思わず……嬉しくなってしまった。
「知人がテレビに出ていると、なんだか不思議な気持ちになりますね」
柊さんの呟きに、私は「そうですね……」と、やや上の空気味に答えた。
『あなたがアキラさんですか?』
インタビュアーの質問に、お兄ちゃんは黙ってうなずく。
『あの落書きについて、何か心当たりは?』
『…………なんとなく、あります』
『ご友人のいたずらですか?』
『そういう類いのものじゃないです。俺の友達に、いたずらでこんなことする奴はいません』
『では、一体誰が?』
『……………………』
『ネットでは、付き合っていた元恋人や、ストーカーがやったのではないかと言われていますが、それについては?』
『……………………』
『この落書きを書いた方に対して、どう思っていますか?』
『……悲しいです』
『悲しい?』
『……………………』
『あの、具体的には、どういうところで悲しいと?』
『……それほどまでに、お前は誰からも愛されていなかったのかと……俺に依存する以外の術を知らないあいつの心境を想うと、悲しくて仕方ない』
『はあ……』
『………もう授業始まるんで、失礼します』
『え!?ちょっと!まだ回答がよく分からないのですがー!』
お兄ちゃんはインタビュアーさんの言葉を無視して、寂しそうな背中だけを残して去っていった。
「……………………」
「この明氏の対応が、ネットでかなり話題になっているみたいですよ」
「ネットで……」
私はポケットに入れていたスマホを取り出し、どんな感じで話題にされているのか見てみた。
SNSなんかでその話題を検索してみると、いろんな意見があった。
『いや、何この回答。ドラマ過ぎんでしょ』
『含みありすぎて草』
『ていうかアキラぶっさwwwwこりゃストーカーの女も大したことないな』
『これマスコミがひどいな……。さすがに訊きすぎ。男子生徒もこんなん訊かれても答えにくいだろ。先生ちゃんと守っとけよ』
『え、アキラくん意外とタイプかも。絶対優しそう』
『こんな顔でも女の子からストーカーしてもらえるんか……』
『顔じゃなくてチ◯ポでモテる系のやつだわ』
『ストーカー被害か、大変だね。私も元カレにストーカーされた時はうざかったな~』
『回答が完全に厨二っすね(笑)』
『こいつ心当たり絶対なんとなくじゃないだろ』
『「悲しいです」って言えるのは、すごいですね。根が普通に良い子なんだと思います』
……本当に、いろいろ様々な……悪く言うと言いたい放題な感じでお兄ちゃんは話題にされてた。
「……………………」
お兄ちゃん……私、なんだか嫌だな。お兄ちゃんのこと何にも知らない人が、あーだこーだお兄ちゃんのこと喋ってて……。みんな、他人事って感じで……。
……それに、なんだかお兄ちゃん、ちょっとやつれてた。湯水とのことで、いろいろ溜め込んじゃってるところもあるんだと思う。
……なんだか、心配だな……。
「お兄ちゃん……」
モヤモヤした気持ちを抱えながら、私は夕飯の支度を始めた。
「よお、有名人!」
学校の昼休み中。通りすがりに、全然知らない奴らから肩をぱんっと叩かれた。ニヤニヤと笑うそいつらは、俺が顔をしかめているのを見てより笑い、スタスタと去っていった。
俺のインタビューがテレビに出て以来、俺は以前よりさらに……悪い意味で注目を浴びるようになった。
俺を見かけると、女子からひそひそと噂話をされたり、男子からはこうして変にからかわれたりと、とにかく学校に居づらい。
「……………………」
そんなある日の昼休み、俺は担任の先生からヒアリングを受けた。使われていない教室で二人、机1人を挟んで向かい合いながら座った。
「渡辺」
先生がひとつ咳払いをしながら、話を始めた。
「あの校門前のいたずら書き……お前、本当に心当たりあるのか?」
「……………………」
「あるんだったら、先生にちゃんと誰なのか言ってくれ。毎度ああいうことをされるのは非常に困る」
「湯水ですよ、先生」
「なに?」
「今、絶賛不登校中の……湯水 舞ですよ」
「湯水って……あの一年生のか?」
「そうです。先生も見たことあるでしょう?湯水が俺をデートに誘いに来て……困らせてたことを」
そう、いつだったか湯水は、『デートに応じるまで動かない!』と言って俺にしがみついてたことがある。もちろん当時はそれが演技だったが……今となっては、もはや演技以上に恐ろしいことをしてくるようになった。
「ああ……なるほど、そう言えば」
先生もそのことは覚えているらしく、腕を組んで宙を見上げた。
「あいつは本当に異常ですよ、俺への執着心が強すぎる。俺も迷惑しています」
「……ふーむ」
「湯水をすぐに見つけるべきです。でないと、どんどん過激なことをし始める」
「……?お前、“すぐに見つけるべき”って……なんで湯水が家出中って知ってるんだ?先生たちしか知らないはずだぞ?」
「もうそんなの、学校中で噂になってますよ。湯水が家出して、俺に振り向いてもらうために落書きしてることも」
「……………………」
「先生、俺も自分の身は自分で守るつもりですが……先生方も、ちゃんと校内の治安は守ってもらいたい。だいたい、なんでマスコミが校内に入るのを許可したんですか。俺の個人情報が漏れること、分かってるはずです」
「いや……あれはだな、取材料が既に振り込まれてて、断るわけにもいかなかったからだ」
「は?取材料……?なんでそれを学校が貰ってるんですか。筋が通らない。百歩譲って俺が貰うならまだしも……」
「敷地内に立ち入りを許可するのは学校側だ。そうだろ?」
「……ひとつ言っておきますけど、生徒のこと舐めたら怒りますからね」
「なんだ渡辺、何を喧嘩腰に……」
「とりあえず先生、マスコミは今後学校へ入れないでください。もし次いれたりしたら、湯水のことをマスコミへ詳細に話しますからね」
「……!」
「先生たちとしては、あくまで部外者の落書きとして処理したいはずでしょ?学校の信用……イメージを損ねないように。内々の人間、それも生徒があんなことをしたなんて、表沙汰にはしたくないはず」
「分かった分かった、そう息を荒げるな」
先生は腕組をほどいて、俺をたしなめた。
「次からは必ず断る、これでいいだろ?」
「……………………」
俺はもう、呆れてものが言えなかった。何が“これでいいだろ?”だ、上から目線もいい加減にしろよ。先生って呼ばれたきゃ、それなりの態度を示したらどうだよ。
はあ……湯水、お前のせいで……ここ最近、人生で一番、人間のことが嫌いな時期になったよ。どいつもこいつも他人事……信頼できる人間は、本当に一握りだ。
ああ……美結。早く、君に会いたいな。
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